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マリータ・ローレンツをめぐる2冊 オペレーション40とは何か ケネディ暗殺事件を考える 1-1

2015年08月13日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事

                    布施泰和 『カストロが愛した女スパイ』 2006年 成甲書房 定価1900円+税

 

マリータ・ローレンツをめぐる2冊 オペレーション40とは何か その1ー1

ケネディ大統領暗殺事件を考える

 

▲▼ 布施泰和 『カストロが愛した女スパイ』 目次

▲ 布施泰和 『カストロが愛した女スパイ』 目次

 

 

▲ マリータ・ローレンツ/ テッド・シュワルツ北澤和彦訳  『諜報員マリータ』 1997年 新潮社 定価1900円+税

▼『諜報員マリータ』 目次

 

▲『諜報員マリータ』 目次

                                      ・

 

キューバ国交回復の動きが急ななかで、かつて、カストロは何度アメリカに暗殺されかけただろうか。数あるカストロに対する暗殺未遂でも特に驚天動地の衝撃をもたらしたのは、かつてのカストロの恋人マリータ・ローレンツ。

アイゼンハワー大統領から引き継いだキューバ反革命の侵攻作戦が、大失敗に終わった後、ケネディは、前大統領の意を受けていた、CIA長官・副長官の首切りを実施する。CIA解体の恐怖をばねに、軍産複合体は、自らの大統領排除への恐るべき計画を始動させる。

キューバ侵攻に関わる、亡命キューバ人を含む反カストロ人脈が、新たに再編成され、その後に引き続くカストロのキューバ攻撃に関わりつつも、ケネディ大統領抹殺に動きだす。

ここに始動開始したチームの作戦暗号名 オペレーション40とは?

読み始めたら、一気に最後まで読ませてしまう迫力は、アメリカ政治の最深部に関わる事項であり、幾重にも重なるアメリカ政治に存在する、人間の権力欲・強欲の力のすさまじさである。

上の2冊の著書、発刊から、大分経過しているので、小さな図書館では廃棄しているところもあるかもしれないが、中規模以上の公共図書館では保存しているのではないだろうか。夏休みに何か面白い本を痛快に読破できる本をお探しの人、アメリカの深層を発掘したい人、ぜひこの本お薦めしたい。

サスペンスに満ちた展開の本を、解説する愚は避け、この2冊の紹介は目次のみにて失礼。

ぜひこの夏の読書に加えて欲しい本である。

今日はここまで

 

なお、布施泰和 『 『カストロが愛した女スパイ』 は、布施泰和のブログ「天の王朝」で公開している。

合わせて、現在絶版状態の 布施泰和 『誰がケネディを殺したか』 も公開している。ぜひ無料で読めるので、本の形態でなくてもいいという人はぜひアクセスを。

ここ▼

http://plaza.rakuten.co.jp/yfuse/

 

なお、私のブログでは、マリータ・ローレンツに関して、「ハワード・ハント」のケネディ暗殺事件をめぐる裁判を扱った本の中で、マリータ・ローレンツが裁判に関係して証言しているのでふれている。

マーク・レーン『大がかりな嘘 だれがケネディを殺ったのか』1992年、扶桑社、の紹介をしたことがあったので記しておきたい。

 

ここ▼

ケネディ暗殺事件 マーク・レーン の 『おおがかりな嘘』 1992年 飯塚忠雄訳 扶桑社

ケネディ暗殺事件 マーク・レーンの『おおがかりな嘘ーだれがケネディを殺ったのか』その2

 

ケネディ大統領暗殺に関わる裁判では、ジム・ギャリソンの「クレイ・バートランド」を訴えた裁判が、オリバーストーンの「JFK」の映画でも再現され有名だが、マーク・レーンが弁護を引き受けた上の「リバティ・ロビー社」を訴えたハワード・ハントのやり直し裁判は重要だった。マリータ・ローレンツはこの裁判で、宣誓供述している。彼女は「私も途中まで、事件に関わり、暗殺団の投宿していたホテルにCIA職員のハワード・ハントは資金をもってあらわれ、オズワルドも知っているし、あとでホテルにジャック・ルビーも訪ねてきた」と言っているのである。

「ハワード・ハントがリバティ・ロビー社」を訴えた裁判は、ケネディ大統領暗殺当日、ダラスにハワード・ハントがいたか否かをめぐって争われた。ハントはこの裁判で負け、マイアミ連邦地裁の前で、アームストロング裁判長は、「CIAがケネディ大統領を殺しハントはその一味だったのです。」と記者団に語ったのだ。このことは、地元のテレビが簡単に報じただけだ。一審でハントが勝ったときには、ワシントン・ポスト紙は報じたのに、やり直し裁判で、CIAの関与を明らかにしたやり直し裁判の判決の時は全米にカーテンが降ろされ、この裁判の評決が漏れることはなかったのである。この裁判は、1985年2月6日のことであった。ケネディ大統領暗殺に現職のCIA職員が関わったことが明らかになった大きな判決であったのにである。アメリカの全米テレビネットワークや大手報道メディアはこの頃、とうにくたばっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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