ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

神社との向き合い方 【その8】(最終回)

2017年11月17日 11時39分08秒 | 日々の神計らい

「合格です。ありがとうございます。お世話になります。よろしくお願いします」

 合格発表の数日後、息子・カミさんと3人で、入学準備のために戸畑を訪れました。もちろん、まずは、合格の報告とお礼参りに「菅原神社」に参拝しました。神前で手を合わせ、感謝。そして、『神社との向き合い方 【その4】』で書きましたこの神社でいただいたお守りを古札入れにお返ししようと、古札入れを境内で探しましたが、見つかりません。社務所にも誰もおられませんでした。「では、飛幡八幡宮でお返ししよう」ということになり、飛幡八幡宮にお礼参りしました。ここには、本殿のところに、古札入れがありました。神前に手を合わせ、感謝。そして、息子が古札入れにお守りをお返ししました。

 そして・・・

 『神社との向き合い方 【その1】』のお話に繋がるのです。

 女性との珍しい体験をした後、本日3社めの「中原八幡宮」に参拝しました。

 今回、無事、御朱印をいただきました~。「菅原神社」「飛幡八幡宮」「中原八幡宮」とクルマで一気に回れば30分ほどのところですが、日にちをかけて3社の御朱印が揃ったこともおもしろいですね。

 我が家の息子の大学受験に関わる、神社のエピソードでした~

 大学入学後、山口県萩の「松陰神社」にも、感謝参拝とお守りのお返し。「あちこちでお守り買ってんじゃん!」というツッコミを感じます(笑) 山口県は私の御先祖様の出身地です(山口の瀬戸内側です)。ありがとうございます。

 “明治の工業化政策を牽引した長州ファイブ”・・・これから工業大学で学問を学ぶ息子。ご縁を感じます(笑)・・・ちなみに、息子が学ぶ大学の前身は、『明治専門学校』といいます。

 ありがたい。日々感謝の生活☆

(最後の写真は、長門にある元乃隅稲成神社[もとのすみいなり]です。風景が美しいです)


神社との向き合い方 【その7】

2017年10月24日 20時52分17秒 | 日々の神計らい

「ゴメン。飛行機を1本遅らせるので、少し遅くなるわ」

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 息子の大学合格発表の数日前に、関東に住む中学の同級生から連絡がありました。福岡に出張で行くので一緒に飲もうよ!とのうれしいお誘いです。夜8時にはチェックインできそうなので、その時間にどうだと。・・・しかし!その日は、まさに合格発表の日です。見事合格していたら、夕食はお祝い会をしたい。しかし、落ちていたら、お祝い会はありませんので、夜の予定はなくなります(^^;ゞ
 もちろん、 同級生には「息子が落ちていたら一緒に飲めるよ」なんて言えません。同級生も、私と楽しく飲めませんものね(笑)
 なので、同級生には合格発表の日とは言わずに、「ちょっと遅めに8時半とかにしようか」と言いました。8時半ならば、6時に仕事を終え、お祝いのお寿司を買い、自宅で7時にお祝い会スタート。8時に終了し、急ぎ天神(福岡の商業中心地)に出たら8時半には間に合います。
 しかし、同級生の返答は、「大丈夫!8時には待ち合わせできるから、8時にしよう!」

 “頼まれ事は引き受ける”とは、かなり主旨が違いますが、なんだか、そのまま流され(汗)、8時に待ち合わせとなりました。まぁ、合格お祝い会の時間を短縮させてもらうか(^^;ゞ 落ちていたら、バタバタも無くなりますが・・・

 すると!

 合格発表の前日に、同級生から連絡が入りました。「ゴメン。仕事の都合で、飛行機を1本遅らせるので、少し遅くなるわ」・・・待ち合わせが9時に変更されました。

 キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!

 この瞬間、「合格したな☆」と思いました。

 そして、発表当日・・・

 合格です!!!

 おめでとう。ありがとう。息子の学力では、ほとんど合格が難しい大学でしたので、私も感慨もひとしお。よかった~

 バタバタすることなく、息子のお祝い夕食会を行いました。そして、同級生とも楽しいお酒を酌み交わしました~

(つづく)


神社との向き合い方 【その6】

2017年10月19日 21時55分13秒 | 日々の神計らい

「中原八幡にも行かれたらよいですよ」
神職の方に言われました。

そして・・・

「宮司は、お祓いに出かけていて、今は居ないんですよ」「わかりました!では、“また”来ます!!!」

ワハハ~

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!! 

