今回は今までと異なった形で神社の紹介をします。今回は花蓮県玉里鎮に今なお残る神社の遺跡です。
今年の4月に陳世淵さんをリーダとして「玉里神社志工隊」(志工隊とはボランティアーのこと)と言う「玉里神社清掃活動」が編成されました。このボランティアーに賛同する人達も増え、花蓮県議員、定年退職した小中学校先生、学生、歴史研究愛好家など職業もさまざまで、現在総勢21名。花蓮県文化局がこのプロジェクト推進に対しての許可を出したのが7月20日、それに続いて玉里鎮公所が全面協力を打ち出しました。7月24日でした。また、7月31日には中華民国国有財局がこのプロジェクトに同意しました。
全ての難問を乗り越えて、遂に第一回玉里神社遺跡清掃活動が8月1日に開始されました。第一回の活動を含め、8月には合計3回の清掃活動が行われました。「玉里神社清掃大作戦」が各メディアで報道されるようになり、9月13日に行われた第四回目には台湾のテレビ局である民視電台の取材撮影が行われました。この日にはアミ族の張火茂(日本名 高橋)さん、86才もこの日に訪れ、当時の玉里神社を懐かしんでいました。張さんは昭和17年にこの神社で神前結婚式を挙げた方です。
花蓮県瑞穂出身の黄家榮さんとブログを通じて知りあり、玉里神社清掃活動についての情報を提供してもらい、是非この目で現在の玉里神社を見るために先月訪問しました。運良く第五回目の清掃活動日でもあり、ボランティアーの方々に混じって清掃活動に参加させて頂きました。当日の参加者は22名。まだ台湾は真夏であり、日中の温度は36~37度。清掃を開始する前にまずお供えと台湾式の線香を手に持ち、いわゆるパイパイが行われました。電動ノコギリで木を倒す人、鎌で長く伸びた竹やぶを切り倒す人、雑草を刈る人が昼までかかって行われました。郷土史に興味を持つ方や、近所の子供達も見学に訪れ、黄家榮さんは予め作成した玉里神社を紹介したパンフレットを配布しながら玉里神社や遺跡の説明で大忙しでした。
これからも引き続き清掃活動が行われます。是非、手水舎の水盤や相撲の土俵跡が見つかれば良いと願っております。
お供え物と使用するか鎌を並べてお祈り(パイパイ)するところです
紙のお金を燃やしています
近所の子供達やにわか歴史愛好家に神社の説明をする黄家榮さんです
第二の鳥居です
第二の鳥居から第二の石段までの参道です
本殿の基壇。その手前に拝殿跡があります
玉里神社清掃大作戦終了後の記念写真。皆さんお疲れ様でした
今年の4月に陳世淵さんをリーダとして「玉里神社志工隊」(志工隊とはボランティアーのこと)と言う「玉里神社清掃活動」が編成されました。このボランティアーに賛同する人達も増え、花蓮県議員、定年退職した小中学校先生、学生、歴史研究愛好家など職業もさまざまで、現在総勢21名。花蓮県文化局がこのプロジェクト推進に対しての許可を出したのが7月20日、それに続いて玉里鎮公所が全面協力を打ち出しました。7月24日でした。また、7月31日には中華民国国有財局がこのプロジェクトに同意しました。
全ての難問を乗り越えて、遂に第一回玉里神社遺跡清掃活動が8月1日に開始されました。第一回の活動を含め、8月には合計3回の清掃活動が行われました。「玉里神社清掃大作戦」が各メディアで報道されるようになり、9月13日に行われた第四回目には台湾のテレビ局である民視電台の取材撮影が行われました。この日にはアミ族の張火茂(日本名 高橋)さん、86才もこの日に訪れ、当時の玉里神社を懐かしんでいました。張さんは昭和17年にこの神社で神前結婚式を挙げた方です。
