台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

高雄の震洋神社~海軍水上特攻隊

2014-05-25 07:00:33 | 高雄州

今月のゴールデンウィークを利用して、短期間の取材旅行に出かけてきました。高雄では、高雄のIT関係の会社を経営する傍ら左営旧城の歴史研究を行っている廖徳宗さんおよび郭吉清さん(高雄市旧城文化協会顧問)と合流し、左営旧城内の西自助新村に残る震洋部隊の舎営所跡および営内神社(軍隊の敷地内に造営された神社の呼称)である震洋神社の遺蹟(基壇、手水鉢、石段)を確認してきました。これらが、震洋神社のものであるあることは、神奈川大学 海外神社研究会のメンバーである坂井久能先生の協力により、確証がとれており、海外にける営内神社としては非常に貴重な発見となりました。また、震洋部隊の実在が明確になり、更には第29部隊の格納壕も視察することができ、大きな収穫がありました。

今回の内容は、7月~8号の台湾協会報に掲載されますので、掲載後ブログにて紹介する予定です。お楽しみしてください。

 

 

 

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5月号の「なるほど・ザ・台湾」 開山神社~鄭成功を祭神とする廟

2014-05-10 23:45:21 | な~るほど・ザ・台湾

原稿記事の一部から

日本統治時代初期の明治29(1896)年7月、当時の台南県知事である磯貝静蔵がこれまでの開山王廟を神社とすることの申し立てを第2代総督桂太郎に行う。この時の神社の名称は「開台神社」、社格は最高位に属する「国幣社」であった。これに対して、総督府は国幣社扱いを却下しつつも、「県社開山神社」と改める案を拓殖大臣に示した。翌年2月、この改称案が許可され、開山王廟は、改めて日本統治下における最初の「県社開山神社」として列格された。

何故、鄭成功が祭神として祀られるようになったか、自分なりに推測してみました。その中から、当時の台南県知事磯貝清蔵の緻密に計算された思索が見えてきます。是非一読してみてください。

 

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