20日
ここから3日間は完全なオフ。台湾の東海岸には2009年の宜蘭・蘇澳・羅東(大平山とタイヤル族の)ツアーで1泊しただけ。この機会に、花蓮と太魯閣を見ておくことにした。行きの飛行機(華航)の機内誌(自由時報)の天気予報では、今日台風「海馬」が花蓮直撃となっていたが、幸い南方にそれてくれたようだ。しかし雨はすごかろうと予想。日本から大きめの傘を持参したが、気が緩んで空港でピックアップを忘れ、台北のコンビニでやや軽めの傘を入手。
再びホテル(帰国前日にもここに泊まる)に大きな荷物を預け、台北駅から940の日本製新型特急列車(普遊馬)に乗る。今日の朝飯問題は、60台湾元の駅弁(ゆるキャラパッケージ)で解決。とんかつと巨大な湯葉、煮卵、申し訳程度の野菜炒め(悲惨)。近くの座席で誰かが臭豆腐を食べている(地獄)。小雨の中、列車は北上、東遷し東海岸へ出てから一路南下。台湾はスケール的には九州に例えてよい。今日の経路は博多発小倉経由大分行きといった感じだが、沿線は昭和中期の日本の沿岸地方といった雰囲気。人家のまったく見えないエリアも多い。1時間ほどで宜蘭に到着。中心市街地にほとんど高層建築がない。海岸から山地までの平野部もかなり広い、恵まれた農耕地帯と見えるが、本格的な開発の歴史は長くない(日本統治時代以降)という。海岸に急傾斜の山地が迫る路線をさらに1時間乗車し、お昼頃花蓮到着。降ったりやんだりの天気。
駅前の観光協会で太魯閣行きツアーの情報収集。1000台湾元で8時間昼食付のバスツアーにエントリー。そのほか、九州なら大分宮崎間に相当する花蓮台東160kmを自転車で行くツアーとかもある。沿岸部分は開発がほとんどされておらず、開発の中心は福島の中通りみたいな、内陸に少し入った花東渓谷である。ほぼ平坦なここを自転車で行くのは楽しそうだ。次回の楽しみに取っておこう。駅前の飯屋で羊肉の炒め物などを掻き込む。チェックインまでまだ2時間近くあるが、荷物を減らしてから街に出たいので、ホテルに行ってみる。駅からわずか300mのバックパッカー専用風。4人部屋を1人で使う条件で約1000台湾元。鍵がかかっており、オーナーもご不在のようだ。休めるところを探して数分歩いていると、喫茶店が目に入る。1時間ほどマスターご夫婦と世間話。前回訪台して以降の数年間の変化などについてお話を伺う。花蓮は「湾生」という、台湾生まれの日本人が戦前に多く暮らしたところ。9月の筑波大学台湾ウィークの行事でも、湾生をテーマとした映画を紹介していた。マスターがオーナーに電話してくれたおかげで、3時前にチェックインできた。しばし洗濯してから、観光協会で教えられたアミ族文化村を目指す。
市内の大通りを歩いてみると、観光協会が作った美食地図の縮尺がおかしいことに気づいた。南北を1とすると、東西の縮尺は3倍程度。歩けど歩けど目的にはたどり着かない(地理学者の怒り再び)。沿道の商業高校が、大学合格者数十名をでかでかと表に貼りだしている。著名大学は入っていない。いつもの調子で30分近く歩いたころ、雨も激しくなり、近くにあった有名なかき氷のお店に避難、休憩。サツマイモの類でも、手をかけると素晴らしいかき氷風デザートとして楽しめる。文化村の開園まで30分となり、タクシーを拾う。若い運転手は不案内のようで、何度か道を本部に問い合わせている。大陸のタクシーだって最近はカーナビ付き。スマホのナビも頼りにならないことがあるようだ。無駄に走った分の料金はまけてくれた。
文化村は郊外の沿岸部の辺鄙なところにあった。観光バスで乗り付けた日本人の団体以外は、ほとんど客がいない。屋根付きの巨大な演舞場に案内され、1時間ほどのショーを見る。アミ族は1000年前に火山噴火を逃れてこの地に至ったとの伝承を持つ。地球科学的に考察すれば、フィリピンから来たと結論できる。面立ちも(スペインと混血していない)フィリピンの少数民族そのものだ。言語的にも似ている印象。演目を見れば一目瞭然だが、身体能力が高く、アミ族の著名プロ野球選手も少なくない。男子トイレと女子トイレに掲げられた木彫(男■器とか)が、わかりやすすぎて笑える。帰りのタクシーも電話したらすぐ来てくれた。雨がひどくなってきたが、著名な東大門夜市で下車し夕食。天気にも関わらず、かなりにぎわっている。原住民風の斑鳩バーベキュー(いかるが?)に、粟餅(落花生の粉で甘く味付け)など、いろいろ楽しめた。占いの屋台(100台湾元)を体験。陰陽をベースにしているが、当たるような、当たらないような、なんとも言えない結果だった。
Ami people have come from Philippines around 1000 years ago to evacuate from volcanic eruption.
