4日目 午前11時10分 ~果てのうるま~
波照間島には至るところにヤギがいる。
島の静かな風に乗って、時折あちこちから鳴き声が聞こえてくる。
畑の中で紐に繋がれているのもいれば、道端の草を気ままに食べているのもいる。
放し飼いなのか野良なのか。
沖縄ではヤギを「ヒージャー」と呼び、波照間島では郷土料理のヤギ汁や刺身など食用として利用されている。
また島内のヒージャーの数は島民(450人)よりも多いと言われており、噂では台風などで物資輸送が途絶えた場合の備え(非常食)でもあるとか。真偽は定かではないが離島ならではの事情だ。
ヤギの肉は栄養価が高く雑草で育つため安価な一方、独特の臭いがあり沖縄の人でも苦手な人が多いそう。
午前11時20分、海へ向かう林の中の一本道を抜けて、いよいよ目指す日本最南端広場へと到着した。
もっと時間が掛かると思っていたが、島内は予想以上にコンパクトで移動もあっという間だ。
林から草原になり視界が開け、気分が高まってきた。
そして……海を望む草原の隅に、ついに目指す場所があった。
2024年1月17日、午前11時25分―。
北緯24度02分44秒、東経123度47分18秒の日本最南端の碑へ到達した。
今回の三十路記念の旅の二つめの目的が無事に達成された。
ついに生涯の目標であった日本最北端、最東端、最西端、最南端の4端制覇を果たしたのだ。
草木の揺れる音と、断崖に打ち付ける波の音しか聞こえない場所。
いつの間にか雲がほとんどない真っ青な快晴が広がっていた。
私の思い描いていた南の果ての風景そのものだ。素晴らしい日にここに来られた幸運に感謝したい。
最南端の碑の隣には、1972(昭和47)年に沖縄祖国復帰記念で建立された「波照間の碑」があり、石碑に向かって石灰岩やサンゴ化石を積み上げた「蛇の道」が延びている。
その名の通り、くねくねと曲がりくねった細い遊歩道には「島が本土と離ればなれにならぬよう」という願いが込められ、全国47都道府県から集めた石のオブジェがある。
もちろん我がふるさと北海道の石もあった。
まさか日本最南端の場所に「北海道」の文字があるとは思わなかった。
数千キロ離れた地に思いをはせ嬉しくなる。ずいぶんと遠く離れた場所へ来てしまった。
最南端広場からは日本最南端の景勝地「高那崎」の断崖が続き、なかなか壮観。
内陸の草原の向こうへ目をやると、先ほどマンホールにイラストが描かれていた「星空観測タワー」がポツンと見えた。
波照間島は全88星座のうち84星座が見られるという星空の島。緯度の関係で本土では見られない南十字星は、ちょうど今の時期(12月~6月)が観測のチャンス。
今日は快晴なので宿泊する人がうらやましい。
波照間島で特に楽しみにしていた高那崎の絶景を望むべく、断崖の突端を目指す。
この辺りは琉球石灰岩の地形が南東に1キロほど続いているそうで、ざらざらした岩肌は凹凸が激しくなかなか歩きにくい。そして南の島の日差しをいっそう強く照り返している。
高さ数十メートルの断崖と激しい波音に怯みながらも、出来る限りの崖のきわまで辿り着く。
どこまでも続く絶壁に、青々と輝く太平洋の荒々しい波が打ち付け圧巻である。
外洋のはるか向こうはフィリピンである。
北国在住の私にはもう一生見られない風景かもしれない。
波照間島の名前は沖縄でサンゴを表す「果てのうるま」から来ているという。
波照間島はまさしく「果て」なのだ。
ダイナミックな風景を眺めながら、ここまで辿り着いた達成感に浸った。
次回、人生で最も美しい砂浜。
続く。
波照間島には至るところにヤギがいる。
島の静かな風に乗って、時折あちこちから鳴き声が聞こえてくる。
畑の中で紐に繋がれているのもいれば、道端の草を気ままに食べているのもいる。
放し飼いなのか野良なのか。
沖縄ではヤギを「ヒージャー」と呼び、波照間島では郷土料理のヤギ汁や刺身など食用として利用されている。
また島内のヒージャーの数は島民(450人)よりも多いと言われており、噂では台風などで物資輸送が途絶えた場合の備え(非常食)でもあるとか。真偽は定かではないが離島ならではの事情だ。
ヤギの肉は栄養価が高く雑草で育つため安価な一方、独特の臭いがあり沖縄の人でも苦手な人が多いそう。
午前11時20分、海へ向かう林の中の一本道を抜けて、いよいよ目指す日本最南端広場へと到着した。
もっと時間が掛かると思っていたが、島内は予想以上にコンパクトで移動もあっという間だ。
林から草原になり視界が開け、気分が高まってきた。
そして……海を望む草原の隅に、ついに目指す場所があった。
2024年1月17日、午前11時25分―。
北緯24度02分44秒、東経123度47分18秒の日本最南端の碑へ到達した。
今回の三十路記念の旅の二つめの目的が無事に達成された。
ついに生涯の目標であった日本最北端、最東端、最西端、最南端の4端制覇を果たしたのだ。
草木の揺れる音と、断崖に打ち付ける波の音しか聞こえない場所。
いつの間にか雲がほとんどない真っ青な快晴が広がっていた。
私の思い描いていた南の果ての風景そのものだ。素晴らしい日にここに来られた幸運に感謝したい。
最南端の碑の隣には、1972(昭和47)年に沖縄祖国復帰記念で建立された「波照間の碑」があり、石碑に向かって石灰岩やサンゴ化石を積み上げた「蛇の道」が延びている。
その名の通り、くねくねと曲がりくねった細い遊歩道には「島が本土と離ればなれにならぬよう」という願いが込められ、全国47都道府県から集めた石のオブジェがある。
もちろん我がふるさと北海道の石もあった。
まさか日本最南端の場所に「北海道」の文字があるとは思わなかった。
数千キロ離れた地に思いをはせ嬉しくなる。ずいぶんと遠く離れた場所へ来てしまった。
最南端広場からは日本最南端の景勝地「高那崎」の断崖が続き、なかなか壮観。
内陸の草原の向こうへ目をやると、先ほどマンホールにイラストが描かれていた「星空観測タワー」がポツンと見えた。
波照間島は全88星座のうち84星座が見られるという星空の島。緯度の関係で本土では見られない南十字星は、ちょうど今の時期(12月~6月)が観測のチャンス。
今日は快晴なので宿泊する人がうらやましい。
波照間島で特に楽しみにしていた高那崎の絶景を望むべく、断崖の突端を目指す。
この辺りは琉球石灰岩の地形が南東に1キロほど続いているそうで、ざらざらした岩肌は凹凸が激しくなかなか歩きにくい。そして南の島の日差しをいっそう強く照り返している。
高さ数十メートルの断崖と激しい波音に怯みながらも、出来る限りの崖のきわまで辿り着く。
どこまでも続く絶壁に、青々と輝く太平洋の荒々しい波が打ち付け圧巻である。
外洋のはるか向こうはフィリピンである。
北国在住の私にはもう一生見られない風景かもしれない。
波照間島の名前は沖縄でサンゴを表す「果てのうるま」から来ているという。
波照間島はまさしく「果て」なのだ。
ダイナミックな風景を眺めながら、ここまで辿り着いた達成感に浸った。
次回、人生で最も美しい砂浜。
続く。