頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2010年08月フランス・ナント

2019-03-25 12:39:16 | 旅行

「朕汝に学位をあたふ」 ナントの勅令

 フランス・ナント国立高等建築学院(ensanantes)建築手法研究センター(cerma)および華中科技大学建規学院に在学する女子学生Y嬢の博士論文最終審査(Defense)にプレジダン(=チェアマン)として招聘され、ベルギー1名、フランス3名、中国2名の審査委員(レビューワ、チュータ、アドバイザー)とともに、一連の審議過程に臨みました。その結果、彼女にはエコール・サントラル・ドゥ・ナント(ナント中央学院)より博士号が授与されることとなりました。小生の位置づけは、中国側の1名、ということのようです。小生はかなり緊張しましたが、平穏に済みました。博士論文審査のプレジダン(チェアマン)ということで、日本でまだやったことがなかったことをフランスでいきなり経験してしまいました。発表の後、審査は真面目に行われましたが、いまさら無理難題を押し付けるのはありえず、好意的なコメントをまとめ、無事学位が授与されることになりました。小生問題点を二点見つけたのですが、それで学位あげませんということにはならないと判断しました(2019年現在彼女は西南交通大学建築学院副教授)。

 広東話と香港で使われる粤語は別物だと、ナント市内でかばん屋を営む上海人女老板に教えられました。どおりで、(広州とかでも)微妙に通じなかったわけです。小生のは粤語。
 中国からの留学先は圧倒的に英語圏が多いようですが、非英語圏の欧州にもかなり増えていることを実感しました。しかも現地の言語にかなり精通している。1998年に小生がドイツのフライブルクに留学していた時、現地の日本人学生は50名くらい、中国人は一桁。現在日本人は増えていないのに対して中国人は200名以上。英語圏なら苦労しなくて済むと思っている学生が多い中、彼らの様な闘志あふれる学生はまことに素晴らしい。ナントの中国人留学生は皆優秀で、フライブルク時代の小生の生活感覚を共有していました。

ミッション初日
 フランス側の送ってきたチケットは20万円。エールフランスのエコノミーは想像以上にボロい。夜行の12時間もしんどい。30年前に買ったフラ語の初級教科書100課を第70課あたりまで一気におさらい。成田22時発でパリ到着は現地の朝4時。最低の時間だ。6時までカフェラテも飲めなかった。10ユーロの朝食。ヤギのチーズとバターケーキなど。
 国鉄(SNCF)窓口でバウチャーをTGVのチケットに交換。フラ語を思い出してみる。12年前、フランの時代に使い残したテレカでY嬢にかけてみる。あれ、かかった。まだ使えたとは驚き。出発は10時半。ルマンを経由して1時半に到着。時差疲れの癒えた夕刻、Y嬢と農家風チーズフォンデュを食べに行く。ミュスカデを食前酒として楽しむ。

Nantes (La Machine)

A successful industrial transformation from ship building to entertainment machine engineering.

造船業の街が産業転換。技術の蓄積を生かしてこんなものを作り注目を集めた。



第2日
 ナント市内の城郭や聖堂へ案内される。ここブルターニュ地方はフランスではあるがフランスらしからぬ地域だ。30万人がブルターニュ語を話し、自分たちの国旗を持っている。中世末期にフランスの策にはまって独立を失ったものの、今でも自分たちの文化には誇りを抱いている。夕刻、フランス国立科学研究院(CNRS)のH教授と食事。フランスのユッケ、タルタルステーキ(小生の欧州での定番)にエスカルゴ。最高だ。会計はテーブルではなく、日本と同じでキャッシャーにて行う。

第3日
 H教授とともに、郊外の農村へ向かう。現在も貴族の末裔が所有している巨大な館。1000年の歴史を誇る。現在の当主はチョウの研究者で、ここに自分の研究所を開いている。このあとH教授のご自宅を訪問。小学校6年生のお嬢さんとフラ語でおしゃべり。小生にはわからない部分も多かったが、彼女はこっちのセリフはほぼ全部わかったという。小生は小学生レベルってわけだ。
 夜ホテルの近くにギリシャ料理店を目ざとく発見。タラモサラダ(これまた小生の欧州定番料理)とウゾで晩酌。おあとはラム肉。日本ではタラコとイモ(ハッシュポテト)を混ぜるから「タラモ」と信じられているが、これは偶然みたいなもの。見た目はそうだが、実際の材料はボラの卵とパン粉を混ぜている。

第4日
 ロアール河が大西洋にそそぐサン・ナゼールの潜水艦基地(ナチスドイツから接収し、民需へ転用したもの。艦内を見学できる。)を見学。夏も終わりに近づき、ビキニで寝そべる女性も多くない。フランス人のDさんはITとGIS企業のオーナー。彼の中国語は小生より上のレベル。武漢の先生方2名も到着し、夕食会は中国語一色となる。ステーキを小生がレアで、武漢の先生方はウェルダンで注文。H教授にはこれが日中の食文化の差をわかりやすく示した事例と映った。



それから
 第5日はY嬢の学位審査(最初の挨拶で、冒頭1分だけはフラ語でやってみた。)、第6日はCNRSでの講演(1時間)と見学。宇宙飛行士の訓練にも使える回転式重力発生装置が面白い。



 帰国の前日、マルシェで食材(クノールスープ各種など)を爆買い。タラモのプラスチックカップのふたが開きにくく、うっかり前歯(実は1998年ドイツ製、つまり12年もののセラミックブリッジ:当時35万円)を折ってしまう。春先すでに違和感を感じていたが、根が劣化していたようだ。最終日でよかった。ばれないように、口数も少なくもごもごと(H先生すみません)。2019年現在のブリッジは日本製の高級品。値段はほぼ同じ(2014年に再度破損更新したので3代目)。

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1 コメント

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Unknown (本人)
2020-07-19 02:08:00
昨年のパリに続き、2010年8月にエコール・サントラル(École centrale de Nantes)招聘で訪れたナントの大聖堂(Cathedrale Saint-Pierre-et-Saint-Paul de Nantes)でも本日大規模火災発生。
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