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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

高雄州(里港庄土庫千歳村) 千歳社

2009-05-30 01:25:57 | 高雄州
台湾南部の移民村である日の出および常磐村と同じように千歳村も「菸草移民村」と呼ばれた。煙草移民として昭和11年(1936年)4月入植、老濃渓新生地に建設された。500甲の耕作面積を持ち、上里・中国・川北・下平の4つの聚落があった。100戸・487人規模の移民村であった。九州からの移民が多く、鹿児島県出身者が多かった。
現在の屏東県里港郷の土庫が現在の場所であり、この3箇所の移民村の中では最も開拓面積が大きかった。
近所の方々の案内で神社は土庫小学校校内奥にあったことがわかった。現在は基座の前の部分が追加されたとなっているが今でも基座と神社を取りまいていた樹が当時の面影を残している。当時の神社には鳥居と手水鉢があったようである。いつ頃に神社が取り壊されたかは不明であるが民国51年(1976年)までは本殿の基座があったとのことである。


神社が建立された場所である


中和路に沿って当時の煙草葉乾燥工場の建物がいまだ残っている。
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台南州 (嘉義郡蕃地) 原住民部落神社---サビキ社、タッパン社、トフヤ社

2009-05-23 00:30:38 | 台南州
阿里山郷に建立された6箇所の神社はララウヤ祠の昭和8年(1933年)12月12日を除いては、全て昭和8年12月17日に一斉に鎮座している。今週はこの内の3社を紹介する。残念ながら神社の遺跡は全く残っていないがこの場所にも部落神社が建立された。
筆者が訪れた最初の神社は阿里山の麓に位置する山美村のサビキ祠である。神社は現在の山美派出所裏の山美託児所あたりに建立された。しかし、いつ頃の台風か不明であるが、台湾中部を襲った台風で山が崩れ、神社もろとも破壊されたようである。僅かに残る石垣が神社の名残を留めているかのように見える。

サビキ社

タッパン祠は達邦国小の右奥にある貯水タンクあたりに有ったようであり、阿里山郷に建立された6箇所の神社のなかでもタツパン祠が規模的にも大きく立派であったようである。この神社も例外にもれず、神社の遺跡を示すものは見つからない

タッパン社

このにあった神社を特定するには非常に難しかった。付近の原住民に聞いても全く判らない存在であった。最終的に特富野社区9隣239号の家の裏にある野菜畑が神社のあった場所であることが分かった。

トフヤ社
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台中州(新高郡魚池庄) 魚池神社

2009-05-15 23:14:00 | 台中州
將介石生前中、避暑用として使用していた別荘がある日月潭から北に向かうと、魚池郷という町がある。魚池神社はこの町の魚池農会の裏側にあり、ちょうど、当時あったと思われる参道には現在南投県魚池郷公所が建築中であった。工事現場の裏には壊れた石燈籠、わずかな石段と石段を登ったところにある2基の石燈籠のみが残っているのみであった。その後の調査で、幸いなことに神社の狛犬が秀水巷の麒麟宮代化堂にあることがわかった。




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2009年春 取材旅行

2009-05-09 00:14:50 | 取材旅行
今年もゴールデンウェークを利用して台湾での取材活動を行いました。台北→基隆→台中→員林→彰化→鹿港→埔里→南投→高雄→屏東→岡山→埔里→台北→宜蘭→台北と急ぎ足で45箇所を廻ってきました。遺跡の再確認がメインであり、新しい神社の探索は5箇所のみでした。今後、このブログで紹介していきますのでご期待ください。

埔里では3日滞在することになりました。これまで何とかお会いしたいと思っていた相楊さんに思いもかけずにめぐり合え、楽しいお話をさせてもらいました。
相楊さんは「風中緋櫻」の著者であり、本書は昭和5年10月27日、新高郡蕃社霧社で発生した不幸な「霧社事件」の歴史的史実を記したものです。
運良く、埔里で台中県私立青年高級中学/台湾青年舞團による相楊さん原作の「風中緋櫻」に基づいた「賽徳克之歌 風中緋桜」が公演されるというので観賞することもできました。5/16 19:30より台北国父記念館でも上映されますので台北滞在のかたは是非観賞をお勧めします。

また、来週より神社の遺跡の紹介をいたします。


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新竹州 尖石祠

2009-05-02 23:08:30 | 新竹州
内湾からさらに奥に入り、尖石二段橋を渡ると嘉楽村に辿り着く。そのまま道路沿いに行くと「中国国民党 台湾省新竹県尖石郷党部」の建物があり、そこの小道を道路沿いに登って行くか、または嘉興小学校から上がってゆくと尖石祠が建立された場所がある。付近の住民の案内で訪問をしたが、僅かに遺跡と判断が出来る石燈籠のかけらが野菜畑の間切りとして使用されていた。当時の写真から見ると参道はちょうどこの場所からが頭前渓と油羅渓に分岐している那羅渓を見下ろすところに有ったようである。この神社は1960年頃まではその存在を保っていたようである。
コメント (2)
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