台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

高雄に残る日本時代の遺構(下)ーーー第六燃料廠洞窟

2019-12-29 18:38:15 | 日本統治時代の遺構と遺物

2002年10月、半屏山西南部の道路工事の際、偶然に洞窟の一部が現れた。2009年頃になり、第六燃料廠のものであることが初めてわかった。
 太平洋戦争が始まった1941年、日本海軍は国内、朝鮮および台湾の3地点に計6ヵ所の石油精錬工場を建設した。台湾には3ヶ所の工場(新竹、新高、高雄)が建設され、第六燃料廠と呼ばれた。
 1944年4月1日に高雄工場が稼働した。主な生産は飛行機用の気油、船舶用の重油、そして飛行機用の潤滑油であった。しかし、蒸留工場建設時に米軍の空襲によりそのほとんどの設備が破壊され、幾度となく生産が大幅に妨げられた。そのため、海軍は民間人を動員し、秘密裏に半屏山の西南にあたる山麓を開削し、製油設備を移転した。この開削工事は僅か3ヶ月程度で終了したといわれている。それだけ急を要したのであろう。開削された洞窟は3つあり、合計9個の坑道を有した。それぞれの洞窟は奥行き60m、高さ5m、幅6mにおよび、トラックが悠々通過できる規模であった。
 戦後、第六燃料廠は中華民国海軍のものとなり、最終的には中国石油公司に継承された。
 今回、日本人として初めて原油製造装置洞窟と酸素工場・工作機器洞窟に入ることができた。洞窟内部では当時のボイラーの台座、煙突などの跡を見ることができる。

半屏山地図

洞窟の位置


潤滑油製造装置洞窟と酸素・工作機器洞窟内部

洞窟入口

 

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日治時期高雄神社「社號碑」 消失8年重現已斷成兩截

2019-12-27 10:48:35 | 高雄州

現在的高雄忠烈祠,是日治時期高雄神社的所在地。內政部63年公布「清除台灣日據時期表現帝國主義優越感之殖民統治紀念遺跡要點」,台灣各地的神社被大規模拆除,高雄神社僅剩大鳥居、一對狛犬、及大東亞戰爭的紀念碑。2011年高雄神社社號碑被發現棄置在千光寺後面的羽毛球場裡面當座椅使用,羽毛球場整修後不知所終。時隔8年,文史工作者重新發現這塊日本昭和七年的「高雄神社社號碑」。

高雄市舊城文化協會總幹事郭吉清表示,8年前高雄神社社號碑消失不知去向,文史界流傳是被偷竊運走了。結果今年8月有網友將斷成兩截的高雄神社社號碑照片Po上網,說明沒有被偷竊,還安全的被保存在忠烈祠不遠處,燃起了文史界的希望與興趣。

但原Po網友考量古物安全,不願意公開留置地點。經文史工作者陳高川與郭吉清聯繫原Po照者,取得信任後,並與忠烈祠管理單位高雄市民政局兵役處聯絡,現勘後,確認目前擺放在忠烈祠倉庫外的石碑,就是消失8年的高雄神社社號碑,但已斷成兩截。

日籍台灣神社專家金子展也、文史工作者郭吉清、廖德宗與原Po者劉姓網友,日前一起到忠烈祠倉庫外初勘。金子展也指出,將斷裂的兩段花崗石組合後後,完整呈現「縣社 高雄神社」、「昭和七年五月二十八日建之 高雄市 和氣滿壽太」等完整字體。昭和七年4月22日是高雄神社升格為縣社的重要記載年代日期,5月28日由「和氣滿壽太」奉獻這塊社號碑。

根據廖德宗的一項調查,發現碑是高雄市山下町賣榻榻米、百貨商品的「和氣商店」老闆「和氣滿壽太」所捐贈。高雄神社於1928年、昭和三年搬遷到壽山的山坡上,11月8日將打狗神社更名為高雄神社,並舉行了鎮座祭祀。此時,以特別神社建設捐贈者吉名的名義列出了和氣滿壽太,他向高雄神社捐款300日元。社號碑紀念物可能在參道的途中,在鳥居門前的平台上。

郭吉清表示,碑上神社兩字被糊上水泥,打了三根鋼釘,還被塗上藍紅油漆。據4年前管理過忠烈祠的劉先生說,當年剛到任時社號碑就在倉庫目前的位置,且是斷成兩截的,判斷應是當年從羽球場移入倉庫時斷裂的。

