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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

『遠渡来台的日本諸神』の出版

2020-07-04 06:39:45 | 新刊

『台湾に渡った日本の神々』の中文版『遠渡来台的日本諸神』が野人文化から出版されます。

興味のある方は是非ご覧ください。

台湾では金瓜堂網路書店など、インターネットでも購入できます。

 

漢學研究通訊電子報
6月26日 11:37 · 
【遠渡來台的日本諸神:日治時期的台灣神社田野踏查】

歷史可以從很多角度審視,透過「神社」這樣的宗教設施與思想觀念,引領我們深入瞭解,台灣 #日治時期 #神社 與產業和社會所產生密切的關連。金子展也先生派駐台灣工作後,從2002 年開始愛上台灣神社調查,耗時15 年光陰,從南到北查找超過400 所神社,除了親自走訪考證梳理出230 所神社(其中203所為 #台灣總督府 認定),更蒐羅各時期的歷史文獻、學術論文、報社新聞、風景明信片、老照片⋯⋯一步一步建構並還原當時官營事業中的林業、半官營事業的水力發電、公賣事業的樟腦、酒廠、製鹽,以及民間事業的製糖業與礦業(黃金與煤)等各產業的部分珍貴歷史。

▶️作者簡介
金子展也,1950年生於北海道,小樽商科大學商學系畢業。進入日立先端科技股份有限公司任職,派駐新加坡和台灣。退休後,除在Anchor Network Service工作外,也曾任神奈川大學非文字資料中心的協助研究員,參與國外神社的調查研究。此外也擔任一般財團法人台灣協會的評議員。著作有《舊台灣神社故地的旅行指南》。

📗出版日期:2020年7月
📙出版者: 野人文化
📘作者:金子展也
📒翻譯者:陳嫻若
📗ISBN:978-986-3844372
📙原文書名:台灣に渡った日本の神々

 

 

 

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『左營二戦秘史---震洋特攻隊駐臺始末』 補足

2018-09-11 20:19:45 | 新刊

台湾からの購入は下記ウェブサイトから可能です。但し、「博客來」の会員登録が必要となり、煩わしさがあります。どうしても購入希望の方は私宛に連絡ください。先方と連絡をとり、取り寄せを致します。なお、一般財団法人 台湾協会に一冊寄贈いたしますので、必要な方は台湾協会の図書館で閲覧ください。

https://www.books.com.tw/products/0010796605

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『左營二戦秘史---震洋特攻隊駐臺始末』

2018-09-07 22:01:20 | 新刊

『台湾に渡った日本の神々』でも震洋八幡神社を紹介しています。この記事を書くにあたって、本書の著者である郭吉清さん(高雄市旧城文化協力会理事長)や廖德宗さん(皇輿科技総経理で歴史研究家)に数多くの資料や情報を頂きました。この度、両氏の長年の地道な調査により出来上がったのが『左營二戦秘史---震洋特攻隊駐臺始末』です。台湾の南部における震洋特攻隊に関する決定版です。

博多で第20震洋部隊・薄部隊の隊長のご子息との面談や震洋特攻隊の基地であった佐世保市の訪問により、より内容の充実をはかっています。是非ご一読を願います。

なお、現在日本での購読は出来ませんが、本書の入手について別途台湾側と確認してみます。

 

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小樽商科大学同窓会報「緑丘会」 図書紹介

2018-08-26 20:49:05 | 新刊

母校の同窓会報に『台湾に渡った日本の神々』が紹介されました。

台湾に赴任した翌年の2002年に、思いがけなく日本統治時代に東洋一の金鉱山であった日本鉱業の鉱山の構内に造営された神社の遺構を訪問した。この出会いがその後の神社跡地を調査し始めるフィールドワークのきっかけとなった。日本が太平洋戦争で敗戦し、中華民国に接収されるまでの50年間の間、台湾には400ヶ所以上に上る大小の神社及び神社に準ずる社やさまざまな小規模の神社(祠)が造営された。これまで探索した神社数は380ヶ所以上にのぼった。実に15年の歳月を費やした。

