黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

 綺麗だった洞爺湖の夕日!

2019年08月24日 19時23分41秒 | 旅行

      


 洞爺湖の浮見堂を出発して洞爺湖畔で一番賑やかな大きなホテルが建ち並ぶ洞爺湖温泉街を抜けて洞爺湖観光果樹園の前に差し掛かった時にちょうどサイロ展望台方向に沈み掛ける綺麗な夕日が見えて女性達が「夕日が見たい!」と言い出し、御要望にお応えする為に果樹販売所の駐車場に車を停めて暫く夕日が沈む様子を見る事にした。


 今回の旅行中の此の時間だと毎日、既にホテルのチェックインを終えて夕食が始まって居る楽しい時間帯なのでユックリと夕日を眺める事は無かったが此の日は深夜に出航する新日本海フェリーに乗船する日で此の段階で道内の観光も全て終り、後は苫小牧東港までの途中で夕食を食べるだけ、昨日までの様に時間に追われる事も無かったので三人で心行くまで夕日が沈んで行く様子をぼんやりと眺めていた。


 太陽がカルデラ湖の外輪山に沈む少し前は洞爺湖の対岸から此方の岸までの湖面に一直線の光の帯が出来て非常に綺麗だった。そして太陽が山陰に姿を隠し始めると其の光の帯は段々と消えて細く短く成って行く様は調度私達の「楽しかった北海道内の旅行も愈々今日で終りか?」の気持ちと自然にリンクして寂しい気持ちに成って仕舞った。そして多分、再び北海道の地に訪れる可能性がない事が解かって居るだけに私は道内で最後の夕日を精一杯此の目に焼き付けた。


 


 


 

洞爺湖畔の「浮見堂」

2019年08月24日 09時38分37秒 | 旅行

       


 洞爺湖サイロ展望台を出発し少し北上した後に洞爺湖町の役場の在る方へ下って行った。此の地区には四国の香川県の財田町の人達が開拓者として入植して其の中の大久保翁は私財を投じて洞爺湖町の開拓に尽力し「洞爺湖町(旧、洞爺湖村)の開拓の父」と尊敬され北海道内で四国とは御縁の在る場所と成って居る。私は此の事を全く知らなかったが2009年の初めての北海道旅行で洞爺湖芸術館を訪れた際に直ぐ前の公園で其の大久保翁の胸像の下に刻まれている碑文を読む中で財田(さいた)と言う此の珍しい名前を見付けて「もしかして?」と読み続けて其の事実を知った。


 洞爺湖は支笏湖と連帯した国立公園で有名だが先日の支笏湖のブログで書いた様に支笏湖は湖畔沿いの道路から其の湖面を見られる場所は少ないが此の洞爺湖には湖畔近くを周回する道路が通って居り、其の各所から洞爺湖の景観を楽しむ事が出来る。其の中でも矢張り有名な場所は写真の「浮見堂」であろう。浮見堂は洞爺湖に向かって突き出た小さい岬の先端に建って居り、其の赤い屋根の色から直ぐに目に付く建物で何時もなら見物する観光客の姿が在るのだが今回は時間帯が夕暮れ時期に成って居たので観光客は居らず私達の独占状態であった。



 此のお堂には大正時代の初めに北国行脚の僧から木造の聖徳太子像が贈られ其れを納めるお堂が昭和12年に建てられたらしい。私が初めて此処に立ち寄ったのは2009年で今回立ち寄ったのは10年振り(湖に面する前の道路は何回も通った)で以前に見た感じと少し違う様な感じがしたのだが?如何やら平成15年に落雷に合い焼損して現在のお堂は再建された物らしい。其れ以外に湖畔には至る所に最後の写真の様な芸術作品が展示されて居て観光客の目を楽しませて居るらしいが私には其の芸術性を理解するのは難しい。


 此の日は洞爺湖町の役場付近から有珠国道への合流点までの洞爺湖の西側湖畔を半周して苫小牧市方面に向かったが洞爺湖湖畔を離れる段階では日はどっぷりと暮れていた。