台湾南部の移民村である日の出および常磐村と同じように千歳村も「菸草移民村」と呼ばれた。煙草移民として昭和11年(1936年)4月入植、老濃渓新生地に建設された。500甲の耕作面積を持ち、上里・中国・川北・下平の4つの聚落があった。100戸・487人規模の移民村であった。九州からの移民が多く、鹿児島県出身者が多かった。
現在の屏東県里港郷の土庫が現在の場所であり、この3箇所の移民村の中では最も開拓面積が大きかった。
近所の方々の案内で神社は土庫小学校校内奥にあったことがわかった。現在は基座の前の部分が追加されたとなっているが今でも基座と神社を取りまいていた樹が当時の面影を残している。当時の神社には鳥居と手水鉢があったようである。いつ頃に神社が取り壊されたかは不明であるが民国51年(1976年)までは本殿の基座があったとのことである。
神社が建立された場所である
中和路に沿って当時の煙草葉乾燥工場の建物がいまだ残っている。
現在の屏東県里港郷の土庫が現在の場所であり、この3箇所の移民村の中では最も開拓面積が大きかった。
近所の方々の案内で神社は土庫小学校校内奥にあったことがわかった。現在は基座の前の部分が追加されたとなっているが今でも基座と神社を取りまいていた樹が当時の面影を残している。当時の神社には鳥居と手水鉢があったようである。いつ頃に神社が取り壊されたかは不明であるが民国51年(1976年)までは本殿の基座があったとのことである。
神社が建立された場所である
中和路に沿って当時の煙草葉乾燥工場の建物がいまだ残っている。