ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その12

2024-02-28 00:43:43 | 旅行(道外)2020~
4日目 午前11時10分 ~果てのうるま~



波照間島には至るところにヤギがいる。
島の静かな風に乗って、時折あちこちから鳴き声が聞こえてくる。
畑の中で紐に繋がれているのもいれば、道端の草を気ままに食べているのもいる。
放し飼いなのか野良なのか。


沖縄ではヤギを「ヒージャー」と呼び、波照間島では郷土料理のヤギ汁や刺身など食用として利用されている。
また島内のヒージャーの数は島民(450人)よりも多いと言われており、噂では台風などで物資輸送が途絶えた場合の備え(非常食)でもあるとか。真偽は定かではないが離島ならではの事情だ。
ヤギの肉は栄養価が高く雑草で育つため安価な一方、独特の臭いがあり沖縄の人でも苦手な人が多いそう。


午前11時20分、海へ向かう林の中の一本道を抜けて、いよいよ目指す日本最南端広場へと到着した。
もっと時間が掛かると思っていたが、島内は予想以上にコンパクトで移動もあっという間だ。
林から草原になり視界が開け、気分が高まってきた。


そして……海を望む草原の隅に、ついに目指す場所があった。





2024年1月17日、午前11時25分―。
北緯24度02分44秒、東経123度47分18秒の日本最南端の碑へ到達した。
今回の三十路記念の旅の二つめの目的が無事に達成された。

ついに生涯の目標であった日本最北端、最東端、最西端、最南端の4端制覇を果たしたのだ。

草木の揺れる音と、断崖に打ち付ける波の音しか聞こえない場所。
いつの間にか雲がほとんどない真っ青な快晴が広がっていた。
私の思い描いていた南の果ての風景そのものだ。素晴らしい日にここに来られた幸運に感謝したい。


最南端の碑の隣には、1972(昭和47)年に沖縄祖国復帰記念で建立された「波照間の碑」があり、石碑に向かって石灰岩やサンゴ化石を積み上げた「蛇の道」が延びている。



その名の通り、くねくねと曲がりくねった細い遊歩道には「島が本土と離ればなれにならぬよう」という願いが込められ、全国47都道府県から集めた石のオブジェがある。



もちろん我がふるさと北海道の石もあった。
まさか日本最南端の場所に「北海道」の文字があるとは思わなかった。
数千キロ離れた地に思いをはせ嬉しくなる。ずいぶんと遠く離れた場所へ来てしまった。




最南端広場からは日本最南端の景勝地「高那崎」の断崖が続き、なかなか壮観。
内陸の草原の向こうへ目をやると、先ほどマンホールにイラストが描かれていた「星空観測タワー」がポツンと見えた。
波照間島は全88星座のうち84星座が見られるという星空の島。緯度の関係で本土では見られない南十字星は、ちょうど今の時期(12月~6月)が観測のチャンス。
今日は快晴なので宿泊する人がうらやましい。


波照間島で特に楽しみにしていた高那崎の絶景を望むべく、断崖の突端を目指す。
この辺りは琉球石灰岩の地形が南東に1キロほど続いているそうで、ざらざらした岩肌は凹凸が激しくなかなか歩きにくい。そして南の島の日差しをいっそう強く照り返している。



高さ数十メートルの断崖と激しい波音に怯みながらも、出来る限りの崖のきわまで辿り着く。
どこまでも続く絶壁に、青々と輝く太平洋の荒々しい波が打ち付け圧巻である。
外洋のはるか向こうはフィリピンである。
北国在住の私にはもう一生見られない風景かもしれない。

波照間島の名前は沖縄でサンゴを表す「果てのうるま」から来ているという。
波照間島はまさしく「果て」なのだ。
ダイナミックな風景を眺めながら、ここまで辿り着いた達成感に浸った。

次回、人生で最も美しい砂浜。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その11

2024-02-25 23:59:01 | 旅行(道外)2020~
4日目 午前10時15分 ~島の歴史~

ヒマワリ畑のすぐ近くに、ぜひ立ち寄りたかった場所があった。
国指定史跡の「コート盛(先島諸島火番盛)」である。




琉球王国時代の17世紀中ごろに異国船の監視・通報のために建てられた遠見番所群のひとつ。
琉球石灰岩を渦巻き状に積み上げて造られており、有事の際はのろしを上げて他の島々へと伝えていたそうだ。
高さ4メートル、直径10メートルほどとそれほど大きくないが、この辺りは標高60メートルあるそうで、階段を上ってみると遮るものが無く、番所があったという海の向こうの西表島まで見渡すことができた。


自転車を漕いでものの5分ほどで、島の中央にある集落へと到着した。
石灰岩やサンゴの塀に囲まれた平屋の家々の他、小さな民宿などもある。人が少なく静かな時間が流れている。


日本最南端の波照間駐在所と、同じく日本最南端の波照間小中学校。
船で到着した時に港にスイフトのミニパトがいたが、まだパトロール中か。
小中学校は思ったよりも校舎が新しく立派だったが、4年ほど前に建て替えられた小中併設校舎なのだそうだ。なお全校児童生徒は50人ほど(2023年現在)。



小中学校の塀は児童生徒によるカラフルな絵で彩られていたが、青々とした空と海に浮かぶ波照間島の作品が印象深かった。
「平成5年度 卒業制作 平和学習記念」とある。偶然にも私の生まれた年だ。

