我が家の飼猫の(実際は近所両隣にも入り浸っていた)小太郎が行方不明に?動物は本能的に死期が近づくと家を離れると言うが間もなく家に帰らなくなって1週間が過ぎようとしている。小太郎との出会いは15年位以前の事と成る。我家は徳島県内で2番目の大きい河川の近くに在り、猫や犬の繁殖期の後には必ずと言ってよいほど捨て犬や捨て猫の格好の場所と成る。捨てる側から考えると人目に付かず捨てやすいのだろう。
小太郎も其の中の一匹で有った。当時、我が家の前の道は小学校への通学路で、学校帰りの小学生が可愛いい産まれ立ての捨て猫と遊びながら帰る途中に(家に連れ帰ると叱られるので)お別れする御決まり場所、確か夕方頃に我が家の庭先に迷い込んだ。当然、私は飼う心算は無かったので毎度のパターンの如く痩せ細った猫に腹一杯の御飯と牛乳を飲ませた後に何処かに捨てに行こうとしたのだが、其の猫は私の足元から離れる事無くグルグル回り「貴方だけが頼りです! どうぞ見捨てないで下さい御願い致します」と懇願している様に見えた。其れまでに何匹かの捨て猫と出会ったが飼ってみようか?と思ったのは此の猫が初めて、矢張り何か縁が有ったのだろう。
家内と相談して飼うのは良いが飼う以上は家に閉じ込めたりせず自由に行動させて遣りたかったのだが其処には問題が一つ有った。其の猫は雌であった。自由行動させると言う事は必ず子供が生まれる。しかし乍、その子猫を全数飼う事は出来ないし、さりとて子供が出来ない様に管理する事は難しいので家族と相談し可哀想だが避妊手術を受ける事にした。家内と息子が犬猫病院に連れて行き押え付けて手術は終了したが帰って来た子猫は座布団の上に横に成った侭、3日間余り動く事は無くグッタリしていた。家内は其の時「可哀想な事をした」と悔やんでいたが1週間もすれば元気に走り回る様に成り、其のヤンチャ振りと其の風貌から雌で在りながら「小太郎と」命名された。特筆すべきは其のジャンプ力と木に登る速さ、子猫も沢山見てきたが一気に5mHの柿の木に駆け上がる速さは見事で有った。其れと不思議で成らなかったのは猫で在りながら肉類を一切食べなかった事と生後余り日が経って居ないにも関わらずトイレの躾けが確り出来ていた事(この事が飼うか飼わないかの?結論に大きく影響した)そして最大の特徴は其の賢さであった。
我が家に居ついて1ヶ月も経つと小太郎は我が家の人気者と成ったが隣近所にも入浸り、隣のおばさんは「昼間はうちの仕事場に居てまるで自分の家の様に振舞っている」と笑っていた。とにかく人の気を引くと言うか、おねだりや、要求折衝能力は抜群で家内はよく「この小さい頭の脳で良く回るわね!」と感心していた。私は其の近賢さや猫特有の変わり身の早さが余り好きでは無く家族全員がまさに猫可愛がりはいけないと一人厳しく接していた。
兎に角15年近い間、自由気ままに近隣を縄張りに歩き回り自由気侭な飼い猫の一生を終えたと思うが昨年の夏に体力が劣り少し心配な時期も有ったが秋風と共に持ち返し今年の夏前までは元気にしていたが激痩せして骨皮筋ヱ門に成っていたので私自身は「長くは無いな?」と思っていた。日中は殆ど家に留まらず近所の偵察見回りに終始、夕方頃に帰ってきて私に食事を懇願するが気に入らなかったらソッポを向き出て行き、家内の帰宅を玄関先で御迎え、姿を見ると土間を転げてゴロニャン御迎え姿で家内の御機嫌取り、毎回変わった缶詰を買って貰っていた。小太郎にとっての本命は息子、我が家で一番の高給取りであり一番言う事を聞いてくれる「お金に射止めを付けぬ」大スポンサーなので小太郎も心得た者で特別の対応をしていた。
小太郎の大好物は魚類、特に赤みの刺身が大好きで私は自分の物を絶対遣らなかったが家内と息子の分け前から個別交渉して結果的には、きっちりと一人前をせしめていた。一度、私が味噌汁の出汁用にハマチの粗を買って来たら匂いで気付き、足元をグルグル回りうるさく泣いたので特別サービスに「好きなだけ食べろ!」と与えたら食べるは食べるは首を振って食べたが翌朝げんなりした顔で現れ「何か無いの?」の食事の催促、昨日の残りを与えたら匂いを嗅いだらソッポを向いて「旦那さん、そりゃ私は魚は大好きですよ、でもこの脂っこい養殖ハマチを2日間食わされりゃ幾ら魚好きの私でもウンザリもの、たまにゃ赤みも戴きたいね」と言って居る様な素振り、其れ以後、養殖ハマチを食べる事は無かった。缶詰も3日同じ物が続けば口にしないし結構、グルメだったのかも知れない。
猫と言えば肉食動物、15年間、焼肉用の上等の生肉を与えても決して食べる事は一度も無かった。家に野鼠が入り天井を走り回った事が有ったが家内が我家の小太郎は肉を食べないのでネズミも馬鹿にして暴れまわって居る「小太郎、猫だったらネズミを退治して!」と言っていたら翌朝、「ギャオゥ~!」と家内の悲鳴、何かと思ったら瀕死の重傷のネズミを家内の枕元に持って来て居たのだ。肉は食べないので牙で噛んで枕元に自慢の報告に来たのだが死んで居ないのでネズミの尻尾が顔に触ったのだろう。私は大笑いしたが家内は恐怖で顔が引きつっていた。
猫の15歳と言えば人間で言えば90歳位のお婆さん。病気や事故で無く老衰に寄るお迎えで天寿を全う出来たと思うのだが中々、自由気侭な生活環境で暮らす猫で長寿は難しい、矢張り多いのが交通事故に遭遇する事、小太郎の場合は交通量の少ない田舎が幸いしたが、門から外に出る時は必ず止まって左右の確認を何時もしていたので其の賢さと可哀想では有ったが避妊手術を施した事による出産をしなかった事が長寿の最大の要因と思われる。人間から見たら綺麗な猫では無かったが猫には好かれた様で何時も違った雄猫を従えていた。行方不明に成ってから近所を探し回ったが今の所、未だ見付かっていない。寿命が尽きたのは間違い無いと思うのだが?最後を看取って遣れなかった事は残念で成らないが最後の一年は私達にも覚悟が出来ていたので精一杯の愛情を注いだ。其の意味で後悔は無いし小太郎も猫を忘れて私達と同じ物を食し猫である事を忘れて居る様であった。