17日
台湾時間1700前に着陸し、入国前に6日間有効のSIMカードを「一瞬で」購入。しかしそこから30分以上並んで入国手続き。1830に台中のホテルで歓迎会がスタート。桃園から台中までは新幹線(高鉄)で30分。さらに駅から会場まで20分以上タクシーでの移動があり、日本並みの手際よさで移動できたとしてギリギリだ。桃園空港から高鉄桃園駅へのアクセスはいまだに悪く、直通バスも新しくできたMRTも本数が少ないと気付くのに15分以上浪費。タクシーを飛ばし直近の便(1830すぎ)に乗り込むが、席がない。そんなわけで、1時間遅れでの主賓の宴会合流となった。
宿泊は学内の校友会館。観光学院の学生が実習としてホテルのスタッフを務めている。
18日
今回のホスト、台湾の著名ミッション系私学である東海大学の景観学系は、芸術・意匠の学系と一つの学院を形成している。人間居住とレジリエンス(靭性)に関する国際シンポジウムにご招待いただいた。GISやIoT、防災、計画学の専門家数名による講演。初めて聞く話も多く、大変ためになった。とりわけ、GIS操作中の画面を「録画」し、ムービーとしてスライドに挿入する手法は面白かったが、操作経験のない人には内容が伝わりにくいかもしれない。また、鄭成功による「国土計画」の紹介があり、建国の父としての開明性が感じられた。
国際シンポジウムと銘打っているが、ベトナムなど非漢字圏からの参加者はいなかったので、論文集用に英語版を送っていたが、出発までに完成していた中国語版で講演。時間にかなり余裕があったので、会場の反応を見ながら「つかみ」を意識。10年ほど前、台湾で初めてしゃべった時は、大陸での調子でやると「スベる」という印象があったが、今回それはなかった。都市のレジリエンスとは何か、参加者それぞれの印象があり、理解は未統一という感じであった。気候変動や汚染、災害などで正常な状態から外れたとしても、都市の(自然)生態系自体が自己修復するポテンシャルを持っており、都市デザインの使命として、それを「加強」するべきであると主張してみた。風水の考え方もその一つというわけだ。
今回の招聘講演をアレンジしていただいたL先生が博士課程の学生だった10年近く前、国立台湾大学での講義のあと、「低炭」をテーマにしたフィールドサーベイにも連れて行っていただいた。当時の世の中の「低炭」に対する理解は不正確で、「緑色」とか環境保全とかとごっちゃになっていてびっくりしたが、さすがに今日の台湾でそれはない。ドイツ人の御主人とのハーフのお子さんらも参加して夕食。ドイツ語をしゃべる日本人のおっさんが現れてさぞびっくりしたことだろう。
<日月潭地区自然環境および原住民文化現地調査>
5月19日1100前に大学の校友会館をチェックアウト。フロントの実習女子学生の説明が不十分で、歩き出した後に、予約したタクシーが到着するであろうポイントが2か所あることに気付く。暑い中、荷物を引きずって戻るのは嫌なので、一つのプランにかけてみたが裏目。ここで20分ほどロス。偶然、客を乗せてキャンパスの坂を上ってきたタクシーを捕まえる。明日の夜チェックイン予定のホテルに大きな荷物をすべて預け、身軽(リュック1つ)になって出発。
台中駅のリニューアル工事に伴い、駅前の再開発も進んでいるが、前回(2009年秋)泊まった駅前の安宿(80年代の大学学生寮みたいな内装)は、値段(2000円以下)もそのままらしい。南投客運(バス会社)のターミナルを探すのに手間取ったが、運行間隔が開いている時間帯なのでビハインドの影響はなく、1145にターミナルを出発。高速道路で山を登り、南投県に到達。鉄道はないが山の中のそこそこ大きな町で、郊外には国際大学もある。町内を一周し、さらに山奥へ登っていく。目的地周辺での宿泊が高い場合はここに泊まって自転車でと考えていたが、とうてい無理な急坂だ。1430に日月潭湖畔の水社に到着。そこでマウンテンバイクをレンタル(2日間で約1400円くらい)し、約10km先の民宿(伊達卲:イタサオという原住民「卲(サオ)」族の)へ向かう。湖畔を平坦な道路が周回していると思いきや、アップダウンの激しいコースで自動車交通量も多く、かなりスリリングだ。景色は最高だが、空腹に疲労、しかも暑い。途中で何度か押して歩き、1600前になんとか到着。サドルが小さく、お尻も痛い。
チェックインの後、まず飯。台湾入りしてからほとんど現金を使わなかったので、現地の相場がピンと来ない。山羌はヤギではなくて、山上たつ彦の漫画にでてくるキョンだ。蒸した魚は1000円以上する。さすが山の上の観光地。肉、野菜、スープ、竹筒飯、ビールをアラカルトで注文しても約2000円。ヤシの葉の炒め物は日本人には硬すぎたかもしれない。食後に湖畔の波止場を歩いてみる。なんと、水社からここ伊達卲まで船便もたくさんあるではないか。自転車で動き回る必要がなければ、船で来るべきだ。原住民のアーティストが客を集めて演奏している。ここのサンセットはその美しさで有名らしい。海外の観光客も多い。
Meat of Reeves's muntjac.