 さてさて、受験会場にありがたく無事に息子を送り届けた後は・・・

 そのまま帰宅してもよかったのですが、私はやっぱり・・・(笑)

 前回、菅原神社でおばあさんに「行ってみたらよいよ」といわれた飛幡(とびはた)八幡宮に息子が無事受験できた感謝を捧げようと参拝することにしました。「飛幡(とびはた)」とは、現在の「戸畑(とばた)区」の由来になったという説があるようです。

 ここも祇園祭ですから、「須賀大神」をお祀りしていました。スサノオさん専用御朱印帳の出番です☆熊野本宮の御朱印帳☆

 そして、『菅原神社』『飛幡八幡宮』と御朱印が並んだのですから、神職さんに言われました・・・「中原八幡にも行かれたらよいですよ」 私「わかりました」

 『戸畑祇園大山笠』は、菅原神社、飛幡八幡宮、中原八幡宮、恵美須神社の四社が中心となり行われています。その中で、スサノオさんをお祀りしているのが、菅原、飛幡、中原です。その中原に向かうことになりました。飛幡八幡からクルマで15分ほどでしょうか。中原八幡宮に到着しました。

 ここでも、ご挨拶とお礼の参拝。

 御朱印をいただこうと、社務所のインターフォンを鳴らしました。

 宮司さんの奥さんとおぼしき女性が出て来られました。「宮司は、お祓いに出かけていて、今は居ないんですよ

 私は、とっさに「わかりました!では、“また”来ます!!!」と言いました。

 “また”です。

 そっか。また来るんだ・・・ニヤリ

(つづく)


神社との向き合い方 【その5】

2017年09月17日 17時16分44秒 | 日々の神計らい

シマッタ~!!!!!!!!

これほど後悔したことは初めてかもしれません!

 さてさて。前回、菅原神社に参拝後。ついに、息子の受験日がやってきました。念のために、前日に近くのホテルに宿泊する考えもありましたが、なんと、この日は、ヤフオクドームとマリンメッセでビッグアーチストのライブがあり、北部九州のホテルが満室状態だったのです。なので、遠方から北部九州への受験生が宿泊できないという問題が地元ではニュースになっているぐらいでした。そんな状況ですから、私達はクルマで当日行くことになりました。余裕を持って、自宅を出発しました。そして、都市高速に乗り、順調に運転していました。

ら!

 急に、不安というか、危機管理意識がムクムクッと起き上がってきました!

 電車にすればよかったのではないか!?

 福岡の都市高速も、時々、事故で通行止めとか大渋滞が発生しています。もし、今、その事態が発生したら!時間に余裕を持ったと言えど、時間に間に合うのか?もし、そういう事態になった時の対処を運転しながら色々考えました。そのままクルマは順調に進み、都市高速から高速道路の九州道に入りました。今度は、ほとんどの行程を山の中を走ります。通行止めで止まっても、代替交通手段がありません!ここでもあれこれシミュレーションしながら走行します。家を出て約1時間強。八幡ICから北九州都市高速に入りました。ホッとしました。ここまできたら、何かあっても、都市高速から徒歩で下に降りると、一般道があり、バスなり、タクシーなり代替手段があります。

安心したものの、しかし!

電光表示板に「前田方面 事故通行止め」の表示が!

 「前田ってどこ~っ!?」 北九州市の土地勘の無い私は、???です(笑) とにかく、「行けるところまで行こう」と途中、分岐点を抜けても、「前田方面通行止め」の表示があるまま進みました。どうも前田方面に向かって進んでいるようです。

 結局、最後の分岐で前田方面とは違う方向でした。ヤレヤレ。

 そして、受験会場には、1時間前に余裕持って到着できました☆

 電車で来ることの選択肢はありませんでした。朝の通勤列車に、受験道具の重い荷物を持って2時間ほど移動するのは、親としては、忍びない(笑) 前泊するか、当日クルマしか考えませんでした。それでも、ここまで私が疲れるのであれば、リッチですが新幹線や特急列車を使うとかがよかったのかもしれません。

 「じゃ、行ってきます」と、受験会場である大学に息子が入っていく後姿を見届けると、ドッと疲れが襲いました(笑)ここ何十年感じたこと無いくらいの疲れでした(笑)頭を働かせすぎたのでしょう(笑)

 受験できることが、どれだけありがたいことでしょうか! 大雪とかJRの障害で受験に遅刻した時は、救済がありますが、個人的な問題、病気とか、交通事故とか、渋滞、通行止めなどは、おそらく救済されないのではないでしょうか?
 今回のことで、『受験できること自体に感謝』の気持ちがとても実感できました! 

