ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

『村上海賊の娘』の旅(その5)

2014年04月23日 21時55分34秒 | マイブーム

その激しい潮流は“よそ者”を寄せ付けません。

 ヤフーマップで能島(のしま)の衛星写真を見ると、その潮流の激しさがわかります。海面の白いところは波が激しく動いています。島の周囲は、とても潮の流れが早く、複雑なのです。能島が“海の要塞”となりえた理由です。潮の流れを知らないよそ者にとっては、攻め難い島なのです。

 最大10ノット(時速約18km)といわれる潮流を体験できるのが、宮窪瀬戸の潮流体験です。40分かけて、能島周辺をぐるっと回ります。今は無人島の能島には上陸できませんが、見ごたえはありそうです。

 潮流体験は、村上水軍博物館の向かえにある『水軍レストラン:能島水軍』で受け付けています。お店に入りました。

 で、次回14時の便に乗ろうと思い、「潮流体験受付」と表示のあるレジのお兄さんに、「潮流体験をしたいのですが」と言ったところ・・・
 「今の時間、潮流が穏やかですけどいいですか?」・・・つまり、“潮の流れは穏やかで、おもしろくないよ”ということです。私が、「じゃ、15時の便ではどうですか?」「あまり変わりませんねぇ」 激しい潮流の時間帯は、大潮小潮などにより、その日によって違うそうです。公式ホームページで最適時間帯のカレンダーがあります(こちら)。
 私が、「う~ん」と、しばし沈黙していると、「お客さんが船を出せと言われるなら、出しますけどね・・・」 私が、14時便の乗船申込みの初めての客だったようです。もちろん、この後も、乗船申込者がゼロなら、運休するのでしょう。しかし! 私は、「じゃ、14時の船でお願いします」(笑) (もしかしたら、私ひとりの貸し切り状態か!?)

 能島は、“穏やかな”海で私を迎え入れてくれました。 ってことです。能島がウエルカムってことです。 激しい潮流で、私を拒むことは無かったのです。

 出港まで20分ほど時間がありましたので、ベンチに座り、能島海域をバックに『村上海賊の娘』を読み進めます。至福の時です☆

 そして、結局、私の後、10人ほどの申込者がいたようで、船(定員40人)は出港しました。私は能島を見るには眺めがよいと思われる、最前列左側の席に座りました。

 ほどなく、能島が見えてきました。テンション上がってきた~

 『村上海賊の娘』著者の和田竜氏も言っていましたが、実際に船に乗って、この海域を船からの目線で見ると、目の前にひろがる島々は重なり、どこが入り江で、どこが海路かわかりません。島々のどこを進めば、芸予諸島を効率よく東西に行き来できるかわかりません。俯瞰(ふかん)した地図なら一目瞭然ですが、当時は、この海域に慣れている者=海賊(水軍)の案内がなければ難しかったことでしょう。また、そこには、通行料が必要でした。海賊が経済的に発展した理由のひとつです。

 船は進み、能島にどんどん近づきます。アドレナリンどっさりです(笑) 周囲720メートルの三角形の小さな島ですが、瀬戸内水軍の歴史では、大きな存在でした。


 小説にも出てくる船着場です。ミーハーと思われますが、本を片手に記念ショット☆ うれしぃ~

 船は一旦、能島から離れ、いくつかの瀬戸や見近島などを見物します。小説の中で、能島に向かうも、この海域に不慣れな毛利水軍が、どんどん村上海賊に追い越されていくシーンがふつふつと蘇ります。

 で、また、能島に戻ってきます。能島最大の西の船着場です。

 あぁ、もうたまりません!(笑) 景が、武吉が、景親が、元吉が、村上海賊たちがこの島を舞台に駆け巡るのです!

 大賞発表後の今では、本を片手に乗船する観光客も増えたことでしょう。

(つづく)


『村上海賊の娘』の旅(その4)

2014年04月16日 22時19分21秒 | マイブーム

「お客さんが船を出せというなら出しますけどね」
相手は、怒っているわけでもなく、イヤイヤでもありません(笑)

(帆を上げろ!出港じゃ!船を出せ!!!)と、私は心の中で下知を飛ばしながら、ニコニコと「じゃ、お願いします」(笑)

 しまなみ海道、村上水軍を訪ねる旅。まずは、来島海峡SAからの景色を楽しみました。

 一口に『村上水軍』といっても、3つのグループに分かれます。いわゆる、『三島(さんとう)村上』といいます。それぞれの本拠の島の名前から、『因島(いんのしま)村上』『能島(のしま)村上』『来島(くるしま)村上』と名乗りました。これら三島村上は常に“一枚岩”ではありませんでした。時には敵と味方に分かれて戦ったこともあります。そして、この三島村上の中で最大のチカラを誇ったのが、能島村上です。その大将が、村上武吉(たけよし)です。
 『村上海賊の娘』は、この能島村上、村上武吉の娘、景(きょう)が主人公の物語です。1570年ごろの史実を元にフィクションが加わった物語なので、水軍好きの私には歴史の勉強になりながら、おおいに楽しめました。

