台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

12月号の「なるほど・ザ・台湾」新城社と深堀神社

2013-12-21 07:30:25 | Weblog

今月号の内容は、「新城社~タロコの悲劇を物語る瘞骨(えいこつ)碑」と「深堀神社~東西横断線に臨んだ深堀安一郎」の2本です。

当時の花蓮港で発生した「ウィリー事件」や「チカソワン事件」については一般に知られていますが、これらの事件の引き金となった「新城事件」については余り詳しい記述がありません。今回は、往時の新城社の場所に残る「殉難將士瘞骨碑」とは一体何であるかを調べた結果、「新城事件」にたどり着きました。紙面の関係で十分書ききれていませんが、ご一読ください。

また、一方の深堀神社。日本統治時代初期の明治29年に、東西を結ぶ鉄道路線の施設調査が行われています。南投の埔里から中央山脈を越えて花蓮港に至る路線です。必死の覚悟で臨んだ深堀大尉率いる一行14人ではありましたが、途中の山奥で消息を絶ち、全員殺害されたと言われています。深堀大尉を祀る小さな祠が初音に作られました。現在の、西寧寺の場所です。現在、このお寺では不動明王が祀られています。深堀大将が見守りとしていつも肌に着けていたお守りも不動尊のお守りでした。これら2つに何らかの関係があると思っています。

今年も一年、「台湾に渡った日本の神々」にお付き合いいただき、大変ありがとうございました。来年も神社を通して往時の台湾を見てみたいと思います。

また、別途お知らせしますが、来年3月29日(土)に神奈川大学非文字資料研究センターが主催する開研究会が横浜で開催されます。この研究会では台湾から講師をお招きし、台湾の造営された神社について色々な角度から考察する研究会となる予定です。是非、ご参加ください。

 

コメント (2)
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お知らせ

2012-12-10 21:43:55 | Weblog

ブログの新規投稿の際、画像の読み込みができなくなりました。従いまして、この不具合が直るまでブログの更新は中止致します。

ご了承願います。

※どなたか、この不具合の処理方法が分かりましたら教えて下さい。

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台東庁 大麻里祠

2011-11-26 00:26:46 | Weblog

鎮座日:大正12年(1923年)12月22日
祭神:天照大神、豊受大神、明治天皇
例祭日:4月14日  社格:社
鎮座地:台東郡太麻里庄太麻里 現住所:台東県太麻里郷大王村---太麻里徳其里2之6の前

 地元のパイワン族ご老婦人によると神社は現在の太麻里徳其里2之6号付近にあり、1957年までは基壇と鳥居があったが、その2-3年後には全てが取り壊されて民家が建てられたとのこと。今はその民家も既に廃墟となっている。なお、お話を聞かせてくれたのは現在の名前を陳初玉さんと言い、日本統治時代は天野初子さんであった。


神社があった場所
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台南州 龍岩社

2011-11-18 23:05:22 | Weblog
鎮座日、祭神、例祭日:不明
現住所:雲林県褒忠郷龍岩村 

 田洋村長である章文旗さんの紹介で龍巖小学校校長の黄麗醫さんにお会いし、日本統治時代の様子を聞くことが出来た。また、その時頂いた鳥居の写真が下記に掲載している。現在の龍巖国小は昭和11年(1936年)1月に台南州虎尾郡龍巖尋常小学校として設立の許可が下り、同4月には日本人の子弟46名を対象にして、当時の1年生から6年生までの複式授業(一年起至六年複式教学)が行なわれた。終戦までには117名の卒業生を輩出している。2004年には創立70周年記念事業が行なわれ、日本統治時代に龍巖尋常小学校で学んだ卒業生も数多く参加したとのことであった。
 龍巖製糖所は昭和10年(1935年)に大日本製糖会社が現在の雲林県褒忠郷田洋村に建設した製糖工場であり、領台後の最後の圧搾量1,200トンをもつ製糖工場でもあった。龍岩社はこの龍巖工場の企業神社であった。神社は龍岩小学校のグランドの北側の臥龍山中腹に建立された。神社の姿を残す写真は唯一、龍巖小学校の「創校70周年 校慶特刊」に掲載されていた神社の鳥居のみであった。
 臥龍山の麓には「臥龍山」と刻まれた石碑があった。この石碑は現在、虎尾糖廠前の同心公園に遷座されている。裏には「昭和十年十月十八日命名 藤山雷太」と刻まれている。臥龍山の山の形が龍に似ているため、臥龍山と名付けられた。藤山雷太は大日本製糖会社の社長であった。


神社は後方の小山の山中にあった
 
神社の鳥居                  「臥龍山」と刻まれた石碑  
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高雄州 海豊産土社

2011-11-11 23:36:19 | Weblog

鎮座日:大正9年(1920)3月3日  祭神:天照皇大神、倉稲魂神、猿田彦命、大宮能賣命、安徳天皇、建禮門院、二位局、建御雷神、經津主神、鹽土神、大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、大和武尊、外二柱  例祭日:3月3日  社格:社
鎮座地:屏東郡海豊546番地                            
現住所:屏東市海豊街---海豊街91巷20の前

海豊産土社があった所を尋ねていた時、偶然にこの土地に住む李清水さんに会うことができた。李さんは日本統治時代には小学校の教員をやっておられたとのことである。李清水さんの案内で海豊産土神社が建立された場所に行った。場所は海豊街91巷20の前の空地で、訪問時は何も無い雑木林であった。李清水さんによると、海豊街一体は台湾製糖株式会社阿緱製糖所の土地であり、海豊産土社は台湾製糖株式会社阿緱製糖所宿舎内に建立された企業神社であったという。

海豊産土社ほど祭神が多い神社は台湾にはなかった。何故これだけの祭神が祀られたのか、また祭神と台湾製糖会社阿緱製糖所の関係は何であるかが非常に興味のあるところである。この神社の祭神を大別すると、次の通りになる。
① 皇室の皇祖神としての天照大神
② 台湾の神社に祀られた標準的な大国魂命、大己貴命、少彦名命の三神一座と能久親王
③ 安徳天皇、建禮門院、二位局を祀る福岡県久留米水天宮系の祭神
④ 倉稲魂神、猿田彦命、大宮能賣命を祀る稲荷系の祭神
⑤ 鹽土神は鹽土老翁神(しおつちおきなのかみ)のことであり、漁業や製塩の技術を伝えた神としても有名である。また、海路を司ったとされており、出産は潮の干満に関係していることから、その満潮時の無事安産を祈って、潮路の神から安産守護神ともされている。鹽土神を祀る神社として宮城県釜石の塩竈神社や滋賀県伊香郡西荒井町の塩津神社がある。
⑥ 日本武尊が祀られている神社は台湾ではここ一社だけである。日本武尊を祀る神社として福井県敦賀市の気比神宮と滋賀県大津市の建部神社がある。これらの祭神から海豊産土社は滋賀県と福岡県で漁業または製塩に関係があった土地ではないかと想像される。


水田の奥が神社の鎮座した場所であった
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