JA7QQQ気ままな絵日記

どこかで聞いたことのあるタイトル。 掲示板感覚で、気軽に書き込んでください。

今日の気温

2016年07月31日 | うんちく・小ネタ


日本全国、今日も暑いようです。

しかし、ここ苫小牧はご覧の気温です。

でも今日も湿度は100%です.

昼食は部屋に戻って冷たいつけ麺を造りました。

冷たいのはいいのですが、作るにはお湯を沸かさなければならない事を忘れていました。

汗だくになりました。
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1971年7月30日

2016年07月30日 | うんちく・小ネタ
1971年7月30日
岩手県雫石町の上空で全日空機と自衛隊機の衝突事故が起きました。
晴れ渡った暑い日だったと記録が残っています。
盛岡地区のアマチュア無線局は17時間にも及ぶ非常通信を行いました。

あれから45年現場の山は慰霊の森として整備され周辺は御所ダムができて風景は一変しています。
また非常通信に携わった方々も多くが鬼籍に入られ語り継ぐ方も少なくなりました。
様々な事が起きたあの夏、あの暑い夏が今年も通り過ぎてゆきます。

先日無線機の発売時期を調べる過程でJA7KVDさんより非常通信の様子を記した資料を送っていただき思い出した次第です。

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とんでもない湿度

2016年07月29日 | うんちく・小ネタ


ここ苫小牧の気候にも慣れたはずなのですが、こんな年は初めてです。
ここ数日梅雨前線の影響で雨が続き雨が上がった今日も気温は上がらずとんでもない湿度になっています。

まるで湿気が手で掴めるような天気です。

明日からは気温が上がるようですから少しは過ごしやすくなるのかな。
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今だから言える事・アマチュア無線編 FT-101

2016年07月27日 | アマチュア無線


名機と名高き八重洲無線のFT-101。
ファイナルとドライブ以外は半導体化した当時最高クラスのトランシーバです。
発売は1970年、以降数々のマイナーチェンジとモデルチェンジを繰り返しながら10年間販売され続けました。
小型で精悍なマスク、μ同調、発売当時はだれもが憧れた高価なトランシーバでした。

実は、その最高級トランシーバですが、私はあまり好きでは有りませんでした。

何故?

それは私が軽くクルクル回るギヤダイアルが好きだったからです。
TRIOのTS-510、511やJR-310のあのダイアルが好きだったのです。
FT-101のダイアルはボールドライブが入りねっとりとした手触りに感じました。

その他にダイアルの回転方向が逆、時計回りに周波数が上がるダイアルになれていたので、反対方向で周波数の上がるダイアルには違和感がありました。
これは八重洲無線の無線機全般に言える事でした。

それと受信音、了解度優先でヒステリックに鳴り響くFT-101よりも落ち着いたトーンで聞こえるTS-510の音の方が好きでした。
FT-101で聞く電信などはまるでブザーの様でした。

レストアで両機を分解する機会が訪れ、使っている部品の違いや、無線機としての考え方を理解しFT-101の偉大さを知る事のなるのは15年近くも後のことになります。

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ZA-10H ツェップ型ワイヤーアンテナ

2016年07月19日 | アマチュア無線


今度は10MHz用の「ツェップ型ワイヤーアンテナ」が届きました。
ワイヤーはだいぶ被覆が劣化して割れていますが実用上はどうなのでしょうか。
200W対応(1kW(A3J)・300W(A1)13.3mですのでタワーから斜めに引き下ろして使うには最適です。
電流の腹が真ん中なので給電部は高くても低くても良いようですが真意は如何に。
夏休みに自宅に接地したいと思うのですがその前に海岸に持って行ってテストをしてみます。

これもFasebookで2k円でした。
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シルバーイーグル

2016年07月16日 | アマチュア無線


Fasebookで譲っていただいたシルバーイーグルです。
湿気が多いところで使用していたのでしょうか、あちらこちらに錆が見られます。




そこのフェルトもボロボロです、虫に食われたか。
これはカミサンに頼んで張り直してもらおう。



これから分解して中を確認してみます。
どちらにしろアンプは造り直します。


問題はマイクエレメントがどうなっているかです。
自宅の物は湿度に気を使って長年使い続けていますが、これは湿度の高いところで使われたようですので、ある程度の劣化を覚悟しなければなりません。

最近は程度の良いものが相当な高価格で取引されています、今回は3000円で譲っていただきました。


どなたか磨くノウハウを伝授下さい。
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今だから言える事・アマチュア無線編 電信

