ジェッツな「実践と実感の笑っちゃう日々」日記

「ありがとう」「先祖供養」感謝実践での経験を元に綴ります。神計らいと宇宙のリズムを実感すると生き方がオモシロくなります。

どうした!?諏訪大社!!!

2014年05月22日 23時12分37秒 | マイブーム

何があった!?諏訪大社!!!

 私の“心のふるさと”のひとつ、長野県諏訪地方。そこに鎮座する、諏訪大社。
 仲間達や、ひとり旅で何度か訪れた神社です。
 

 今年2月にデアゴスティーニから創刊された週刊『日本の神社』。・・・買い続けています(笑) “読む”というより、“コレクション”です(笑) まんまと出版社の“思うツボ”にハマっています(笑) 今週で、16号です。100号まで、イッちゃうか?(笑)

 実は、発刊当初、第6号は諏訪大社(信濃国一の宮。長野県諏訪市周辺)だったはずです。創刊号にも「第何号」の記載はありませんでしたが、6番目に諏訪大社が刊行されることを連想させる記載がありました。出版社のホームページにも、諏訪大社が「第6号」として、表紙まで掲載されていました。表紙の写真は、本殿の前を二人の巫女さんが横切る構図だったことを記憶しています。

 ところが!

 実際の第6号は、北野天満宮でした!・・・そして、第16号に至るまで、諏訪大社は出ていません。もちろん、出版社のホームページも、第6号・諏訪大社は削除されていました。

 諏訪大社で何があったのでしょうか? おそらく、製本も済んでいたのではないのかと思えます。“発禁”になった理由はなにか?

 諏訪大社といえば?・・・古代ユダヤ、イスラエルとの関係ネタがあったのではないかと想像します。それが、なにがしらの影響で、“発禁”になったのではないかと。妄想です(^^)/

 忘備録として、書いておきますね~


『村上海賊の娘』の旅(その7:最終回)

2014年05月20日 21時12分48秒 | マイブーム

山の神様が海の近くに!?

 そ~なんです。伊予国(愛媛県)の一の宮がどんな神様で、どこに鎮座されているか、ご存知ですか?

 『大山祇(おおやまづみ)神社』といいます。大山積神 (おおやまづみのかみ)がご祭神です。全国の大山祇神社、三島神社の総本社です。山の神様です。別名、日本総鎮守!芸予諸島の大三島に鎮座されています。このブログの(その4)のマップをご参照ください。1999年、『しまなみ海道』が開通するまでは、『大山祇神社』へは、船でないと行けませんから、愛媛の方々も、なかなか一の宮に参拝できなかったことでしょう。

 大山祇神社』は、歴代の朝廷や源氏・平氏をはじめ多くの武将から尊崇を集めました。村上水軍の氏神でもあります。「村上海賊の娘」では、武吉が連歌の会を開催し、出陣を遅らせたシーンの舞台でもあります。

 「村上水軍博物館」を堪能した後、大島から伯方島を渡り、30分ほどクルマを走らせ、大三島の大山祇神社を参拝しました。長年、訪れたいと思っていた地です。駐車場があるのかないのかわからなかったので、近くの物産館のような商業施設にクルマを止めました。

 ここには、「村上海賊の娘」景が憧れる鶴姫=神社の祭職・大祝(おおほうり)氏の娘であり、三島海賊として活躍した鶴姫の伝説もあります。鶴姫は、“瀬戸内のジャンヌダルク”とも言われています。詳細は割愛しますm(_ _)m

 鳥居をくぐると、武吉や吉継が連歌を行ったところ、御神木の「乎千命(おちのみこと)御手植の楠」がド~ンをあります。
 境内を散策し、隣接された紫陽殿や国宝館で、今では国宝や文化財となった甲冑などを鑑賞しました。 

 そして、神社からクルマで30分で因島(いんのしま)にある、因島水軍城に到着です。因島村上の当主・吉充(よしみつ)も、「村上海賊の娘」では、とてもよいキャラクターとして描かれていました。

 残念ながら、夕方5時を少し過ぎ、閉館していました。駐車場から城へ向かう階段を上っていると何人かの観光客とすれ違いました。最後は、施設の方と思われる男性とも、すれ違いました。「今から上るの?」的な視線を感じました(汗) が、閉館していても建物は外から間近に見ることができます。ガイド本等で城郭と思っていたものは隅櫓で(画像:右)、本丸は隅櫓の左にありました(画像:中)。閉館しているおかげで、全く誰もいない、のんびりした時間の中、因島村上に思いをはせました。

 しまなみ海道、「村上海賊の娘」を訪ねる旅はこうして終わりました。

 そして、途中、仮眠をはさみ、高速山陽道・宮島SAから宮島・厳島神社を遥拝し、瀬戸内・水軍の旅を締めくくりました。

 

 パソコンの仕事も、「村上海賊の娘」を訪ねる旅も含め、充実感いっぱいの旅でした。
 水軍好きですから(笑)、「村上海賊の娘」を読んでいなくとも、しまなみ海道は楽しめたでしょうが、やはり、読まずに訪れるより、読んでから訪れると、何倍も楽しみ方が違う、感動が違う旅でした。 パソコンサポートが当初の予定通り2月に訪問していたら、その後に、「村上海賊の娘」を知り、それはそれは、地団太踏んだことでしょう(笑) 本を読み終わってはいませんでしたが、十分でした。
 タイミングバッチリ。おかげ様の計らい満載の旅でした。

 ありがとうございます。


『村上海賊の娘』の旅(その6)

2014年05月08日 22時32分25秒 | マイブーム

ウホホ~

 にやけた顔が止まりません(笑)

 能島・潮流体験の後、村上水軍博物館を楽しみました。まず、向かったのかグッズ売場。しかし、水軍グッズはあるものの、“物欲”全開にさせるものはありませんでした(T_T)

 しか~し! 入館受付横に置いてあった資料販売コーナーに、目が輝きました☆村上水軍に関する資料です。ここでしか売っていないものばかりです。めったに売れることもないのでしょう。スタッフの方も、慣れない手つきで指定した資料を出してきて袋に入れながら、(たくさん買う人だなぁ)と思われたことでしょう。

 水軍好きの私は、何点か購入しました。無料でいただけた資料もありました。潮流体験とともに、ここに来た甲斐がありました。

 館内には、小説にも出てくる「小早(こはや)」「関船(せきぶね)」「安宅(あたけ)」の船たちの模型も展示されていました。縮小割合はバラバラでしたが・・・
 あまり展示物は多くありませんでしたが、楽しめました。 

 帰り際、資料を購入した際のカウンターに“ご自由にお取り下さい”的に置いてあった、能島村上の旗指物に「これいただいてよいですか?」「どうぞ。手作りなんですよ」

 早速、クルマのダッシュボードに飾り、テンションあげあげ。調子のりのり。

(つづく)