(つづく)


神社との向き合い方 【その4】

2017年06月13日 22時04分10秒 | 日々の神計らい

ギョギョギョ!!!

 社務所の窓ガラスから離れようとした時でした!

 ガラスの向こう、部屋の奥に何かが動く気配を感じました!目を凝らして、見ているとそれは人影ではないですか!部屋の奥の方から、おばあちゃんがやって来ました!窓を開けながら、「何か御用ですか?」

 どうやら、留守番?をされているおばあちゃんが、部屋の奥で、お弁当タイムを過ごされていたようです。部屋の中は、私から見えていたハズですが、人がおられるとは気づきませんでした。

 私は、「御朱印をいただけますか?」という問いに、「私でよければ」とおばあちゃん。

 ありがたく、御朱印をいただきました。その様子を見ていたカミさんが寄ってきて、お守りや御札の見本がたくさん並んでいるものを見ながら、「学業祈願のお守り、黄色のものをいただきたいのですが」と。私は、日頃から「お守りは、神様にお願いをするようなものだから、いりません!」と言っているのですが、この時は、とっさの出来事で、止めることもできませんでした(笑) 受験勉強をしている息子を見ていると、何かしてあげたいと思う“親心”が芽を出してしまい、「それもヨシ」(笑)

 おばあちゃんは、あまり慣れていないようで、「この中から好きなのお取り」と、ド~ンと色んなお守りが入っているレジ袋ほどの大きさのビニール袋を出してきました。納品された時のまんまといった袋姿です。私達夫婦は、一瞬あっけに取られましたが、そのおばあちゃんの素朴さに、暖かい気持ちの中で、お守りを選び、授かりました。

 おばあちゃんから、「○○神社には行かれましたか?○○通りにあって、そこは、宮司さんが常駐されてますよ。(常駐されているので、御朱印もいだだけますよ)」と言われました。神社やストリートの名前はよく聞き取れませんでしたが、後から、『飛幡八幡宮』のことだとわかりました。

 しかし、この日は、この後、大学を見て、大学周辺を歩いて町並みを観察しただけで、おばあちゃんから言われた神社には参拝しないまま帰宅しました。

 後日談ですが、その後4ヶ月の間に、この菅原神社には5回ほど参拝しましたが、社務所に人がいる時はありませんでした。“たまたま”あの時だけ、人(おばあちゃん)がいたのです。オモシロ~イ☆そして、ありがとうございます☆

 おもしろい話は、まだまだ続きます。

(つづく)


神社との向き合い方 【その3】

2017年06月06日 13時58分22秒 | 日々の神計らい

ギオン!???

 皆さんは、「祇園(ギオン)」と聞いて何をイメージしますか?京都の町でしょうか?私も子どもの頃、奈良に住んでいまして、「祇園」とは、京都にある町で、お座敷遊びをする高級な場所というイメージしかありませんでした(笑) 私の父も、京都で働いていた頃は、時々、祇園で、パッ!と遊んでいたそうです(笑) 社長さんとかに連れて行ってもらって(笑)

 そんな私ですが、今では、「祇園」と聞くと、「スサノオさん!」と反応します(笑)

 ウィキペディアによると、『祇園信仰(ぎおんしんこう)は、牛頭天王・スサノオに対する神仏習合の信仰である。明治の神仏分離以降は、スサノオを祭神とする神道の信仰となっている。京都の八坂神社もしくは兵庫県の広峯神社を総本社とする。牛頭天王は元々は仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされる。中国で道教の影響を受け、日本ではさらに神道の神であるスサノオと習合した。これは牛頭天王もスサノオも行疫神(疫病をはやらせる神)とされていたためである。
 そして、京都の祇園祭が有名ですよね。ウィキペディアは続きます。『平安時代に成立した御霊信仰を背景に、行疫神を慰め和ませることで疫病を防ごうとしたのが祇園信仰の原形である。その祭礼を「祇園御霊会(御霊会)」といい、10世紀後半に京の市民によって祇園社(現在の八坂神社)で行われるようになった。祇園御霊会は祇園社の6月の例祭として定着し、天延3年には朝廷の奉幣を受ける祭となった。この祭が後の祇園祭となる。山車や山鉾は行疫神を楽しませるための出し物であり、また、行疫神の厄を分散させるという意味もある。中世までには祇園信仰が全国に広まり、牛頭天王を祀る祇園社あるいは牛頭天王社が作られ、祭列として御霊会(あるいは天王祭)行われるようになった。明治の神仏分離令で、神社での仏式の行事が禁止され、また、祭神の名や社名に「牛頭天王」「祇園」のような仏教語を使用することが禁止されたことから、祇園社・牛頭天王社はスサノオを祀る神社となり、社名を改称した。総本社である京都の祇園社は、鎮座地の地名から八坂神社とされた。

