沖縄・台湾友の会

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食糧自給体制を構築せよ(習近平)。公園、緑地を破壊し耕作地に転換   あの毛沢東の大躍進政策の大失敗を思い出さないか

2023-07-13 20:51:34 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023)7月12日(水曜日)弐
        通巻第7820号 
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 食糧自給体制を構築せよ(習近平)。公園、緑地を破壊し耕作地に転換
  あの毛沢東の大躍進政策の大失敗を思い出さないか
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 昨今、中国では公園や森林の破壊が進んでいる。飢饉が迫り、急遽、農耕地に転換して農作物を増産する目的である。

 また既存のバナナやトウモロコシ畑を、収穫を待たずにブルドーザをもってきて破壊し、適正な農作物への切り替えろと強要し、各地で農民の不満が爆発している。緑地帯ははげ山に公園は地盤が農耕に適さないため地盤改良が必要だが、上からのノルマは果たさなければならない。

 「あれだけカネをかけて造成した公園をこわして麦を植えよ、っていわれたけど」と動員された農民が嘆く映像が世界に流れた。  
 しかし山稜では米も小麦も育たず、山奥で栽培しろと言われたサツマイモは痩せ、新しい農地は枯れ、斜面に急増した水田や小麦、そのために木々を伐採したため保水力がなくなり、豪雨で流された。
あれもこれも中国共産党が呼号した「食糧安全保障」の犠牲となった。

 嘗て毛沢東は『大躍進政策』を打ち立て、鉄鋼増産を達成してみせるとしてノルマを課した。
寺院などが破壊され釣鐘などは溶鉱炉へぶち込まれ、貧困家庭からも鍋釜が徴用されて、炉をつくるためには城壁や建築物のレンガが流用され、一方で農地は荒れた。食べるものがなくなり餓死者が急増した。

 結局、1958年五月から61年一月までの三年間で1117トンの鉄が創られたがそのうちの60%は鉄まがいの屑だった。

大躍進では雀も「粛清」され、かえって害虫が蔓延り、ネズミ、蝗の被害が拡がって、少なく見積もっても2000万人、最悪で5500万人が亡くなった。大躍進政策に反対した人たちは拷問され処刑され、大躍進とは大破滅だった。

 歴史は繰り返す?


ワグネル傭兵部隊にかわって、バムフトへ「チェチェン部隊」   カディロフ大将「これは聖戦である」と2・6万人の凶暴部隊を展開

2023-07-13 20:50:06 | 日記
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和五年(2023) 7月12日(水曜日)
        通巻第7819号 <前日発行>
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 ワグネル傭兵部隊にかわって、バムフトへ「チェチェン部隊」
  カディロフ大将「これは聖戦である」と2・6万人の凶暴部隊を展開
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 バムフトの激戦でワグネル軍団は2万人が死んだと言われる。
「それなのにショイグ国防相とゲラシモフ参謀総長はわれわれに弾丸を呉れない」と不満を爆発させてプリゴジンは叛乱を起こした。
しかし一日でモスクワへの「正義の行進」を中断し、ベラルーシ亡命説もあったが、六日後にはプーチンと面談した。
以後、ワグネルはロシア正規軍傘下となる。

 激戦地バムフトでワグネル傭兵部隊と替わって派遣されたのが、凶暴な戦闘で知られるチェチェン部隊である。

 ラムザン・カディロフ将軍(46歳)が率いるチェチェン部隊は2・6万人規模と言われ、このうち7000名が最前線に配備についた。カディロフの三人の息子も戦闘に参加している。アマフトは16歳、エリは15歳、アダムは14歳。カディロフには四人の妻がいるので同母兄弟とは限らない。

 カディロフは「これはジハードである。敵を殲滅するまで闘う」と声明している。彼は2004年に暗殺された初代チェチェン「大統領」の息子で、07年から「大統領」を兼ねている。

チェチェンはイスラム神秘主義を奉じ、「七代にわたって血の復讐をする」という伝統の掟をもつ。またゲイをゆるさず同性愛者には拷問、処刑でのぞむ。カディロフ一族は親ロシア派で、チェチェン独立を目ざす武闘派のゲリラ組織とは同じチェチェン人でも敵対関係にある。

 チェチェンはソ連崩壊後、二度独立戦争を引き起こしプーチンに壊滅させられたが、残党が「自由ロシア軍」などを乗ってウクライナ側で闘っている。チェチェン独立派は世界各地でテロを繰り返しており、2013年のボストンマラソン大会の爆弾テロでも悪名高い。
ロシア国内で要人暗殺やクレムリンにドローンを飛ばすなどのテロ行為もチェチェン独立派との関連が言われている。

 第一次チェチェン独立戦争は1991年から94年まで闘われ首都グロズヌイは廃墟となって、およそ十万人が死んだ。ジョンルカレはこのチェチェン・イングーシュ戦争を舞台に『われらのゲーム』(早川書房)を書いた。

 第二次チェチェン独立戦争は2000年に起こり、プーチンは数万の軍を派遣してグロズヌイを軍事制圧した。
爾来、親露派のカディロフが「チェチェン共和国」のトップの座にある。とはいえチェチェンの面積は四国程度、人口は百万人を切っている。産業は石油と石油パイプラインだけ、チェチェン族以外のロシア人等は国外へ去った。軍隊はかれらにとって「重要なビジネス」でもある。

ウクライナでロシアに刃向かう軍事組織には「自由ロシア軍」と「ロシア義勇軍」の二つがあるが、規模、構成メンバー、武装の度合いなど詳細は不明、戦闘地区も一切が不明である。