 来島海峡SAからは、来島は見えませんでしたが、来島海峡を望め、まずは、来島村上の気分(笑)
 自宅で旅のプランを練る時に感じましたが、意外としまなみ海道の情報って少ない気がします。「瀬戸内」とかを目的とした旅のガイド雑誌を読んでも、あまりくわしくありません。ネットもそうです。ま、私が、旅の目的が“水軍目線”だから、そう感じたのかもしれませんが・・・(笑) しかし、SA(サービスエリア)にはマップを中心としたたくさんの無料印刷物がありましたので、助かりました。ただ、しまなみ海道の島々が愛媛今治市と広島尾道市にまたいでいるため、それぞれの観光協会が作っていたりしますので、横断的なものが少なかったりもします。が、SAでまず、資料集めをしてから動き出すのもよいかもしれませんね。

 さて、今治側から、大橋を3つ渡り、大島(伊予大島)に上陸しました。天気がよく、暖かくなりだした休日なので、サイクリングを楽しむ人たちが多かったですね。このしまなみ海道の大橋は、徒歩や自転車で渡ることができるのです。時間があれば、自転車でのんびり旅するのもよいですね。
 大島では、道の両サイドを自転車が走る中を、注意しながらクルマを走らせましたが、国道を離れ、県道に入るとパッタリ自転車の姿はありませんでした。この県道は、村上水軍博物館へ続きます。私が、訪れた時は、まだ、『村上海賊の娘』は本屋大賞を受賞する前でしたから、能島観光や村上水軍博物館まで足を延ばす人はほとんどいないようです。

 村上水軍博物館に着きました。

 今回の最大のお楽しみ!

 それは、船による宮窪瀬戸の潮流体験です☆

 私、2年半前に、しまなみ海道を旅する計画を立てました。もちろん、『水軍を訪ねるの旅』です。その時は、結局、諸般の事情で旅は中止になりましたが、その時に、宮窪瀬戸の潮流体験があることを知りました。ちなみに、島の反対側、来島海峡側にも急流観潮船(潮流体験)があります。その時は、「へぇ~。そんなのがあるんだ」ぐらいの感じで、時間があれば、船に乗ってみるかなと思う程度でした。

 しか~し!

 『村上海賊の娘』を読み出してからは、ガゼン、状況が変わってきました(笑) 2年半前に旅していなくてよかったと思えるほどです(笑) 「時間があったら乗ろうかな」と思っていたのが、今回では、「ぜひ乗りたい!」「絶対乗るゾ!」と、最大の楽しみとなったのです。

 それは、なぜか?

 『村上海賊の娘』を読み始めてまもなく、能島の情景を描いたシーンがありました。

 宮窪瀬戸の潮流体験は、まさにその能島の情景を堪能できるのです☆

 2年半前に潮流体験をしていたら。また、『村上海賊の娘』の存在を知らない2月に予定通りパソコンサポートでYさん宅に行っていたら。私はここまで、ワクワクはしなかったでしょう(笑) しかも、2月は2回も四国行きが流れました。『村上海賊の娘』を知り、穏やかな暖かい季節になってから訪れる能島。
 いつもながら、“神計らい”にはシビレます(笑) うれし~っ

 ひとり、興奮していますね(笑) 最近は、「心の整え方」「ものの見方」「目に見えない存在の話」「ありがとう実践録」よりも、旅行記ばかりですねぇ。 旅行作家のようです(笑) そういえば、故小林正観さんも旅行作家のお仕事をされていました☆ いつしか、講演会で忙しくなり、旅行作家としてのペンを置かれましたが・・・
 正観さんから、「旅行記をネット上で有料配信したいのですが」と相談され、システム構築を考えたのが10年前でした。結局、当時の小額ネット決済システム環境の未発達などで構想は立ち消え、お役に立つことができませんでした。あの時、「あぁ、正観さんは、“旅行作家”は終えられたんだな」と思いました。講演会冒頭の自己紹介も「私の本業は旅行作家です」というフレーズも言われなくなりましたね。懐かしい思い出です。

 話を戻して、私のつたない旅行記は続きます(笑)


『村上海賊の娘』の旅(その3)

2014年04月13日 15時44分20秒 | マイブーム

間に合いました。
よかった~

 小倉港。松山行きのフェリーに乗り込むために自宅を出発しましたが、既に出発予定の時間は過ぎていました。自宅から小倉港まで高速道で1時間10分。ナビが表示する到着予定時間も、乗船手続き時間(出港の30分前)を5分過ぎていました。ま、とにかく急ぎました。
 で、到着したのが、乗船手続き時間締切ちょうど。連休前夜でしたので、乗船手続き窓口は、少し並んでいました。間に合いました。よかった~ 案の定、クルマは最後尾でフェリーに乗りました。

 天候は大荒れでした。風向きによっては傘が壊れそうなくらいでした。船に乗っても、船内は大揺れでした。「こりゃ、酔うな(笑)」・・・しかし、間もなく出港した後は、揺れを感じませんでした。よかった~

 さて、さて、乗船後のお楽しみ☆ 生ビールタイム!