花蓮県瑞穂出身の黄家榮さんとブログを通じて知りあり、玉里神社清掃活動についての情報を提供してもらい、是非この目で現在の玉里神社を見るために先月訪問しました。運良く第五回目の清掃活動日でもあり、ボランティアーの方々に混じって清掃活動に参加させて頂きました。当日の参加者は22名。まだ台湾は真夏であり、日中の温度は36~37度。清掃を開始する前にまずお供えと台湾式の線香を手に持ち、いわゆるパイパイが行われました。電動ノコギリで木を倒す人、鎌で長く伸びた竹やぶを切り倒す人、雑草を刈る人が昼までかかって行われました。郷土史に興味を持つ方や、近所の子供達も見学に訪れ、黄家榮さんは予め作成した玉里神社を紹介したパンフレットを配布しながら玉里神社や遺跡の説明で大忙しでした。
これからも引き続き清掃活動が行われます。是非、手水舎の水盤や相撲の土俵跡が見つかれば良いと願っております。
お供え物と使用するか鎌を並べてお祈り(パイパイ)するところです
紙のお金を燃やしています
近所の子供達やにわか歴史愛好家に神社の説明をする黄家榮さんです
第二の鳥居です
第二の鳥居から第二の石段までの参道です
本殿の基壇。その手前に拝殿跡があります
玉里神社清掃大作戦終了後の記念写真。皆さんお疲れ様でした
こまくにさんから金子さんをお聞きし、
このブログへおじゃましました。
抜子社の狛犬の件で、9月半ばに日本人が来た、という話は
たぶん、私のことかな、と思います。
富源駅の横にある資料館(抜子庄常民文化館)の入り口に
マスコットのように鎮座されているのを偶然見つけ、
資料館の男女の係りの人に、これは抜子社の狛犬では?と
聞いたのですが、よく知らないようで、
「きっと抜子社にあったものだと思いますよ」
という話を係の人としたんで、これを金子さん
はお聞きになったのでは、と思います。
(他にも現地の村の人たち数人と、抜子社のことで
話はしましたが、狛犬のことは話していないので)
台湾の神社をあちこち踏破されているそうですね。
私も、台湾にはいろいろと
興味があって、神社に限らず、台湾に関して広く情報収集、
現地訪問をしておる者です。神社は、ここ最近の
テーマで、9月に玉里、抜子社、豊田の神社を
回ってきました。
玉里神社を私が訪問したのは、9/21です。
4回目の清掃の後だったようですね。確かに
きれいでした。以前の情報では、草木に覆われて、
本殿までたどりつけなかった、ということだったので、
最近、整備され始めたのかな、と思っていました。
また私のHPで、この神社関係のレポートを作成
しようと思っています。
また金子さんのブログにおじゃまさせていただきます。
コメント有難うございました。
確かにその日は9/21でした。日本人一人でこちらに来られたと資料館の方と抜子神社近くに住んでいるおばさんが言っておられました。
色々台湾に関して情報交換が出来ればよいと思っています。是非一度お会いしたく思います。
抜子社近くに居住のおばさんにも
お会いしたのですか!
よく偶然にも会われましたね!
それは間違いなく、私のことです。
当時、抜子社がどこにあるのか、およその位置しか
わからないまま、例の参道を抜子社の山の方へ向かって
歩いていたところ、
前からそのおばさんがバイクで進んできて、私の横で
止まって、「どうしたのか?」と問われたので、
「抜子社を探しているんです。」
ということで、そのおばさんとやりとりがしばらくあった
んですよ。
(抜子社という、文字を見せたんですが、そのおばさんは、
それがあの神社跡のことだとは知らなかったようです。)
「すぐ近くに住んでるのに、わからなかったわー」
とおっしゃっていました。
私も今後神社について、いろいろ訪問したい、と
思っていますので、また、ご教授ください。
私もまた、一度お会いしたいですね。
私のHPです
http://homepage3.nifty.com/wasi/
前回訪問した神社跡のレポートが一部
まとまってきましたので、ご連絡いたします。
例の抜子社での現地の方々のやりとりの様子も
番外編(こぼれ話)として、掲載しました。
TOPページから、神社のケンキュウへ
リンクされています。
http://homepage3.nifty.com/wasi/
読ませていただきました。神社へのアクセス方法は非常に助かりますね。