Pigeon BBQ
Fortune-telling of Taiwan (100 NTD). What does "the tiger" mean for me? My wife?
虎ってなんだろう。台湾の占い(100台湾元)。当たるような。当たらんような。
21日
朝8時半に観光協会へ集合し、15人のり程度のミニバスで出発。中国語のできないイスラエル人の女子学生(香港在住で日本語も少しOK)のほか、広東省、香港、台湾といった顔ぶれだ。乗務員のアナウンスは中国語のみなので、小生がミニマムに英訳し、彼女をサポート。北東へ30分ほど走ると、太魯閣(タロコ)国家公園の入り口に到着。台風接近に伴う激しい雨が降っている。川沿いに上っていくと、渓谷は泥が流れている感じの(粘り気を感じさせる)濁流、道路わきの崖は滝壺状態、容赦なく上から車体に降り注いでいる。道路わきの巨大な崖錐堆積物があちこちに見られ、ガリー状の浸食も起きている。元砂防・治山技術者の経験に照らせば、一級の施工が必要な地域であることに疑いはない。地震も少なくない地域だ。しかもこの台風。自分では絶対運転したくないルートだ。大理石の地層と片岩の地層が接触する非常に複雑な露頭が河床に見えている。天気がよければすばらしい風景を拝めたろうけど、世界で最も危険な観光地とされるここに、こんな悪条件で来れたことにはそれなりに意義がある。霧に包まれた渓谷は幻想的でもある。雨が激しいので、ヘルメットをかぶって外を歩く個所はスキップとなった。刺青と(かつての)首狩りで有名なタロコ族の旧集落にある展示館のほか、定期バスの終点である天祥で食事。イスラエルのコは原住民風のチキン照り焼きが口に合わなかったようだ。有名な霧社事件もこの近くで起きている。下山し花蓮に戻る途中何か所かに立ち寄り、夕方観光協会で解散。夕食は昨日発見したシンガポール飯(肉骨茶)。
Typhoon Haima is passing now.
One of the most dangerous touristic site in the world.
I am also. But is it bad?
Sustainablity of red coral is important.
22日
945発の普遊馬(特急)で宜蘭へ移動し、G先生(+お子さん2人)と合流。ドライブ開始。著名な海鮮料理店へ11時過ぎ(正午では予約が取りにくいほどの人気)に入る。ガチョウ料理もこの地の名物。鴨(アヒル)より脂っこい。我々より後に、地元の一家が入ってきて、ウィスキーで宴会を始めた。90近いと思われるばあさまを筆頭に、4世代10人ほど。ばあさまの隣には、フィリピン人と思われるメイドさんらしき女性がとなりに座り、ばあさまの食事の介添えをしている。香港、台湾ではフィリピン人メイドが普及している。最近待遇はどうなのだろうか。この一家に雇われた彼女は幸せなのだろうか、外食にも普通に帯同させてもらえるという意味では。日本でもいずれこのような場面が見られるだろう。コミュニケーションの問題からいやがる日本人も少なくないだろうけど、小生が万が一要介護老人になった場合は、マニアックな国籍の方を選んでみるか。
台風一過で天気がいい、いや、暑い。羅東の伏流水を利用したウィスキー工場で試飲、そのあと、2009年にも来ている冬山郷へ移動し、著名なエコ農園で高山烏龍茶を堪能する。オーナーがちょうど、福建省の客家土楼の村でのサーベイから戻ったところで、両岸の茶業についてお話を伺うことができた。暗くなりかけたころ、街道沿いの烏骨鶏料理店で食事し、高速道路を台北へ戻る。チェックイン後に有名な士林夜市へ行って、屋台料理で1人慰労会。
Betel palm.
この時は新婚旅行以来の完全なる私事渡航(台湾側にも旅費なし)。
台風の日に行ってみた。
ハトの丸焼きを食う。