キョンの肉。
5月20日朝、民宿を出て湖畔から山上のテーマパークに向かうロープウェイの駅へ移動。駐輪場の場所がわかりにくく、少しタイムロス。ロープウェイ往復付き入場券約2500円。山を2つ、谷を1つ越え、15分ほどで入場門へ到着。
「九族文化村」は斜面に作られていて、上半分が台湾原住民の民俗展示場であり、建築物が見学可能な形で再現され、リアルな蝋人形で、彼らの生活が解説されているほか、1日数回、各民族(高山族)による歌と踊りのショーが行われる。大陸にあるこの手のテーマパークでは、一口に台湾高山族と括られていることが多いが、実際にはメジャーな9つのグループに分類され、その文化は非常に多様である。当然、シナ・チベット系ではなく、マレー系、ポリネシア系が中心であり、1000年ほど前に火山活動を逃れてフィリピンから移ってきたアミ族などが有名である。狩猟農耕の生活を送り、身体能力が高く、台湾スポーツ界や芸能界に多くの人材を輩出している。また、日本統治時代には日本語が民族間の共通語として使われ、高齢者には中国語よりも上手な人が少なくない。一方下半分は子供向けの遊園地となっていて、見るに値しないが、そちらが目的の子連れ客も多い。
1400ころまでにすべての展示とショー(夕方のはパス)を見終わり、会場を後にする。その後、昨日の山道を約10kmひたすら戻る。様子がわかっているので昨日よりも楽かもしれない。1600前にゴールし、返却。夕方のバスで台中へ戻る。
Theme park on Taiwan ethnology
出草(首狩り)文化、室内葬、トイレ兼豚舎の展示。
夜、ホテルにチェックインのあと、有名な逢甲夜市を歩いてみた。日月潭の物価になれてしまったせいか、なんでも安く感じられた。高級感のあるホテルも、鉄道駅から遠いせいか、やたらにサービスがよく、屋上のBarでフリーのカクテルを飲ませてもらった。
Taichung mission finished now.
21日
台北でのアポイントが1500だったので、今日はゆっくりだ。昼過ぎに林森北路付近のホテルに到着。日本で見た台北の天気予報がずっと雨だったので、雨傘持参で来台したが、まだ一度も使っていない。台中と台北では気候帯が異なっているようだが、こちらもバンコクのように暑い。
地下鉄を乗り継ぎ、45分以上を要して南の郊外にある動物園駅に到着。東京でいえば南大沢(首都大学東京か?)くらいの場所。丘陵地帯の景観も、南大沢のイメージだ。遠くに101が見える。学生時代に小生の論文を読んだという副教授のS先生(以来約12年のお付き合い)が、夕方の講義をアレンジしてくださった。国立政治大学は、蒋介石が教えていた黄浦軍校に始まる名門であり、蒋公は初代学長でもある。大陸でいえば人民大学なのだろうけど、李登輝の時代になって政治色は薄れ、現在では普通の大学である。今日の講義内容は金曜日と同じであるが、いたってカジュアルにやってみた。
My lecture at the National Chengchi University
台湾にて著名建築家デビュー?
今回のホストの先生は、こういう建築家風の写真がお気に召したようです。(建筑家赖俊明)
夜は台北市街を見下ろせる、大学裏山の避暑地で客家風のレストランへお連れいただいた。奥様が市内にお勤めなので、夜は市内へ運転してお迎えに行くという(ついでにホテルまで送っていただいた)。2005年以降ウォッチしている双城街のBarストリートへ。マスターらと雑談。
22日
帰国便は15時すぎ。ホテルで一仕事してからゆっくり移動。台北駅から桃園空港までの直通快速列車が開通したので、現在は30分程度でいける。台北駅周辺や地下街の変化を観察しながら移動。帰りの飛行機で、2005年に購入した台湾語の教科書(入門編20課)がついに読了。ようやく勘所がつかめた。大陸人(Suo yi)台湾人(Soo ii)みたいな特徴で、台湾人を識別できるようになった。