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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 (基隆) 富貴稲荷社

2009-12-26 08:40:19 | 台北州

現在の富貴市場の入口


富貴神社お祭りの写真で、稲荷大明神の幟が見える。なお、後方は基隆座であった

当時の義重町5町目から6丁目にかけてはまさに日本人のための商店街であった。その中でも基隆市哨船頭富貴市場は規模も大きく義重町5町目の一角を占めており、庶民の台所であった。裏には基隆座もあり、いつも賑わった場所であった。
この富貴市場の裏手に稲荷神社があった。
昭和5年(1930年)には初午祭が執り行われている記録があるが、神社の建立は大正時代のようである。
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台東廳 (台東郡大武庄字大武) 大武社

2009-12-19 01:33:52 | 台東廳



出典:東台湾展望

神社が建立された場所には現在、台東林區管理處林務局大武工作站となっている。神社の面影は修復された石段のみである。
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花蓮港廳 平林祠

2009-12-12 09:24:14 | 花蓮港廳
大正7年(1918年)に東台湾木材合資会社が設立された。それ以降、この地平林は伐採した木材の輸送拠点となった。木材の伐採は主に大安山北側の檜であった。この地が木材の作業場として選ばれたのは付近に原住民のが無く、いわゆる「蕃害」が無かったためである。
豊濱小学校横の小道を入ったところにあった。ちょうど運良く小学校裏の住宅に住んでいるアミ族のご老婦人に合うことができ、神社のあった場所を案内して頂いた。神社としては非常にこじんまりとしていたようである。鳥居の礎石もわずかに残っており、形から小さな鳥居であったことがわかる。
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高雄州 日の出神社(移民村神社)

2009-12-04 23:26:38 | 高雄州
神社が建立された場所である

日の出村は「菸草移民村」とも呼ばれ、昭和10年(1935年)に125甲(366,750坪)の耕地面積をもって屏東郡九塊庄の武洛渓下流に建設された。専売局の指導により黄色種のタバコの栽培を積極的に推進した。入植者は台湾島内の日本人と熊本県・栃木県および鹿児島県から移民してきた計25戸・111人であった。先発隊として佐賀県出身30家族、155名が昭和11年(1936年)7月2日、高千穂丸に乗船して台湾に向かった。
日の出神社は入植後5年経った昭和15年(1940年)に皇紀二千六百年を記念して建立された神社である。現在、遺跡は全くないが神社は現在の恵農小学校(屏東県九如郷東寧)内のバスケットボールコートの傍に建立された。
今なお、この地には当時の煙草葉乾燥工場が歴史を物語る遺跡として残っている。
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