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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台東庁 里都神祠

2012-10-27 07:56:50 | 台東廳
昭和15年12月22日鎮座
祭神:祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王

 台湾総督府文教局社会課発行の台湾に於ける神社及宗教(昭和18年3月度)には里都神祠が台東廳関山郡蕃地に建立されたとの表記があり、早速、台東県海端郷に向かった。2005年12月のときであった。
 但し、ただし神社の場所は全く特定できておらず、海端村新武路でお会いしたご老人より、利稲村に神社があるということで初来から南部横貫公路に入り、ブノン族のご老人に尋ねることにした。日本統治時代の里都は「リト」と呼ばれ、里都=利稲と判断したからである。現在の利稻村は、初来より28Kmの標高1,068メートルに位置する小さなである。利稲小学校付近にある民宿のご婦人の案内で神社の建立された場所を確定することが出来た。場所は利稲小学校右奥の山中に南向きにあったとのことである。残念ながら神社の遺跡を示すものは何も無かった。


利稲小学校の右奥の山中に神社があった
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台南州 新町稲荷社---訂正

2012-10-19 22:35:41 | 台南州
以前、新町稲荷社についての内容で、この神社は「林デパート」の屋上にあったと書きましたが、これは間違いでしたので、訂正いたします。
新町稲荷社は、大正12年3月3日に「台南市新町1ノ48-49蕃地」に鎮座しております。一方、林デパートは、昭和7年に創業を開始し、林デパートの私設神社とし、その屋上に建立されましたので、この2社は一致しません。
新町稲荷社は、当時の台南新町遊廓内に建立されたものです。この場所は、現在の府前路2段と金華路3段のあたりと推定しておりますので、次回調査時には再確認するように致します。なお、新町稲荷神社の祭神は、当時の武蔵野の国 穴守神社の分霊(倉稲魂神)を迎えております。

補足:現在旧林デパートは修復工事中であり、2013年1月26日竣工予定。その後は工芸博物館として開館されるようです。
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台南州 鹽水国小(小学校)校内神社

2012-10-10 15:53:07 | 台南州
鹽水小学校の校史沿革を見てみると、鹽水小学校は明治31年(1898)7月に現在の鹽水郵便局の場所に嘉義國語傳習所鹽水港分教場として設立され、同10月には鹽水港公學校として創立されている。大正10年(1921年)には鹽水公學校、昭和16年(1941年)には鹽水國民學校と名称を変えている。ここまでが日本統治時代の校史である。従って、悠に100年以上の歴史を持つことになる。校内にはその歴史を象徴する樹齢100年の黒板樹がある。
校内には小さな神社があったが、終戦後取り壊され孔子廟に建て替えられた。そして、そのは孔子廟も荒れ果てた形で校庭の隅に置き去りにされた。
2008年に入り、嬉しいニュースが入り込んだ。行政院文化建設委員会と台南県政府の共同出資により、神社が復元されたとのことである。修復された神社を見るために、2010年5月、久しぶりに訪問した。職員の温かいおもてなしを頂いた。神社の修復もさることながら、壁に沿って飾られていた短冊を見て、心の底から大変嬉しい思いがした。

この神社も他の校内神社と同じように児童の敬神観念を涵養せしむるために保護者会、職員および一般の有志からの寄付により建築費500円をかけて建立(昭和11年3月鎮座)されたものであった。



修復前の校内神社

修復後の校内神社

案内板

竹の短冊に書かれた訪問者の思い
コメント (1)
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