 解説が長くなりましたが、本題に戻ります(笑)

 菅原神社に参拝した際に、『戸畑祇園大山笠』ののぼりが目に飛び込んできました!

 皆さんも御存知かと思いますが、昨年、ユネスコにおいて日本の祭り33件の山・鉾・屋台行事が「無形文化遺産登録」として決定しました。目に飛び込んできたのは、それを、祝したのぼりでした。

 「祇園?ということは、スサノオさんが絡んでいるのか?」と、早速、菅原神社の由緒書を読んでみました。『菅原道真が太宰権帥に左遷され、筑紫の太宰府におもむく途中、天籟寺(てんらいじ)の地に一夜宿をとったという。のち太宰府に道真の廟が建立された時、その由来によって現在地に勧請したのに起ると伝えられている。』とあり、ご祭神として、菅原道真とともに須佐之男命(スサノオさん)が祀られていました!シビレました!

 戸畑祇園大山笠祭りについては、ウィキペディア『江戸時代後期の1802年(享和2年)、戸畑地区に疫病が蔓延した際に、神社に祈祷したところ成功を収め、このことを喜んだ村人たちが翌1803年(享和3年)に須賀大神(スサノオノミコト)に対し感謝の意を表した祝い山笠を作り奉納した行事が始まりといわれている。』とのこと。

 テンション上がる中(笑)で、「今度、息子が受験でお世話になります」とご挨拶参拝しました。

 そして、スサノオさん専用御朱印帳に、御朱印をいただきたいなと思い、社務所を訪れましたが、窓が閉まっていて、神職の方は、御不在のようでした。カミさんが、社務所の窓際にネコちゃんを発見し、「かわいい~」と窓ガラスの向こう(建物内)でのんびり日向ぼっこをしているネコちゃんをしばらく見ていました。
 私もしばらく一緒に見ていましたが、気がつくと、カミさんは、境内の他の場所に移動していました。そして、私も窓ガラスから離れようとした瞬間に!!!

(つづく) 

 


神社との向き合い方 【その2】

2017年05月25日 10時56分40秒 | 日々の神計らい

「おぉ!ここにしよう!」

 google地図を見ていて、goodときた神社に参拝することにしました☆

 末っ子が、センター試験を終え、自己採点結果から、戸畑にある大学を受験希望しました。民間の受験データからすると、“判定”的には合格が難しい大学ですが、もともと第一希望の大学だったので、本人の意思を尊重して、希望通り受験することとしました。

 ある日曜日の午前中、私は宗像市に仕事があり、出かけることになりましたが、カミさんも一緒に来ることになりました。仕事の後、受験する大学の下見に行こうということになったのです。自宅と北九州市戸畑区の中間に宗像市はあります。末っ子は、勉強で留守番。

 仕事を終え、戸畑に向かいながら地図をチェック。初めて訪れる地ですから、地元の神様にご挨拶しようと思い、地図を見ていましたら、『菅原神社』という文字にグッときました! 不思議ですけど、グッときました(笑) 私は、日頃、菅原道真公をお祀りする神社にはほとんど参拝しません。ただ、この時は、なぜか、「“すが”わら」の音が心に響いたのです。『すが』すなわち、『須賀』=スサノオさんです。

 菅原神社に到着しました。戸畑区菅原という町にあります。地名にもなっている氏神様ですね。境内には人影は無く、ひっそりとたたずんでいました。穏やかな神社でした。

 ここで、シビレることがありました(笑)

(つづく)



神社との向き合い方 【その1】

2017年05月23日 23時27分19秒 | 日々の神計らい

「お礼参りですか!?」

 その女性は、満面の笑みを浮かべながら聞いてきました!