神社跡地を調査する過程で、多種多様な日本人の生活空間に数多くの神社が造営されたことから「ひょっとして神社を調査することで、日本統治時代の台湾の産業史及び社会史に迫ることができるのではないか」と考えるようになった。台湾神宮など、社格を持つ神社とは別に官営企業(樟脳、林業、製塩など)から民間企業(製糖業、鉱業など)、更には軍隊、移民村、学校、先住民、刑務所、遊廓、デパートなどに土地守護神としての神社が造営されたことが判明した。結果として、神社の造営背景にあったそれぞれの産業史や社会史に時間を割くことになった。

一方、なぜ、これまで多くの神社の遺構や遺物が残っているのか、そして、戦後の神社取り壊しがなぜ起こったのかについての疑問を持ち始めた。つまり、「破壊」と「保存」の関係であった。日本統治時代の後半まで、神社は主に内地人の信仰の対象であった。本島人(中国大陸から渡って来た漢人)には寺廟があり、寺廟は本島人に根強く浸透していた。しかし、満州事変(昭和6年)及びそれに伴う日本の国際連盟からの脱退により、一挙に本島人に対して国民精神の涵養が必要となった。寺廟は日中戦争開始とともに「運動」を境にし、総督府による「寺廟整理(取り壊しや統合)」で本島人と対立関係に陥った。台南州や高雄州では一瞬の間に半分以上の寺廟が取り壊された。地域によっては100%近く整理された。このことが、戦後多くの神社が破壊された理由の一つと考えている。つまり、神社に対する「憎しみ」である。 

また、原住民と呼ばれた山岳に居住する先住民との抗争は悲惨な結果を残した。最終的には先住民の「帰順」により、それまでのは強制的に平地へ移住され、伝統的な狩猟と焼畑農業による粟作から、現地警察官の管理の下、稲作農業へと生活パターンが完全に変わった。そして、新らたなの守護神としての神社が数多く造営され、信仰の対象は先住民族のアミニズム信仰から日本の神々に取って代わった。そこには日本の神々の絶対的な力があった。戦後、国民政府により神社は破壊されるが、その一翼を担ったのが天主教(カトリック)のようであった。プロテスタントに伝導の面で後れをとっていたカトリックは信者拡大のため、いち早く先住民に入ったが、布教上、カトリックにとって神社は邪魔な存在であった。同じ神社破壊でも漢人と先住民族の居住地では異なっていた。

戦後、国民政府による「破壊」にも関わらず、今日現在も数多く残る遺構や遺物の「保存」がある。この理由が神社跡地に建立された忠烈祠の存在であり、また、寺廟による遺物の盗難であった。更に、1987年の厳戒令解除以降、自由な民主主義のもと、台湾の本土化運動という、台湾は台湾を本土として生きていくという住民の民意を主体とした行政理念が芽生え始めた。この頃になると、改めて自分たちの歴史を直視する研究がなされ始め、日本統治時代の歴史的遺産も含めて、数多くの文化歴史遺産の保護及び修復、復元を伴い、保存されるようになった。これらのことにより、現在も台湾各地に残る神社遺構や遺物も破壊されず、また、今なお、残っている理由であろう。

 

 

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森 美根子『語られなかった 日本人画家たちの真実』

2018-07-19 20:21:18 | 新刊

同じ一般財団法人 台湾協会に所属する理事の森道子さんが、今年一月に『語られなかった 日本人画家たちの真実』を(株)振学出版から上梓された。

台湾の芸術家というと、李梅樹(三峡の祖師廟の改築に貢献)や楊英風(中国と西洋のスタイルを融合した彫刻作品「哲人」が有名)しか知らなかった。ましてや、台湾における近代美術の発展に尽くした石川欽一郎、塩月桃甫、郷原古統、木下静涯や立石鐡臣は全く知らない画家であった。ましてや、石川は陸軍部参謀本部の通訳官として渡台したこと、台湾に渡った塩月の赴任先が台中第一中学(台湾人のための初めての中学校)、郷原が台北第三高等女学校と台北ニ中であったことは驚きであった。

これら画家たちは台湾という新鮮な風土との出会いとその魅力にひかれ、数々の大作を残し、その後の台湾絵画界に大きな影響を与えた。また、昭和2年に第一回の台展(台湾美術展覧会)が開催され、その後府展(台湾総督府展覧会)と名称を変え、終戦間近の昭和18年まで開催された。これら展覧会を通して多くの台湾人画家の活躍の舞台が実現した。

この本の中には日本統治時代の絵画の歴史や展覧会に関する審査委員の選定などの裏話もも豊富に詰まっている。是非、一読を願いたいものです。

  

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