2016年07月06日 | アマチュア無線


私の無線局の運用はモールス信号を使った電信によるものが大半を占めていました。
Blogなどでも電信の楽しさを語り、人にも勧めていました。

しかし、開局して暫くの間は電信は苦手だったのです。
周りの友人たちは電話級の資格を取得後すぐに電信級や第2級アマチュア無線技士の資格を取りました。

当然友人たちに負けじと一緒にやってみたのですがなかなか上達しません、簡単に言えば電信の落ちこぼれになってしまいました。

その頃は単純に電波を出せることが嬉しく、また50MHzのSSBを出したくてトランスバーター造りに熱中していたのでありました。

その後、東京の下宿でexJA7MFKに第2級アマチュア無線技士を取るように強要され電信の練習と電信のアンカバ運用が始まりました。
おかげで晴れて第2級アマチュア無線技士に合格、盛岡の自宅で100W局を開局、アンテナは屋根の上のマルチバンドバーチカルでありましたが電信の威力は偉大で次々と海外と交信できたのでありました。

その頃、50MHzでは盛岡から電信で出ている人は誰もおらず盛岡から電信で出るとモテたのでありました、運用していると東京や京都から電話が入り「今聞こえているので呼んでくれ」とリクエストが入るほどでありました。

だんだん電信に慣れてキーを握る時間も増えたのですが、それでもまだまだ苦手なのには変わりが有りません、少し変わった文章を打たれると途端に手が止まります。
当時は今のように599だけで終わる交信では有りませんでしたのでアメリカの局などと交信するとQSLカードを交換するためにフルスペルで住所を交換する必要がありました。
ここで問題になったのが私の語学力です、文字は受信できても単語の意味や文章の意味が分かりません、また返事をする為の文章を造らなければなりません。
傍らに辞書を置き、単語を引いて載っている例文を参考に文章を組み立てる、そんな事を繰り返して勉強しました。
そうしてやってきたサイクル21、苦労した電信が役に立ち最高のコンディションを満喫できたのでありました。

もちろん一人で上手くなったわけでは有りません、JA7KVDさんやJA7YALの皆さんのおかげでもあります。
そんな中で第一級アマチュア無線技士も取得しましたが和文はいまでも苦手なままです。
何故苦手なのかが最近分かりました、面倒くさがり屋の私は練習が苦手なのです、全てずぼらな私の性格、これでは上達するわけが有りませんね。
子供の頃からの電信の苦手感は、全て私の努力不足でした。





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昼食中の会話にショック

2016年07月04日 | うんちく・小ネタ
現在某食堂で食事中です。
隣の席の会話にショックを感じながら食べています。
隣は30〜50代と思われる女性3人組です。
内容は生活保護についての話題。
それは生活保護を勧める内容です。
どうやら今働いている職場に不満がある様です。
一人の方に対してお二人が
「あなたも生活保護にしたら、鬱病で働けないといって診断書もらって申請しなさい」と言っている。
「中途半端に働くより良いわよ」「車は通院と就職活動に必要といえば認められる」「家賃は保護費の中から天引きされる」
そんな会話が聞こえて来ます。
ここは食堂です、私の他にも客がいて聞いています。
いや、この女性たちの声が大きいので嫌でも聞こえて来ます。
こんな話をこんな所で堂々とする土地柄なのかと改めて驚くのであった。
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ミニピラミッド

2016年07月01日 | まち歩き


苫小牧の東、勇払地区にある小さなピラミッド。
ガラスに覆われた中身は30cm四方の石です。




これは「開拓使三角測量勇払基点」です。
明治6年に北海道の正確な地図を造る為に勇払と鵡川に基点を置いたそうです。
残念ながら鵡川の起点は不明ですが勇払の起点は史跡に指定され保存されております。



そしてここ勇払は1800年に八王子から八王子千人同心50人が入り開拓を始めた場所です。
当時の過酷な自然環境に次々と倒れ数年で放棄されてしまいました。
その後もこの場所が北海道の流通の起点になりました。
明治の中頃、王子製紙が工場を造り町の中心は苫小牧に移って行きました。

この地域は広い公園になっており、遠い先人の足跡をたどる事の出来る「勇武津資料館」も同じ公園の中にあります。




新千歳空港からも車で30分ほどです、北海道においでの節は一度足を運ばれては如何ですか。

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