昭和36年10月期の電話級アマチュア無線技士の試験問題2種類です。
皆さん如何ですか、解答出来ますか。
私が電話級の免許を取得した昭和46年まで記述式のこのスタイルでした。
また養成講習会「電話級短縮コース」も選抜試験、修了試験とも記述式です。
まずは無線工学から。
(こちらは縦になりません)
こちらは法規です。
意外とハードルが高かったのかもしれません。
皆さん如何ですか、解答出来ますか。
私が電話級の免許を取得した昭和46年まで記述式のこのスタイルでした。
また養成講習会「電話級短縮コース」も選抜試験、修了試験とも記述式です。
まずは無線工学から。
(こちらは縦になりません)
こちらは法規です。
意外とハードルが高かったのかもしれません。
私は昭和39年に受験
法規は記述で回答
無線工学は式から回答までだった
電話級と電信級と別々に受験
時間も掛かるし受験費用も掛かり
無銭の無線免許狙いは大変だった
実技は大部屋で受信
その後の送信は試験官と一対一で対面
コチコチに上がって打鍵した
最初の書き込みはミスったので
最初の分は削除して下さい
講習会の方はその後も暫く記述式が続きました。
みなさんこれに挑戦したのですね、とても懐かしいです。
電信の試験は良い想い出です、2アマの時の受信は他の人の鉛筆の音がうるさかった。
送信は何時も緊張でバタバタ、試験管に「あわてなくてもよいですよ」と言われた事も有りました。
1アマは欧文は余裕でしたが和文で打っている行が分からなくなり大慌て、時間ぎりぎりに打ち終わってボー然。
どれも懐かしい想い出です。
今でも解けないかも
遠方からの受験だったので「おまけ」してくれたのなー・・・
でも「記述式」の回答、試験官も大変だったのではないかと思います・・・
非行おじさんのように字が下手だと、何が書いてあるか「解読」するだけで時間が掛かったかも・・・
記述式の極意
判る答えは簡潔明瞭に、判らない答えは複雑怪奇に・・・
昭和37年8月、高松で行われた臨時試験、これがすべての始まりでした・・・・
何をおっしゃいますか、と言ってみましたが・・・
この問題はLQUさんが生まれる前ですね。
この問題は当におじさんの時代の物ですね。
とは言うものの10年後の私の時代でもあまり変わりません。
その後は択一式になりトランジスタが出てきて試験も変わりましたね。
論理回路が出て来たのは何時の事でしょうか。
記述式は書いていることに対して加点式の採点だったと聞きました。
育ったのは横浜根岸・・・
高松は高校生の時一人旅で・・・夜行を乗り継いで行きました、今より元気だったみたい・・・
夜行で京都に朝着いて、夜 京都発宇野行きに、深夜3時宇野に着いて4時の宇高連絡線で5時に高松に・・・・待合室で時間をつぶして受験・・・夕方元来た道を・・・・泊まりは全部列車の中で・・・・・今ではとても無理
なんか無線の試験はなー・・・
60歳の冬は、赤道直下のインドネシアで、英語で書かれた試験問題、頭を抱えて回答をひねくり出していましたし・・・
無線の試験はもう沢山ですね・・・・
少し早いコールの知り合いは
夏の高松や鶴岡で受けたという
同級生から高松臨時受験の知らせ
ハガキが届いたのが締め切りの日だった
惜しかった !
結構越境受験、いらっしゃったんですねーー
四国の局数って少なかったからかなー、高松の臨時試験って・・・・
すぐに局免の申請していれば・・・もう少し前のコールだったかも・・・ぶちぶちぶち
今お持ちのコールもいいコールだと思いますよ