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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

花蓮港庁 佐久間神社

2011-08-18 21:40:36 | 花蓮港廳
鎮座日:大正12年(1923年)12月8日  祭神:大己貴命、佐久間佐馬太  例祭日:1月28日  社格:無格社
鎮座地:花蓮郡蕃地タビト社                                             
現住所:花蓮県秀林郷富世村天路

佐久間神社は太魯閣国立公園の天祥に建立された。この地は以前タイヤル族のタビト(塔比多、Tapido)があったところである。タビトとはタイヤル語でシュロの木を意味している。現在、この場所は文天祥塑像となっており、1960年に台中から花蓮を結ぶ東西横断道路が開通したときに大理石で造られた「正気歌」の碑文建てられた。文天祥とは南宋の人間で、20歳のときに科挙を状元(首席の事)で合格し、のちに丞相になっている。蒙古軍が大挙して南宋を襲来したとき、文天祥は私財をなげうって兵を募り、蒙古軍に抵抗したが、最後は捕らえられ、牢獄に入れられ処刑された。「正気歌」は、文天祥が獄中にいるときに作られた歌である。現在は本殿への石段と石垣のみがわずかに残っている以外神社の遺跡はない。

台湾に建立された神社の中で唯一、佐久間神社だけが日本統治時代の総督を祀っている。これは佐久間総督が多発する原住民の大規模蜂起を掃討(そうとう)するために理蕃政策を実施し、偉大な成果をあげたためである。なお、台湾東部においては最後までタロコ(太魯閣)社が抵抗したようである。明治29年(1896年)の新城事件、明治39年(1906年)の威里事件を経て、佐久間総督の就任期間であった大正2年(1913年)の「太魯閣の戦役」においてはすさまじい討伐作戦が展開され、数多くのタイヤル族、アミ族と日本人が亡くなっている。


正気歌の碑文を背に立つ文天祥塑像


当時の神社。奥に本殿が見える
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