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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台中州 彰化第一小学校校内神社

2010-02-27 01:10:56 | 台中州

現在の中山小学校


神社旧景

現在の中山国民学校の旧B棟教室あたりに神社があった。
校内の校史室に展示されている資料から昭和9年(1934年)7月11日に彰化第一校社の起工がなされ、同時に校内神社建立が着工された。同年の12月11日に地鎮祭、翌年の1月19日には鎮座式が執り行なわれている。昭和10年(1935年)12月10日には校内神社内に昭和天皇および皇后の「御真影」が奉戴されたとある。
昭和16年(1941年)3月には彰化市楠公学校、4月には台湾公立国民学校規則の公布により、彰化市楠国民学校と改称している。


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高雄州  (屏東郡六亀庄) 六亀天満宮

2010-02-19 23:16:52 | 高雄州

高雄六亀郷公所の裏に神社があった

大祭時の写真である(出典:六亀里歴史影像誌 六亀里-老相片集Ⅰ)


台湾南部の高雄市から車で一時間。広がるバナナ畑を通り抜けると、山あいの街にたどりつく。その六亀郷民冶路の高雄六亀郷公所裏の駐車場奥が六龜天満宮祠の鎮座した場所であった。六亀郷公所の左側には一本の松の木があり、この場所に神社があったことは間違いないことを印象付ける。
日本統治時代に祭神として一般に知られている菅原道真を祀る天満宮社は台北天満社、基隆天満宮社とこの六龜天満祠の3社のみである。何故このような場所に天満宮が存在したのか不思議である。また、この神社は「祠」であり、原住民があった場所でもあった。一般に祠にはその土地に居住する原住民の名前が用いられた。どうしてこの天満宮は祠だったのか。その意味では不思議である。
コメント (4)
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台南州 南安國小校内神社

2010-02-12 23:50:22 | 台南州

神社本殿があった場所

石燈籠の一部

校内にある二宮金次郎像

当時の神社の旧景

この神社は南安国民小学の校庭内にあった。校庭に入ってすぐ左側に小さな孔子廟があり、この場所に神社が建立されていた。孔子廟の左横に石燈籠の一部が土に埋まっているが、「昭和十一年 奉献」の文字がはっきり読み取ることが出来る。
光復後の1948-1949年(民国37-38年)頃にに孔子廟に改築されて、その後忠烈祠となった時点で神社の面影はなくなった。忠烈祠は再度現在の孔子廟と建てかえられた。

南安國小:台南県安定郷南安村62号
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