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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- スボン祠

2013-04-27 06:49:27 | 高雄州

スボン祠(屏東県春日郷士文村)

鎮座日:昭和15年5月15日、祭神:天照皇大神

 

大正9年の台湾地方改制の際、高雄州潮州郡の蕃地として10余のが形成された。昭和16年、台湾総督府は「スボン社」を現在の春日村西部へ移住させ、新集落に社名の「Kasuvongan」と音の近い和風地名「春日(かすが)社」と命名した。戦後は春日村を郷名として「春日郷」が設けられ高雄県の管轄とされ、1950年に屏東県に帰属するようになり現在に至っている。

 屏146号を13㎞登りつめると、士文社のゲートに出会い、ここからがスボン社となる。古華国民小学士文分校で神社の情報を収集。昭和2年生まれの程中元(ツエンツオンユエン、日本名:中元一郎)さんにお会いし、士文路39の裏山に神社が建立されたことが判明した。神社が建立された場所は平地になっているとのことで、早速草木の茂る山中に入り込んだ。終戦後、日本人の手により、神社は取り壊されたが基壇のみは残っていたという。残念ながら、その基壇も1988年にブルドーザーにより整地され、神苑も今や山中の一部になっていた。

 程さんによると、拝殿はないが、本殿と3基の鳥居からなる神社であったとのこと。そして、祭神は天照皇大神であった。

 

 古華国民小学士文分校:

明治39年、率芒菜典公学校として設立。大正11年、率芒公学校に、そして昭和16年、須本国民学校と改称している。校庭に立派な「台湾二葉松」が2本ある。これは、日本人教師の大橋先生、小原先生、並びにパイワン族教師李清吉先生が当時の程中元(5年生)に植樹をさせたものであると案内板に書かれている。

 

写真12 手前の山中に神社が建立された

 

写真13 神社の位置を教えて頂いた程中元さん(中央)

 

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屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- リキリキ祠

2013-04-14 05:58:53 | 屏東県の原住民集落に建立された神社

リキリキ祠(屏東県春日郷力里村) 

鎮座日:不明、祭神:不明

 

 力里国小(小学校)から132号線でリキリキ社に到着する。そのゲートの手前の山道を20分ほど車で上りつめると、標高660メートルの12kmの地点にパイワン族の大きな木彫り像が待ち受けている。その横に「老力里部落遺址入口意象導覧図」と表記された木製の案内板が立っている。導覧図中には「日治時期古道」「小社」「大社」「駐在所」「神社」「公学校文化広場」「頭骨架遺址」等の文字が見られる。

案内は力里社部落会長・村長・狩猟会長およびもう1人のパイワン族の方々で、入山することになった。まず、山の神様に入山の許可を得るために、お祈りから始める。小型のトラックに乗り換えて更に山中に進む。途中から徒歩となり、20分ほど山中に入り込み、旧リキリキ方面に辿り着く。

 廻りの草木を取り除いて、基座を確認する。同行してくれた原住民の一人が、基座から数メートル離れた場所に大きな石の塊を発見し、声を出す。倒壊された石の一部にさかさまになった「碑」の文字が判読できた。総勢7人で傾いていた石を取り除くと、更に石板に文字が見えた。最終的に、「殉難碑」であり、大正3年10月9日に起きた抗日リキリキ事件により亡くなった巡査および家族の名前であることが判明した。

 神社の基壇

 

殉難碑

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屏東県の原住民部落(蕃社)に建立された神社(祠)の現状 --- クスクス祠

2013-04-06 07:55:00 | 高雄州

クスクス祠:屏東県牡丹郷高士村

鎮座日:昭和14年12月16日、祭神:天照皇大神

 車城郷の車城から199号線に入る。この道は、明治7年に明治政府が行った台湾(パイワン族牡丹社)への軍事出兵がたどった道の1つでもある。この事件は、牡丹事件と呼ばれ、明治4年、この地に漂着した琉球漁民が原住民により殺害され、台湾出兵へと繋がった。この事件以降、清朝は恒春半島及び台湾後山地区の統治に力を注ぐ結果を生んだ。

 途中、台湾四大名湯の1つである四重渓温泉を越え、牡丹水庫から172号線に入り、11㎞進むと、牡丹郷の南東端に位置するクスクス(高士)社に到着する。現在のこのは、昭和20年の大型台風により、旧が破壊されたため、住居地を6度移り変え、最終的に辿り着いた場所でもある。

 クスクス神社(祠)は、高雄州恆春郡蕃地のクスクス社にの守護神として、遠く遥かに太平洋を見渡し、またクスクス公学校・そして派出所を見渡す高台に建立された。現在、神社の遺跡としては、基壇の外、石段の一部と鳥居の亀腹のみが残っており、風化から基壇を防ぐために、屋根を設けて保存されている。こので陳清福(パラル・ロンシン)さん、85歳にお会いした。ロンシンさん曰く、「この公学校を卒業した生徒は、神様のお陰で出世している。従って、何とか神社の修復をしたい」とのことであった。 

クスクス祠の基壇

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