高雄市文化局副局長林尚瑛表示,「高雄神社社號碑」應會以古物來處理,已請舊城文化協會提報,若收到提報表將啟動古物審議程序。

台灣神社專家金子展也、文史工作者郭吉清、廖德宗與劉先生(左至右),讓日治時期高雄神社的「社號碑」重現世人眼前。圖/高雄市舊城文化協會提供


日治時期高雄神社的「社號碑」消失8年後,重現世人眼前。圖/高雄市舊城文化協會提供


日治時期高雄神社的「社號碑」被發現時,已斷成兩截。圖/高雄市舊城文化協會提供


日治時期高雄神社的「社號碑」消失8年後,重現世人眼前。圖/高雄市舊城文化協會提供

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高雄に残る日本時代の遺構(上)ーーー鼓山防空壕

2019-12-26 06:54:43 | 日本統治時代の遺構と遺物

高雄市政府が観光スポットして今年5月から一般開放した防空壕がある。今のところ年内一杯で終了する。場所は高雄市政府工務局のそばであり、忠烈祠に向かう石段左側にある。
防空壕入口は分厚いコンクリートに覆われており、米軍の空襲を防ぐためであることがすぐにわかる。内部は長さ200メートル、高さ3メートル、幅2・5メートルの坑道になっており、日本統治時代の壁に戦後コンクリートが塗られ、70年以上経過した坑道の内部には鍾乳石の結晶が所々に見える。途中から、壁一面が長距離に渡って発泡スチロールで覆われている。これは、中の音が外に漏れないようにする完璧な防音対策であるが日本統治時代のものではない。
 戦後、この防空壕は白色テロ時期に成立した「南区警備総部」が使用し、1958年の白色テロ、そして1979年の美麗島事件などで多数の政治犯の取り調べや拷問を行う場所として何度か内部の一部が改造されたものである。このことは、この防空壕にある4つの収容室と2つの取調室からわかる。特に、取調室に残るアルミ製の椅子や手錠などはその当時に使用されたものであろう。
 詳しい年代は不明であるが当時は近くに鉄道列車修理工場、宿舎や高雄港駅があり、数多くの日本人を含む工員が住んでいたため、台湾総督府交通局鉄道部が避難用に作った防空壕である。現在の坑道は入口が2つのU字型になっており、内部の構造は「丹」の字のような形をしている。また、別な入口か出口か不明であるが鍾乳に覆われた64段の階段もある。内部には800人程度が収容できるようであるが、単なる避難通路に見える。
1951年の地盤沈下により防空壕内に一部の亀裂が発生したことにより、現在の坑道とは別の空間の存在がわかった。恐らくこの空間が避難所である可能性が高く、防空壕の規模がいまよりは遥かに大きかったことが推測される。
(一般開放は年内で終了)

現在の高雄市長 韓国瑜を真似ている

入口

壁全体は発泡スチロールが貼られている

政治犯を訊問した部屋

出口か?石段は鐘乳石に覆われている

 

 

 

 

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高雄神社 社号碑の発見

2019-12-20 20:39:43 | 高雄州

現在の忠烈祠が高雄神社の鎮座地である。敷地内には比較的多くの遺物が残っている。これまで知られているのは狛犬、大東亜戦争完遂記念塔、灯籠、宝珠などであったが、今回、高雄の神社跡地訪問ではいつもお世話になっている高雄市文史工作者の郭吉清さん、廖德宗さんに加えて高雄市政府兵役処の劉さんとともに新たに「社号碑」、「灯籠」や「鳥居」の一部分などを発見することができた。

 

1)      社号碑

最大の発見である社号碑は忠烈祠境内の倉庫敷地にあった。2つに割れた社号碑を繋ぎ合わせることに成功すると、見事に「縣社 高雄神社」 「昭和七年五月二八日建之 高雄市 和氣満壽太」が蘇った。まず「昭和7年」は高雄神社が県社として列格した年であるため、非常に価値のあるものである。列格日は昭和7年4月22日で、列格後すぐにこの社号碑が献納されたことになる。そして献納者は和氣満壽太であり、廖德宗さんの調査によると高雄市山下町1-16で畳業を営む和氣商店の店主であったことが判明した。高雄神社が昭和3年(1928)、寿山の山腹(現在の高雄市忠烈祠)に遷座し、同年11月8日に、これまでの打狗神社から高雄神社となり、鎮座祭が執り行なわれた。この時、和氣満壽太は神社造営特殊寄付者芳名の中に記載されており、高雄神社鎮座に向けて300円の大口寄付をしている。

恐らくこの社号碑は参道途中にある鳥居前の基壇にあったものと考えられる。

<再訂正>社号碑の献納者は和氣寿満夫ではなく和氣満壽太に訂正しました

最初の状態

繋ぎ合わせた社号碑の表

繋ぎ合わせた社号碑の裏

2)      灯籠

 高雄神社の大灯籠(常夜灯)は不完全ながら2基残っているが、一般の灯籠は全く見つかっていない中、廖德宗さんが最近寿山国家自然公園遊客中心(鼓山区萬壽路301号)の敷地内に見つけたものである。この場所は、もともと社務所があった場所であったようで、下記の灯籠の一部は道路そばの藪の中にあった。「奉獻 沖縄縣人同志會」 「昭和七年十月二八日建之」と刻まれている。この記述から灯籠は県社に列格した初めての例祭日に献納されたことを意味する。

3)      鳥居

忠烈祠に向かう途中に赤く塗られた楼門がある。これは高雄神社の鳥居が変形して使用されているものである。これとは別に「昭和四年四月□□日建之」を刻まれた鳥居の一部が脇の石階段そばに残っている。時期の表記から高雄神社が寿山に遷座して間もなく建立された鳥居となる。

4)      街灯

これまで気が付かなかったが、境内に3本の街灯がある。これとほぼ同じような街灯は台湾神宮跡地であった圓山大飯店の敷地にも見ることができる。

5)      その他

最近、新たに高雄神社の雰囲気をだすためか8基の灯籠が立てられていた。

 

 

 

 

 

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