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ケネディ大統領没後50年の出版物

2013年11月16日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事

ケネディ大統領没後50年の出版物

間もなく11月22日 ケネディ大統領暗殺50年になる。

ケネディ大統領没後50年にあたり特集されたドキュメンタリー放送番組の情報を収集しているうち、2013年10月~11月にかけ、日本でいくつか、ケネディに関する本が出たことがわかった。

今月は古本収集で精一杯なので、私のケネディ大統領没後50年の出版物紹介は2014年になると思うが、いち早く察知した人は入手して、来週あたりからは書評を出してくるかも知れない。ぜひ読んだらホームページなり、ブログでコメントしてもらいたい。

 

以下の2冊の書誌と案内は出版社のホームページから

 

 

 ▲フィリップ・シノン 村上和久訳 『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 上』  文藝春秋 定価:本体1,600円+税 発売日:2013年11月11日 ページ数 432ページ 版型・造本・装丁 四六判 上製 上製カバー装

著者のフィリップ・シノンはニューヨーク・タイムズの国家安全保障担当記者。アメリカの情報機関が9.11を防げなかった理由を超党派で調査したレポート「9.11 コミッションレポート」が、なぜ真相に到達するにいたらなかったかを描いた本、『The Commision(委員会)』を2009年2月に出版した。シノンのタイムズの卓上の電話がなった。「本を読んだのだが」と言って、その電話の主は「The Commision(委員会)」で働いていたものだと名乗った。

だが、その時、電話をかけてきたのは、もうひとつの「「The Commision(委員会)」、ケネディ暗殺の真相をつきとめようとした超党派の委員会「ウォーレン委員会」の元スタッフだった。

ジョンソン大統領の指名によって当時のウォーレン最高裁首席判事をリーダーとする超党派の委員会「ウォーレン委員会」には、アレン・ダレス元CIA長官、将来の大統領ジェラルド・フォードなどが名を連ねたが、実際に調査を担当したのは、全米から集められた若く優秀な弁護士や検事たちだった。

むっつの調査分野(「時系列」「ソ連・キューバ」「オズワルド」「ジャック・ルビー」「シークレット・サービス」)に割り当てられたペアの弁護士・検事たち、彼らが、ケネディの死後50年を期して集まって、シノンに何があったのかを書いてほしいと提案してきたのだった。50年を経て初めて明かされるケネディ暗殺調査の真相。

担当編集者より+ニューヨーク・タイムズのオフィスの電話が鳴った。「委員会のものだが、話を聞いてもらいたい」著者のフィリップ・シノンはその時、9・11テロを調査した超党派の委員会
「9・11委員会」の調査がなぜ真相に到達できなかったかを書いた『委員会』という本を出版したばかりだった。だが、電話をかけてきた相手は「委員会」は「委員会」でも
もうひとつの歴史的委員会、ケネディ暗殺の真相を調査した「ウォーレン委員会」の人間だったのだ。
ウォーレン委員会の元スタッフが全面協力。五年の歳月を費やして元ニューヨーク・タイムズの調査報道記者が暗殺事件を再調査する。
 

 

 

▲ フィリップ・シノン 村上和久訳 『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言 下』 文藝春秋 
定価:本体1,600円+税発売日: 2013年11月15日 ページ数 416ページ
版型・造本・装丁 四六判  

 

ウォーレン委員会の調査スタッフの頭を最後まで悩ませたのはオズワルドが暗殺の直前に、メキシコシティにおもむき、そこでソ連大使館、キューバ大使館の人間と接触していることだった。「外国政府による陰謀」の可能性を調査するエリア4のコールマンとスローソンは、キューバ大使館で働く一人の女に注目する。
その女は共産主義者であり、オズワルドと愛人関係にあったという。一方、CIAとFBIは、メキシコシティでのオズワルドの足どりを把握しながら、あえてその事実を隠し、証拠を隠滅しようとしていた。

ウォーレン委員会の元スタッフが全面協力。五年の歳月を費やして元ニューヨーク・タイムズの調査報道記者が暗殺事件を再調査する

 

 ▲ 山本和隆著 『ケネディの遺産 JFKとニュー・フロンティアの時代』 志學社
2013年10月25日第1版第1刷
248頁
ISBN 9784904180372
定価2000円+税

内容案内は以下ホームページからの転載

ジョン・F・ケネディが暗殺されて、今年で50年目の節目を迎える。今日までケネディ大統領に関しては様々な評価がなされてきたが、それらは概して厳しいものが多く、歴史家・研究者たちの間では、「中の下」というものが一般的であった。ケネディは画期的な法案を成立させた訳ではなく、人種問題に対する取り組みも腰が引け、内政問題については不十分であった。外交問題でも成功もあったが失敗も多い。ケネディが大統領であったのはおよそ一千日という非常に短い期間であった。これは、ワシントン、リンカーン、フランクリン・ローズベルトとは比べものにならない。哲人ジャーナリストのウォルター・リップマンによれば、ケネディの2年半という在職期間は短く、最終的な評価は下せない「未完の政権」であったとされている。

 このような専門家たちの評価がある一方で、アメリカ国民は、また、別の評価をしている。暗殺された後に、ケネディの私生活でのスキャンダルが暴露されても、国民の賞賛にはあまり影響がなく、アメリカ国民にとっては、彼は特別な存在である。死後、一貫してアメリカ史上最高の大統領5人の内の一人として国民は評価している。1975年に実施された「大統領人気ランキング」では、回答者の52パーセントがケネディを一位に挙げ、リンカーン(49%)やフランクリン・ローズベルト(45%)より上と見なした。

