台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台南州 大崙社

2009-01-31 08:40:53 | 台南州

奥の公園入口後方に神社が建立された

石燈籠の笠の部分である

過去の隆盛を極めた姿は今なお残る旧斗六製糖所内の施設に見ることが出来る。この工場に働く職員の子女の小学校、工員宿舎、娯楽施設や公園などである。また神社も建立された。光復後、娯楽施設は招待所となり、公園は斗園と呼ばれた。現在、招待所は廃墟となっているが、斗園は造園技術を駆使して作られ、工員の憩いの場でもあった。今なお当時の栄華を彷彿させる面影を残している。雑草が茂って神社のあった場所までは辿り着くことが出来ないが、高く聳える杉の木で神社存在場所は判断できた。
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台南州 曾文神社

2009-01-31 08:38:57 | 台南州
曾文神社の場所は警察廣播電台台南台の敷地内にあり、何も神社の存在を示すものは無いと思っていた。台南大学台湾文化研究所卒業の徐正武さん(現在は高雄県阿蓮郷復安国民小学の教師)の案内で再訪問することになった。神社の敷地は一部警察廣播電台を含むのかもしれないが、ちょうど警察廣播電台の裏辺りであった。この辺りには光復後、外省人が多く住んだこともあって、この地に神社があったことは知らないようである。今でも神社の石垣が民家を取り囲んでいる。石段手前には拝殿の柱の跡を見ることが出来き、石段の上には柑畑があり、帛殿の跡がある。残念ながら本殿の位置は柑畑に変わっているため確定することが出来ない。
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台南州 新化神社

2009-01-17 10:17:57 | 台南州



本殿があった場所である

虎頭埤は新化鎮虎頭山麓にあり、風光明媚な場所である。台湾でも最も早くに出来たダムの一つであり、現在、台湾12勝景の一つとして数えられている。周囲7Kmにおよぶ湖や吊橋などの美しさで、故蒋介石は「小日月潭」と絶唱したようである。この虎頭埤に新化神社があった。

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台南州 新町稲荷社

2009-01-17 10:16:27 | 台南州
現在の忠義路と永福路の間にある中正路は当時「末廣町銀座」とも呼ばれた通りでもあり、この中正路と忠義路2段の交差点そばに昭和7年(1932年)に梅澤捨二郎の設計により建設された五層褸仔とも呼ばれた台南でも最大の規模を誇った林デパートがあった。一階はタバコ、化粧品および靴、二階は衣服、帽子およびネクタイ類、三階は布および寝具類、四階は玩具および厨房用具類、五階は食堂、電動馬および熱帯魚類、六階は機械室そして稲荷神社があった。現在は廃墟になっているが、1997年に市政府の指定文化遺産に指定され、保存されることになった。
この林デパートの屋上に新町稲荷社があった。屋上には完全な形ではないが鳥居と石燈籠がいまだに残っており、神社遺跡としては申し分のないものであった。神社が屋上にあったことが遺跡の保全に役立ったのではないかと思われる。
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台中州 田中神社

2009-01-17 09:42:06 | 台中州




現在、田中神社は1957年に開山された釋迦牟尼佛を奉る鼓山寺となっている。お寺として使用されたためか神社の遺跡も多い。まず、目に付くのが「田中神社造営費特別寄付 昭和十四年十月三十日鎮座祭執行」と刻まれた碑であり、51名の寄付者の名前が刻み込まれている。更に、鼓山寺に向かって両側に田中消防組(組長:保坂監次郎以下の名前も刻み込まれている)より奉納された石燈籠が一対残っている。また、石燈籠の残骸が3箇所に散在して残っている。更に、社務所の建物が長い月日を隔てて今なお残っている
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