台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台中州 沙鹿社

2012-02-03 23:27:32 | 台中州
鎮座日:昭和7年(1934年)12月10日
祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、倉稲魂神、大宮能賣神、猿田彦命
例祭日:11月20日  社格:社
鎮座地:大甲郡沙鹿庄字斗底24       
現住所:台中県沙鹿鎮四平街38巷

大正9年(1920年)に沙轆を沙鹿に改めた。
この場所も探し当てるのが困難な場所であった。近所のご老人から遠い記憶の中から呼び起こしてもらい、寶安宮に向かった沙鹿鎮四平街38号付近であることが判った。現在は住宅が建てられており、神社の面影や遺跡を示すものは無い。福壽実業という飼料工場があるが、ご老人の記憶ではどうもこの会社の構内神社であったようであるが、50数年ほど前に神社は取り壊されたとのことである。その後の調査で判明したが、まさしくこの工場が以前の沙鹿製糖工場であった。
沙鹿製糖所は昭和17年(1942年)に操業を停止し、昭和18年(1943年)に花王有機株式会社に売却され、石鹸の製造が行われた。終戦後、油脂業接管委員会に接収され、台湾工礦公司所属の油脂分工場の一つとなった。1925年に事業は民間に移され、天香化学股份公司沙鹿油脂廠となり、石鹸の製造が継続された。1975年に営業を停止したが、その後経営者も変わり飼料工場となって現在に至っている。

沙鹿製糖所の前身は億源米糖株式会社沙鹿工廠であり、資本金20万円で大正3年(1914年)1月22日に創立し、製糖工場は現在の台中県沙鹿鎮(当時の台中州大甲郡沙鹿庄)に設立された。大正8年(1923年)にこの会社は数人の日本人によって買収され、資本金250万円で沙轆製糖株式会社が新たに発足した。大日本製糖株式会社の「台湾支社概況(昭和15年発行)」の沙鹿製糖所の沿革を見ると、大正10年(1921年)に沙轆製糖株式会社が沙轆工場および高美工場を合併し、圧搾能力300トンの新式工場に改築された。その後、沙轆製糖株式会社は昭和8年(1933年)に昭和製糖株式会社において事業が継続されるが、昭和製糖株式会社も昭和14年(1939年)に大日本製糖株式会社と合併した。上記の経緯から見ると、神社は沙轆製糖株式会社の時代に建立されたことは間違いない。


神社があった辺りである。神社は当時の会社重役宿舎東側の小丘に建立され、本殿手前には神橋があった。
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台中州 彰化神社

2011-10-28 21:16:28 | 台中州
昭和2年(1927年)7月17日鎮座
祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王
社歴:昭和3年(1928年)12月22日 彰化社より彰化神社に昇格 

彰化駅そばの八卦山に彰化神社があった。現在、彰化神社が建立された場所は八卦山文化歩道となっており、本殿の場所は太極亭となっている。ここも北白川能久親王の「御遺跡」として足跡が残る場所であった。

八卦山には八卦山大佛寺がある。彰化市を一望に見渡すことが出来る山頂に大仏が鎮座しており、その大仏に向かっての石段の両側に一対の狛犬がある。台湾の狛犬と思えないような阿吽行の造りである。恐らく彰化神社にあった狛犬に違いないと思われる。是非、どなたかに見てもらいたいと思う。


大極亭で、神社本殿があった場所である

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台中州 大湖遥拝所

2011-09-01 19:48:36 | 台中州
鎮座日:昭和10年(1935年)頃?  例祭日:不明  社格:遥拝所
鎮座地:大湖郡大湖庄大湖898番地                     
現住所:苗栗県大湖郷大寮村亀山1号

 大湖戸政事務所前主任の葉輔政さん経由でお兄さんが大湖神社の管理人であった葉輔政さん(大湖郷文史工作者)にお会いできてこの遥拝所の場所を突き止めることができた。この遥拝所は法寶寺後方の巧徳堂奥にあった。昭和10年頃に建立されたようであり、宮城遥拝が行なわれたと言っておられた。昭和16年(1941年)3月25日に大湖神社が建立された後に大湖遥拝所は取壊されたとのことであるが、台湾総督府が昭和18年に発行した「台湾に於ける神社及宗教」にこの遥拝所は掲載している。従って、取り壊されたのは昭和18年以降であるかもしれない。


遥拝所のあった辺り

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台中州 (能高郡埔里街) 埔里社

2011-08-11 19:17:03 | 台中州
鎮座日:大正15年(1926年)5月22日 祭神:祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王、天照皇大神 鎮座地:能高郡埔里街(台湾製糖株式会社製糖所 埔里工場) 現在地:南投県埔里鎮公誠路27---台湾製糖工場の前 埔里街西郊製糖所内台湾製糖株式会社埔里製糖所 台湾製糖株式会社の企業神社は合計で8社が建立されたが、それ以外のもう一社はこの台湾製糖株式会社埔里工場に建立された。大正15年(1926年)5月22日に構内に神社を建立し、台湾神社を祀ったがその後埔里街に能高社(鎮座日:大正15年5月22日)が祀られたために、製糖所内の神社をその遙拝所とした経緯がある。 工場の守衛室で神社が建立された場所を聞いたところ、ちょうど工場の前の道路をはさんだ対面にあったと教えていただいた。樹齢100年位と思われる松の木が生い茂る小さな公園の奥にひっそりと石座が残っていた。良く見ると、本殿に向かう参道右横には鳥居の礎石の一部と思われる遺跡と手水鉢と思われる遺跡が残っていた。 本殿があった場所 手水鉢である
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台中州  南投稲荷社

2011-06-30 10:07:08 | 台中州
この神社の情報は全くと言ってなかった。日本統治時代の当初に建立された稲荷神社が一般の神社にその姿を変えていることからこの稲荷神社も南投社に統合されたかまたは南投神社の末社になったものだと考えていた。
やっと2009年、台湾の友人の情報で鎮座地を探し当てることが出来た。この場所は明治製糖株式会社南投製糖所があった場所でもあった。従って、南投稲荷社は南投製糖所の構内神社であると判断される。
さて、この明治製糖株式会社南投製糖所の前身は中央製糖(株)であり、明治43年3月に創立されたが大正2年3月に明治製糖が合併をしたものであった。この辺の事情については改めて纏め上げたいと考えている。

鎮座日:大正元年(1912年)10月
祭神:倉稲魂神
社格:社
鎮座地:南投郡南投街三塊厝
現住所:南投市三和二路(南投県南投地政事務所)


南投県南投地政事務所
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