今週は平成23年2月21日に掲載された「台湾の神社跡を訪ねて」 第五回 企業の神社 その1の烏日社です。
内地資本の本格的な投資は第四代総督・児玉源太郎並びに民政長官・後藤新平の時代におこなはれた。台湾総督府の強い誘致要請により三井財閥が大株主になり、台湾製糖株式会社が明治三十三年に創立された。
その後、数多くの製糖会社が設立され、投資効率を上げるために本島人が経営する製糖会社を買収・合併し、その生産経営規模を拡大していった。さらに昭和二年の金融恐慌や昭和六年の満州事変を契機に大型合併がおこなはれ、製糖産業の寡占体制に拍車をかけた。
最終的には台湾製糖、明治製糖、大日本製糖、そして鹽水港製糖の四大会社となった。終戦後、それらはすべて中華民国に接収・合併され、台湾糖業公司となった。
内地資本によって設立された工場内には殆どといってよいほど守護神として企業構内神社が造営された。今回はこれら製糖会社に造営された幾つかの神社遺跡を紹介する。
烏日社
かつて大日本製糖株式会社烏日工場があった場所は、現在、台湾 酒烏日 酒廠といふビール工場となってゐる。そこに鎮座してゐた烏日社はすでに倉庫に形を変へてゐるらしいが、構内に本殿・鳥居・狛犬・石灯籠を配置した立派な神社であったとのことである。
烏日駅近くに住む御老人(当時、収穫されたサトウキビを運ぶ機関車の運転手であった)の案内で、烏日駅近くの民家の脇に、残された石灯籠の一部が横たはってゐるのが判明した。灯籠の竿の部分には「奉獻 永井清次」「昭和十年十月二十一日建立」と刻まれてゐる。
神社創建時は東洋製糖株式会社の構内であったが、その後、東洋製糖は大日本製糖株式会社と合併してゐる。企業の神社であるとともに烏日庄の庄神社でもあった。
烏日社▼鎮座日=昭和二年十月二十二日▼祭神=天照皇大神▼例祭日=十月三十一日▼鎮座地=台中州大屯郡烏日庄烏日一一二―一一三番地▼現住所=台中県烏日郷光華街一
烏日社の石灯籠