頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

1997年9月中国・昆明(サイフが危機一髪)

2019-05-11 21:41:59 | 旅行

E-Ticket以前の時代はこんなにも不便だった。
(15年以上前に職場のニューズレターで没になった原稿)

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 1997年9月12日、夜9時半に北京空港に降り立った小生は、海関(税関)脇にある某旅遊公司の窓口へ向かった。中国国内線の机票の発券が出発までに間に合わなかったため、日本国内の代理店を通じてその日本支社からバウチャーを受け取っていたのである。営業時間はとっくに終わっていたが、バウチャーには到着便に合わせて夜遅くまで服務員がいると書かれていたので、とりあえず行ってみたものの、窓口の灯りが消えており誰もいなかった。中国だからこんなこともあろうかと、その日はそのままタクシーに乗り、空港の近くのホテルに向かった。翌日は正午の便で、雲南省の省都である昆明へ向かうことになっていた。
 多少のトラブルを予想して、出発の3時間ほど前に空港に着いた小生は、とりあえず雲南航空公司の窓口に行き、事情を説明した。窓口の小姐もバウチャーを見るのは初めてらしく、どうしていいか迷っていたが、彼女に税関のゲートから中に入ってもらい、例の旅遊公司の窓口に行ってもらうことにした。航空公司の職員といえども税関のゲートから中に入るのは難しいらしく、警備員を説得するのに時間を要した。やっとの思いで中に入ったものの、十数分後彼女は目を真っ赤に泣きはらして戻ってくるではないか。今日もまた窓口に服務員がおらず、北京市内のオフィスに電話してみたが誰も出ないという。可能な限りいろんな所にコンタクトしてくれてはみたものの、彼女にはこれ以上どうすることもできない。
 「あなたが机票を買うしかありません。」ということだが、空港ではキャッシュカードは使えないとのこと。バウチャーは帰国後に清算すればよいが、今ここでキャッシュを払ってしまうと小生の財布は残り2万円を割ってしまう。帰国時の昆明~上海についてもバウチャーのままだし、これはもう昆明では机票に換えることができない。昆明~上海の分を現地で購入するにせよ、残り2万円ではもう不可能である。しかし、昆明行のミッションをこんな理由であきらめるのは馬鹿げている。結局小生の財布の中身は非常に心細いものとなってしまった。
 昆明行の飛行機の中では実にいろんなことを考えた。上海までヒッチハイクで帰ろうか。いや、それでは成田行きの飛行機には間に合いそうにない。第一今夜からの飯代と宿代はどうするのだ。日本大使館の出先にでも泣きついてみようか。まてよ、昆明にそんなところあるのだろうか。まずはホテルにチェックインしてからゆっくり考えよう。ホテルの中国語名は何だろう。タクシーのドライバーに英語名を告げたところで「不知道」といわれるのが関の山である。空中小姐に聞いてみたが、知らないという。空港で聞くしかない。
 結局、昆明の空港には今回のカウンターパートである中国科学院西双版納熱帯植物園副教授の張一平先生と、小生の共同研究者である広島大学のF先生が、はからずも迎えにきて下さっていたおかげで、ホテルの中国語名の問題は消滅した。Education Hotel =教育賓館だなんて、何も悩むことはなかったのだ。また、日本円にして4万円強(国内線のチケット代に相当)をF先生にお借りすることとなった。
 さて、予定通り9月16日に上海経由で日本に戻った小生は、翌日試しに研究室から北京市内の旅遊公司にかけてみた。なんと、女性が出るではないか。先方は「対不起」の一点張り。仲介した日本の代理店に聞いてみたが、こんなケースは初めてという。北京空港は場内アナウンスなどを除けば中国語オンリーの世界である。小生が仮に中国ビギナーであったならば、初日夜に窓口に服務員がいなかった時点でアウトである。果たして生きて日本へ戻れただろうか(ちょっと大げさか)?
 もし仮に中国以外の英語のほとんど通じない国で同じような目にあったとしたら、今度こそ本当にアウトである。

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