 彼は、「ニュー・フロンティア」というスローガンを掲げ、アメリカ国民に犠牲を払うことを求めながら、宇宙開発政策を始め様々な政策に取り組んだ。冷戦の真っ直中で、核戦争の危機に直面したキューバ危機を乗り切り、「平和の戦略」という演説で、世界に平和を呼びかけた。国内では、いまだ差別を受け続けていたアフリカ系アメリカ人たちのために、自由と権利を保障する公民権法案を議会へ提出した。

 ケネディは、単に、夢と理想を人々に語りかけただけではなく、様々な難問に立ち向かうことで、その勇気を行動で示してくれた。それこそが、「ケネディの遺産」であり、今日まで人々から賞賛され続け、特別な存在となっている理由でもあろう。

本書は、ケネディの生い立ちから、大統領としての約千日間の足跡を詳しく記したもので、ケネディが今日の米国及び世界に残した「遺産」について、改めてスポットライトを当てており、研究者にも、また一般読者にも必読のものである。

 

ブログ主のコメント 

『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言』

この本はウォーレン委員会の元スタッフが声をかけ、情報提供したものを使い著者が書いた本らしいので、読む前から心配になって来た。フィリップ・シノンはどんな男なのか。吟味が必要な男の可能性があろう。

ウォーレン委員会はどんな組織だったのかは、委員たちの顔ぶれの中に、ケネディにピッグス湾の責任をとれと解任されて復讐の念を燃え上がらせていたダレスがいたことで、結論はおおよその察しがつくのだが、また、「何を隠蔽しようとして?」声をかけてきたのか、じっくり読んで検討することとしよう。委員ではなく委員会のスタッフたちはどんな人選でおこなわれたのか。

どうもウォーレン委員会元スタッフが全面協力などという触れ込みでは、『ウォーレン委員会報告書』の評判の悪さを、外国の陰謀のたくらみがあったとした工作をねつ造した疑いが、そもそもアメリカにあるのだが。50年後にさらに政府がオズワルド真犯人説を強固にするため、隠蔽しようというねらいがあったのではないかと疑う。やれやれ。相変わらずの隠蔽体質なのか。このあたりを、『ウォーレン報告』を傍らに置きながら読んでみたい。

ウォーレン委員会及び下院暗殺調査委員会で収集した資料公開が先決だろうに。

50年後にしてこんなタイプの書物を出すこと、アメリカの信用がさらに落ちていくのではないかと本当に危惧する。

おそらく身の毛もよだつような、「政府内の一部機関もしくは人物ネットワーク」 がケネディ暗殺に深く関与した秘密があるからなのではないだろうか。

魔法の銃弾、オズワルドの射撃能力・動機、複数の射撃ポイントの可能性、3発以上の銃撃の目撃者証言など、従来の研究者の陰謀の疑いの結論はさておき、オズワルドを罠に陥れるために隠されていた謎の女に注意をそらそうとするのであろうか。

また、ケネディ暗殺事件で関わりのある女性では、マリータ・ロレンツという、キューバのカストロの恋人にして、ケネディ暗殺謀略団に途中まで加わったと証言していた女性については、フィリップ・シノンのコメントがあるのであろうか。読むときには、このあたりにも注意しておきたい。

マリータ・ロレンツは1964年に刊行された『ウォーレン報告』には登場しない女性であるが、その後のアメリカ下院暗殺調査委員会では宣誓して、ケネディ暗殺の前、モーテルにいたスタージェスのところに、CIAのハワード・ハントが金を渡しににきたこと、オズワルドもいたこと、ジャック・ルビーがモーテルに顔を出しに来たことなど驚愕的な話しをしている。

その後2007年、ハワード・ハントは臨終際にハントの息子の前で、ケネディ暗殺にCIAが関わっていたことを証言して死んだのである。彼はダラスにいた。このことは、「ヒロさん日記」のブログにあるので参照されたい。またケネディ暗殺のコード・ネームが「Big・Event」だったことを明かしていたようだ。

「ヒロさん日記」のブログは下記へ

 

http://hiro-san.seesaa.net/article/250625521.html

 

フィリップ・シノンは『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目証言』でこのことに触れているであろうか。とくと観察することにしよう。

どうもこの本は、新刊本を争って買いに走る必要はないかもしれないのだが・・・・・。

 

 

 ▲ ケネディ大統領暗殺40年目の2003年に出版された 土田 宏 『秘密工作 ケネディ暗殺』 彩流社 価格2500円+税

長年ケネディとその時代の研究に時間を費やしてきた土田の著作。ちょうど10年前の本だ。2000年代ではこれを推す。

 

 ▲ 大森実 監修 毎日新聞社外報部 訳 『ケネディ暗殺の真相  ウォーレン報告』 1964 年 毎日新聞社 

大統領警護関係の部分の翻訳は抜けているが、1冊本のウォーレン報告のほぼ全訳に近い。このほか26巻の資料集は日本では未訳。インターネットで、1巻本のウォーレン報告および資料集全26巻はダウンロードできる

なお、当ブログの2009年1月3日 

2012年6月9日、7月18日、7月19日

2013年1月3日、7月31日、8月2日、8月4日、8月5日にケネディ関係の記事あり。参照願う。

 

 

 

 

 

 



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