台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台南州 關子嶺(かんしれい)神社

2011-09-30 23:35:31 | 台南州
鎮座:昭和16年(1941年)10月24年
祭神:天照大神

 この神社の存在は1958-1959年に台湾政府によって行なわれた「台湾宗教調査」の中で発見した。關子嶺社は日本統治時代から有名な關子嶺温泉地に昭和16年10月24日に天照大神を祭神として鎮座した。当時は神社にたどり着くためには「三百石段石崎(現在の好漢坡)」を上り詰めなければならなかった。
 關子嶺社は昭和23年(1948年)に取り壊され、その後、神社は小さな孔子廟となり、温泉博物館、第二代孔子廟を経て、現在は村民の集会所を兼ねた建物と変貌を遂げている。
 關子嶺温泉は台南東部の海抜270メートルの山間(台南県白川鎮)にあり、泥温泉として有名なところである。明治31年に発見されており、ゆうに100年以上の歴史を持つことになる。南台湾でもっとも有名な温泉の名所で、「全台八景」の一つに名を連ねていた。アルカリ温泉で、硫黄成分とミネラルを含み、入浴後は肌がすべすべし、万病に効くと言われている。
 嘉義客運嘉義バスターミナル(嘉義駅正面から地下道を通り、中山路を東に徒歩5分)から、白河経由関子嶺行きバスで約一時間。多少長旅になるが、バスの窓からゆっくり変わりゆく風景を見ながら楽しんでもらいたい。


神社のあった場所

当時の神社
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台南州  斗六神社末社大北勢神社

2011-09-15 21:46:44 | 台南州

鎮座日:昭和17年(1942年)3月11日  祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、豊受大神  例祭日:10月25日  
社格:摂末社
鎮座地:斗六郡斗六街大北勢70            
現住所:雲林県斗六市長平南路---斗六市長平社區活動中心前

斗六市長平路に南営大将軍がある。ちょうどこの裏の空地の斗六長平社区活動中心前に大北勢神社が建立された。敷地内に聳えるマンゴの木は当時のものであるということなので、有に70年の樹齢をもつことになる。大北勢神社には鳥居もなく、2-3基の石燈籠のみであったとのことなので簡素な神社であったのであろう。



今週の日曜日より、一週間神奈川大学 非文字資料研究センター 海外神社研究会のメンバーとして国弊神社および官幣神社を中心に海外神社の過去と現在を調査をしに台湾に出かけます。時間の関係で台湾に西部しか廻れませんが、また改めてブログを通じて公表できるかと思います。
上記により、来週のブログアップはありませんのでご了承願います。
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台北州 宜蘭農林学校校内神社

2011-09-08 20:34:50 | 台北州
昭和13年(1938年)5月13日鎮座
祭神:大国魂命他?

尚農神社は当時の宜蘭農林学校にあった。中等教育としての農林または農業学校は台南州立嘉義農林学校についで昭和元年に台北州立宜蘭農林学校が創立された。5年制の一貫教育がなされ、農業および林業の2科が設立された。第一期生の卒業生徒の数は75名で、内地人(日本人)25名、台湾人50名であった。現在は国立宜蘭大学になっており、同大学のホームページによると、初代の校長は台南州立嘉義農林学校の校長である柳川鑑藏となっている。その後、西崎茂、深谷留三、澤田義が歴任している。

神社遺跡は国立宜蘭大学の前身である国立宜蘭技術学院(1998年に名称変更)時代までは運動場の南側にあったようである。神社の建立は全教師よりの献金1,600円をもって行われた。現在は、本館前と右横に聳え立つ松の木だけが神社の面影を残している。


出典:宜蘭文献

神社のあった辺り
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台中州 大湖遥拝所

2011-09-01 19:48:36 | 台中州
鎮座日:昭和10年(1935年)頃?  例祭日:不明  社格:遥拝所
鎮座地:大湖郡大湖庄大湖898番地                     
現住所:苗栗県大湖郷大寮村亀山1号

 大湖戸政事務所前主任の葉輔政さん経由でお兄さんが大湖神社の管理人であった葉輔政さん(大湖郷文史工作者)にお会いできてこの遥拝所の場所を突き止めることができた。この遥拝所は法寶寺後方の巧徳堂奥にあった。昭和10年頃に建立されたようであり、宮城遥拝が行なわれたと言っておられた。昭和16年(1941年)3月25日に大湖神社が建立された後に大湖遥拝所は取壊されたとのことであるが、台湾総督府が昭和18年に発行した「台湾に於ける神社及宗教」にこの遥拝所は掲載している。従って、取り壊されたのは昭和18年以降であるかもしれない。


遥拝所のあった辺り

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