非常に興味深く肯ける。
以下は「苫小牧民報」からの抜粋です。
以下抜粋
宮沢賢治学会会員、根本敬子さん(60)=埼玉県在住=が、賢治の代表作「銀河鉄道の夜」と、王子軽便鉄道の山線、浜線の沿線風景との一致点を挙げ、胆振、日高地方を銀河鉄道の「地上モデル」にした可能性を指摘する論文をまとめた。日胆地方17カ所と作中の一致点を、膨大な資料や調査で論理的に裏付けた。
この説は2013年に初めて同学会で発表し、16年に内容を補強して論文にした。
根本さんは幼少期から賢治作品に触れ、浦河町への移住経験も持つ。浜線が前身の日高本線に乗車した際、作品と風景の一致に気付き、苫小牧を訪れた際に賢治が来苫していたことを知り、視察や膨大な資料から調査を進めた。
根本さんによると、作品の第1次稿は岩手県の花巻農学校の修学旅行引率で苫小牧を訪れた1924(大正13)年5月の半年後に完成。賢治自身、各作品についてモデルとなった実在の場所があることを明かしており、近年、研究からそれぞれのモデル地が分かってきている。同作は賢治の故郷の岩手軽便鉄道がモデルとされるが、沿線風景に対応する場所は見つからず、「地上モデル」の不在が指摘されてきた。
その中で根本さんが挙げるのが、銀河旅行の始まりからラストステーションのサウザンクロスに至る風景と、胆振、日高に至る王子軽便鉄道の沿線風景が一致すること。苫小牧から浦河に至る風景が、物語の流れに沿う部分もポイントだ。
まず、主人公のジョバンニと友人カムパネルラの銀河旅行の始まりの場面に出てくる「天の野原」。「野原にはあっちにもこっちにも、燐光(りんこう)の三角標がうつくしく立ってゐた」とあり、根本さんは勇払原野と日本初の三角測量が行われた勇払原野と重ねた。銀河鉄道が通る「白鳥の島」はウトナイ湖に実際にある島、「白鳥停車場」は苫小牧停車場と推測。ここでジョバンニたちが会う「鳥捕り」は、苫小牧に住み、「東洋のオリイ」と呼ばれた世界的な鳥獣採集家、折居彪二郎(1883―1970)と重ねた。
停車場から途中下車した2人が20分間の停車時間を使って行く「プリオシン海岸」が、駅から同程度の距離にある前浜。プリオシン海岸には牛がいて、賢治が苫小牧で作った詩「牛」に出てくる中村牧場の風景と重なる。
この後、列車は「名高い」とされる「アルビレオの観測所」を通過し「黒い大きな建物が4棟ばかり立って」とあるが、ここを、当時第1~第4まで四つの施設が並ぶ王子製紙の千歳川水力発電所と推測した。物語でお祭り中の「ケンタウルの村」は新冠御料牧場。同牧場には皇族が訪れ、奉迎行事がたびたび開かれていた。銀河旅行のラストステーション「サウザンクロス」は浦河町のクリスチャンの理想郷で清教徒たちが農作業をしながら理想的な暮らしを送った「赤心社」とした。
このほか、むかわや厚賀、アポイ岳など作品と現実の場所の一致点9カ所を挙げ、賢治と赤心社をつなぐ糸や、カムパネルラのモデルと根本さんが推測する王子製紙の社員だった細越健さんとのつながりから王子軽便鉄道への特別な思い入れにも触れている。鉄道ファンの賢治が、苫小牧を訪れた前年の23年にオープンしたばかりの王子軽便鉄道に興味を持ち、同年の樺太旅行の最中に浜線に乗った可能性も指摘する。根本さんは「岩手軽便鉄道説を否定しているのではない。賢治の中では、岩手も北海道も『つながっている』と考えている」とした上で「私自身も最初は信じられなかったが、だんだん確信を持つようになった」と言う。
高波による線路脇の盛り土流出などで昨年1月以降、大部分の区間が不通となり、存続の岐路に立つ日高本線については「沿線風景が本当に素晴らしい。この説が胆振、日高の歴史や魅力を見詰め直すきっかけになればうれしい」と話している。