 おかげさまで、末っ子の息子が第一志望の大学に合格しましたことは、以前に書きましたが、北九州市の戸畑(とばた)にあるその大学の入学準備のために訪れた時のエピソードです。

 息子とカミさんと3人で戸畑にやって来ました。もちろん、私は、大学に直行しません(笑)・・・まずは、地元の神社にご挨拶☆ ある神社に参拝し、2つめの神社に『飛幡(とびはた)八幡宮』を参拝しました。

 本殿前に、駐車スペースがあるのですが、そこにクルマを止める時から、本殿に女性が手を合わせ参拝されている姿が見えました。 私達家族も、クルマから降り、本殿に参拝しました。そして、息子が本殿前に設置された古札入れにお守りを入れました。その女性は、まだ参拝をしています。私達は、本殿横にある、お稲荷さんにも参拝をしました。そして、お稲荷さんにご挨拶を済ませ、参道を戻っていましたら、先ほどの本殿前にいた女性が小走りにやって来て、私達に「お礼参りですか!?」と、それはそれは、うれしそうに尋ねてきたのです!

 カミさんが、笑顔で「ハイ」と短い返事をして、私達はその女性の横を通り過ぎました。女性は、お稲荷さんにも参拝に向かったようです。

 クルマの中で、カミさんは、「あの人は、なんだろうね?」と不思議がりましたが、私はピンときました。

 私の推理はこうです。

 その日は、大学の後期試験の日でした。つまり、その女性のお子さんが、大学受験生で、センター試験後、前期試験でどこかの大学を受けたが残念ながら不合格だった。そして、後期試験に、戸畑の大学に受験に親子で来た。お子さんが受験中に、その女性は大学近くにあるこの飛幡八幡宮に、合格祈願に参拝しに来たのでしょう。
 そして、参拝していると、どうも前期試験で合格したとおぼしき青年(私達)がお守りを返し&お礼参りにやって来たよう。「この神社、御利益あるんだ!!!」または、“縁起がよい!”・・・そのうれしさに、思わず私達を追いかけてきて、「お礼参りですか!?」と確認したかった。その後の、親子の笑顔の会話も彷彿とさせます☆

 カミさんは、「ハイ」と短く返事したものの、私達は、受験前、この神社“だけ”に、合格祈願に参拝したわけではありません。そもそも、『合格祈願』という表現もむずかしいです(笑) と言ってるわりには、学業祈願のお守りは買ってます(笑)

 いつも、ここでも書いていますが、『神社はお願いするところではなく、感謝を捧げるところ』・・・これは、故小林正観さんや、『神社は、誓いを立てるところ』と木内鶴彦さんから教わったことで、それ以降も、あちらこちらで聞いていることです。

 我が家の“神社との向き合い方”について、今回の流れを題材に、少し触れたいと思います。

(つづく)


地鎮祭

2017年04月27日 13時56分31秒 | 日々の神計らい

「ジェッツさん!地鎮祭忘れてたんですけど!!!」

 10年ほど前のことです。友人から電話がありました。聞けば、家を建築したのですが、地鎮祭を忘れていたらしいのです。建設会社も何も言わなかったそう。建設に関わる会社が地鎮祭に触れないなど、「信じられな~い!」 そこで、私とタイミングよくやってきた友人達で、その家と土地にご挨拶の儀式をしました。それまでは、不思議なことがその新築の家に起こっていましたが(心霊現象ではありませんが、くわしくは書けません)、ご挨拶後は、流れもよくなったようです。

 今朝、出勤途中で地鎮祭の準備をしている光景を目にしました。その土地にご挨拶をする・・・大事な行事です。その光景を見て、上記のエピソードを思い出しました。

 最近、ふと思ったことがあります。更地に家を建てる時は、当然のように地鎮祭を行いますが、中古物件を購入したり、賃貸の物件(新築中古問わず)に入居したりする場合に、皆さんは、その土地や建物・空間にご挨拶をしているだろうか?
 実際に色んなケースを見てきました。

 大学生となった末っ子がこの春から、一人暮らしを始めました。現地で一緒にいくつかの賃貸物件を見ましたが、気がよどんでいる様な物件もありました。そして、縁あって決まった部屋には、引越しの日、入室してすぐにその部屋の空間にご挨拶しました。たいそうなことはしていませんが、“気持ち”と発する“言葉”が大事だと思っています。管理人さんにも菓子折りを持参し、ご挨拶しましたが、目に見えない世界も同じことですね(笑) 

 考えすぎてもいけませんが、自分なりのご挨拶でよいと思います。