台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

新化国民学校 奉安殿

2013-05-22 09:34:26 | 奉安殿

まず、奉安殿とは何かに付いて「ウィキペディア」より引用する。

御真影の下賜が始まった時期は、教育勅語が制定された後の1910年代であり、奉安殿の成立もその時期と推測される(小学校の奉安殿建築は1935年頃に活発化)。また学校への宿直も、この御真影の保護を目的として始められた面もある。

四大節祝賀式典の際には、職員生徒全員で御真影に対しての最敬礼を奉る事と教育勅語の奉読が求められた。また、登下校時や単に前を通過する際にも、職員生徒全てが服装を正してから最敬礼するように定められていた。

当初は講堂や職員室・校長室内部に奉安所が設けられていた。しかしこの奉安所の場合、校舎火災や地震などによる校舎倒壊の際などに御真影が危険に晒される可能性が高く、また実際に関東大震災や空襲、校舎火災の際に御真影を守ろうとして殉職した校長の話がいくつか美談として伝えられている。このため、さらに万全を期して校舎内部の奉安所は金庫型へ改められ、また独立した「奉安殿」の建築が進められた。前者の校舎一体型は旧制中学などに多く、後者の独立建築型は小学校に多く見られた。

 

これまで、私が見た奉安殿は苗栗県にある三義鄉建中國小(当時の三叉国民小学校)および新化国民小学校内に建立されたものである。三叉国民小学校の写真が見当たらないので、下記Websiteを参照して頂きたい。

 http://www.mlc.gov.tw/build/index-1.asp?Parser=99,6,30,27,,,9

今回は、台南市に残る新化国民小学校に建立された奉安殿を紹介する。幸いにも、関係者のご協力により内部を見せて頂いたので、その時の写真を見て頂きたい。

この奉安殿は昭和6年7月に起工された。工費898円の内、400円は街費、その他は父兄および有志の寄付により、翌年の1月29日に御真影が下賜された。

 

写真手前が奉安殿

  

五七の桐や鳳凰の文様が見える

扉を開けた状態

 

この中に教育勅語が収めらていた

 

奥左に残る保管説明書。戦後は学籍簿などが収められていたようである

コメント (2)
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