 売店やテーブル、座敷などがあるパブリックエリアで、しばし読書タイムです。もちろん、『村上海賊の娘』。かつて、水軍が駆け回った瀬戸内を今、フェリーで航行しながら、この本を読むシアワセ(笑) ちょうど、内容は、能島(のしま)村上水軍の本拠地、能島周辺の情景のシーンでした。ワクワク読み進み・・・

 生ビール2杯目!ビールも進みます(笑)・・・23:30売店の営業が終了します。3杯目を飲みたかったのですが、閉店の時間に気づかず、飲めませんでした(T_T) ま、でも、ちょうどよくできているのでしょう。寝室に戻り、就寝することにしました。瀬戸内の海上で夜を過ごしました。

 翌朝、松山港に上がり、高速道を走り、香川・観音寺市のYさん宅に到着。パソコン設置作業をしました。
 翌日、無事、パソコン作業が終わり、帰途につきます。Yさん夫婦には、1泊2日たいへんお世話になりました。ありがとうございます☆

 13:00ごろ、しまなみ海道四国側の入口の来島(くるしま)海峡SAに到着しました。さぁ!『村上海賊の娘』を訪ねる旅の始まりです!

 『村上海賊の娘』を読んで、その世界観を楽しみたい方々の参考になれば幸いです。

(つづく)


『村上海賊の娘』の旅(その2)

2014年04月08日 21時54分37秒 | マイブーム

キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!

 今夜、『本屋大賞』の発表がありました。

 「村上海賊の娘」が見事、大賞を受賞しました! おめでとうございます。

 5月には村上水軍がからむ映画「瀬戸内海賊物語」も上映されます。

 今年の瀬戸内水軍は一味違うゾ!!!

 村上水軍を訪ねる旅紀行、続きます☆


『村上海賊の娘』の旅(連載途中の割り込み企画)

2014年04月05日 22時59分00秒 | マイブーム

海賊・・・
水軍・・・

キタ━━━(゜∀゜)━━━!!!

 『本屋大賞』ってご存知でしょうか?本屋さんに関わる人々の投票によって、「お客様に読んでもらいたい」「ウチの書店でぜひとも売りたい」という本を選ぶイベントです。昨年は、「海賊とよばれた男」が大賞を受賞しました。作者は、百田尚樹氏。その勢いで、映画「永遠の0」も大ヒット。『本屋大賞』が始まって10年。その認知度も年々上昇してきています。今年もまもなく、『本屋大賞』が発表されます。

 私、ちょくちょく書店に出向きます。「週刊・日本の神社」を買うために、今は必ず週に一回は書店に行きます(笑)・・・2月のある日、書店の店頭で私の目に飛び込んできたのが・・・「村上海賊の娘」!『本屋大賞』ノミネート10作品のうちのひとつでした。
 思わず、手に取ってみました。自称、前世・瀬戸内水軍(海賊)という私の琴線に触れるには1秒もかかりませんでした(笑)
 作者は、和田竜氏。映画化された小説「のぼうの城」が有名ですね。

 このタイミングがすごい!(笑)

 香川・観音寺市の知人Yさんから、WindowsXPのサポート切れにともなうパソコン入れ替えの発注があったのは、昨年末。パソコン代はもとより、私の出張経費、日当、様々なウェルカム接待まで負担して福岡から香川までパソコン設置に呼んでくれるのです。ありがたいことです。感謝。この10年で2~3回訪問させていただいています。
 当初の予定では、2/15に訪問する予定でした。が、瀬戸内、まれにみる大雪のため、中止。そして、その翌週は、Yさん人生初のインフルエンザで、またも中止。その後は、私とYさんのスケジュールが合わず、軽く1ヶ月が飛び、3/21となりました。
 その延期した時期に「村上海賊の娘」を知ったのです。知ってよかった~

 パソコン設置の予定がおもしろいようにずれるにずれた時、「ま、なにか“意味”があるんでしょ」程度に軽く思うようにしていました。
 が、この「村上海賊の娘」を読んで四国に渡るのと、読まずに(知らずに)四国に渡るには大きな違いを感じました。“神計らい”を感じます☆

(つづく)