ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

今日は何の日?

2013年07月15日 19時57分01秒 | 時事

今日の『国民の祝日』は何の日?

『海の日』です☆

 ということで、今日は『海の日』にちなんだ神社に参拝することにしました~。家にいたカミさんと末っ子ヤマトくんもついてきてくれました(マイちゃんは、仕事で不在)☆ ありがとう☆

 今週末、私は東京で、ある行事に参加するのですが、7/15の『海の日』とセットになっているカンジがしました。なので、福岡で「海」にちなんだ神社にご挨拶に参拝しておこうと思ったのです。で、まず最初に参拝したのが、糟屋郡宇美町にある、『宇美八幡宮』。いきなり、「海」と「宇美(うみ)」のダジャレ?(笑) 確かに、音が一緒なので、ダジャレといえばダジャレ。しかし、『海の日』に神社参拝しようと思ったときに最初に浮かんだのが、この『宇美八幡宮』なので、素直に参拝することにしました(笑) ま、こういうことが、神の計らい☆

 境内は、赤ちゃんを抱いてお宮参りをする人たちでにぎわっていました。というのも、『宇美八幡宮』の由来は以下のようなことだからです。(参考文献:ウィキペディア) 3世紀ごろ、天皇職についた(本来は15代天皇ともいわれましたが、大正時代の詔書により、天皇とはみなされなくなりました)女帝・神功皇后(じんぐうこうごう)は、住吉大神の神託により、お腹に子供(のちの応神天皇)を身ごもったまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めました。新羅は戦わずして降服し、朝貢を誓い、高句麗・百済も朝貢を約したといいます(三韓征伐)。彼女が帰国し、この地でのちに応神天皇となる子を産んだのです。地名の「宇美」は「産み」に由来します。なので、その神功皇后や応神天皇をお祀りしたこの神社は、地元では安産の神様として信仰されています。574年に創建されたようです。

 次に向かったのが、福岡市東区、玄界灘を望む志賀島(しかのしま)にある『志賀海(しかうみ)神社』です。全国の綿津見神社、海神社の総本宮を称しています。「綿津見」とは、「わだつみ」と読み、海の神様です。

 かつては、「しがわだつみ神社」とも呼ばれていました。神功皇后が三韓征伐の際、この地の豪族(水軍でもあると思います)である、阿曇(あずみ)族の者に船の舵取りを担当させたこと、無事帰国できたことから、阿曇氏に命じて、この神社を創建したそうです。ちなみに、その後、阿曇氏は、長野に転勤しました。その地が、安曇野(あずみの)です。安曇野には、穂高神社というのがあり、志賀海神社とつながりがあります。
 ここには、遥拝所があり、遠く伊勢神宮を遥拝することもできます。

 昨年9月に木内鶴彦さんとプライベートで一緒に参拝した時に、教えてもらった現象を家族に見せました。ある御神木の付近だけ、“気”が違うのです。手の影を見るとよくわかります。通常は、影の輪郭がハッキリしているのですが、御神木の付近だけ、輪郭がユラユラしているのです。不思議~ ・・・メカニズムは省略します(笑)

 海に面した駐車場から北側に小さな鳥居が見えると、カミさんが発見しました。私は、何度もこの神社には参拝しましたが、気づきませんでした。さすがです。

 駐車場から参道へのショートカットのようですが、鳥居が白木です。木内鶴彦さんから教わった話で、本来は鳥居は白木であるべきだと。遷宮をはじめとする、“循環型”であるためには、鳥居も白木であり、朽ち果て、交換していくことが、大切だそうです。
 こちらの参道が海から直結した本来の参道かもしれません。

 さて、本日最後の参拝先は・・

 福岡市博多区、JR博多駅からも近い、『住吉神社』です。古書には、「住吉本社」「日本第一住吉宮」とあり、全国住吉神社の中で、最初の創建だといわれているようです。「筑前国」一の宮です。
 この神社も、神功皇后が、三韓征伐から帰国して、海の神々を祀ったのが、起源とされます。

 大陸との玄関口、筑紫という土地柄なのでしょうか、今回の3つの神社は神功皇后とも縁の深い神社でした。参院選ポスター貼りでもそうですが(後日このエピソードは明らかに:笑)、ここ最近、神功皇后との縁を感じます(笑)

 無事、「海の日」三社参りを終えました☆

 ありがとうございます☆


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