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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州  基隆仙洞弁天宮

2009-09-26 00:44:29 | 台北州



神社旧景

基隆仙洞辨天宮は大正9年(1920年)には建立されたようであるが、一説にはもっと古くに辦天宮として形をなしたとの情報もあるようである。

仙洞は基隆の北西にあり、海水によって侵食された洞窟である。現在は海岸が隆起したため海よりは10メートル以上は離れている。一説によると仙人がこの場所で修行を行い、天に昇ったとされるため仙洞と呼ばれる由縁である。洞窟の正面の上部には黄金の仏像が鎮座し、階段を上れば「仙洞巖」と刻まれた碑文がある。洞窟正面の両側にある石像の光緒年間に刻まれた碑文がある。



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台東廳 新武呂祠

2009-09-19 00:33:51 | 台東廳


新武呂は日本統治時代にはシンブロと呼ばれた。神社の場所は海端郷海端村10隣新武呂42之3の裏山にあり、整った石段を上がってゆくと山の岩肌に沿うように石段が残っているのが見える。この様に岩肌を背に建立された神社を見るのは初めてである。基壇の上には立派な本殿と小さな鳥居があったとのことである。
正確な鎮座日は不明であるが、少なくとも昭和9年(1934年)7月にこの祠は存在していたことは事実である。
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花蓮港廳 馬太鞍遙拝所

2009-09-12 00:43:53 | 花蓮港廳



この神社は遥拝所であった。聞きなれない名前かもしれないが、遥拝所とはこの場所を経由して「神社」に参拝するところであった。例えば、花蓮港神社や台湾神社などがその対象であった。

馬太鞍遥拝所は現在の光復郷中山路3段に在った。光復後に台湾基督長老教会馬太鞍教会として変貌をとげていた。花蓮県では唯一この神社が教会として建て替えられた所である。当時檜造りの神社本殿の周囲は松の木で囲まれており、ちょうど現在の教会入口の門辺りには大きな鳥居があり、すぐ傍には一対の狛犬が配置されていた。

馬太鞍はマタアンと呼び、日本統治時代は上大和の地であった。
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高雄州 (恒春郡恒春庄鵝鑾鼻505番地) 鵝鑾鼻社

2009-09-04 23:14:38 | 高雄州

神社が建立された場所である


鵝鑾鼻は台湾のバーシ海峡を見渡す最南端にあり、この地に建立された神社が鵝鑾鼻社である。鵝鑾鼻社は交通局逓信部が中心となって鵝鑾鼻燈台横の恆春鎮燈塔路80のあたりに境内総坪数327坪、工費3,500圓にて建立された。現在は高雄関税局員工訓練活動中心となっている。
祭神は台湾神社および讃岐金刀比羅(琴平)神社の分祠である。また、鵝鑾鼻燈台のそばには台湾日日新報社が建立した「台湾八景 鵝鑾鼻」と刻まれた記念碑が残っている。
コメント (2)
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