「星になった子どもたち」という歌詞が雲のように描かれており
「ガタガタふるえるマラリアで 一人二人と星になる
 くるしいよ さむいよお母さん 帰りたい 帰りたい 波照間へ」
などという言葉がある。

調べてみると、波照間島には第2次世界大戦中に「戦争マラリア」の悲しい歴史があった。
軍命で西表島南部へ強制疎開となった島民たちの間に、マラリアが大流行し死者が続出したのだ。
有病地であった西表での劣悪な生活環境によるもので、残った島民は沖縄戦の後に島へ戻ることができたものの、田畑が荒れ果て家畜が処分された島内では食料が尽き、そしてここでもマラリアが猛威を振るった。
結果、島民1590人のうち1587人がマラリアに感染し、当時の島民の3割である477人が死亡した。
波照間小中学校の前身である国民学校の児童も66人が死亡。

波照間を思いながら星になった子どもたち。
忘れてはならぬ歴史が歌い継がれているようだ。


小中学校のほぼ向かい、集落の中心部にある波照間郵便局はかなり新しいなと思ったら、昨年2023年7月末に建て替えられたばかりのようだ。
そして集落のはずれ、少し迷いながら到着したのは竹富町役場・波照間出張所。
2人しかいない小さな窓口で「日本最南端証明書」を購入した(500円)。島内の一部の土産物店でも扱っているそうだが、やはりこういった証明書は公的機関で入手したいという個人的なこだわり。



島内には食料品や生活物資を販売する共同売店が数店ある。
島民の生活リスムに合わせているのだろう、お昼すぎから午後3時ごろまで「休憩時間」の店舗もあるようだ。
店内のカップめんやお菓子などの値段を見てみたが、意外と本土のコンビニ価格と同じくらい。



地図に神社の表記があり、沖縄の神社とはどういうものか見てみたかったのだが、何やら雰囲気が違うぞというエリアの周囲に「立入禁止」の真っ赤なブロックがあった。
どうやら神を祀る「御嶽」や祭祀を行う聖域として禁足地とされているらしい。
波照間島にはこのような場所があちこちにあることから「神々の島」と呼ばれ、探索中は油断してはならない。


こちらも集落内のあちこちにある、島言葉による交通安全の手書き看板と島のマンホール。
看板は隣に訳が書いてあり「ウタマンドゥ トゥンジピコハン」は「あぶない 子どもの飛び出し注意」という意味らしい。
このほか「ヤマシヤマシ パリヨ~(ゆっくりゆっくり走ってね)」というものもあった。





午前11時、集落を抜け「日本最南端の碑」目指して島を南下する。
集落から外れるとほとんど畑と農道のようで、見晴らしがよく緑豊かな景色が続く。




平坦な道に沿って背の高いサトウキビ畑が広がっており、思わず「ざわわ……ざわわ……」などと口ずさむ。
立派に育ったサトウキビはちょうど今の時期の1月~3月にかけてが最盛期らしく、真っ黒に日焼けした島人たちが収穫作業をしている光景も見られた。
あと1~2か月来るのが遅かったら、全て刈り取られて少し寂しい風景だったかも。



次回、いよいよ南の果ての風景へ。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その10

2024-02-22 21:05:55 | 旅行(道外)2020~
2024年1月17日(4日目) ~マボロシ島~

本日はいよいよ日本最南端の有人島・波照間島へ渡る日だ。
狭い個室内で起床早々、船の運航状況を調べてみると―。

欠航は無し、全便「通常運航」。

ついに憧れのあの島へ渡れる。
心躍らせながら身支度をし、まだ消灯されている宿を静かに出発した。
なお旅行計画の段階で、航路が荒れやすい波照間島で一泊するのはリスクが高いと判断し、今回の訪問は日帰りとしている。
夜にはまたこの宿に戻ってくるので、着替えや与那国で買ったお土産は宿に置かせてもらった。
身軽になれるのが連泊の良いところだ。


午前7時すこし前だというのに、まだ日が昇っておらず薄暗い。さすが南の島だ。
昨夜語り合ったおじさんに教えてもらった近道を歩き、20分ほどで石垣港フェリーターミナルに到着した。


2024年現在、波照間島へ渡る唯一のフェリー航路は、同港に本社を置く安栄観光が受け持ち1日3便の運航。本日は午前8時の第1便で島へ渡り、波照間を午後4時20分発の最終便で石垣島に戻ってくる予定だ。
ターミナルの一番端の乗り場へ向かうと、乗船する高速船「ぱいじま2」が待機していた。
昨日見た小型船よりは数十倍大きく、揺れは幾分か軽減されることを期待する。

他の島々からポツンと離れた波照間航路は外洋に出るため荒れやすく、波照間島で検索すると「冬の欠航率は5割以上」「運が良くなければ渡れない幻の島」などという説明が目に入るが、詳しく調べてみると近年はそうでもないらしい。
確かに、かつては小型船のみの運航であったのに加え、2008年にはそのあまりの揺れで客が腰椎圧迫骨折を起こす事故が発生、以降、出航基準がかなり厳しくなったという話もある。
しかし今回乗る大きめの双胴船が導入されて以降は欠航が格段に減り、利便性は向上しているようだ。
(※かつての波照間航路の乗船記や事故についてはめえめえさんのブログが詳しい。)


午前7時50分、ターミナルの売店で念のため酔い止めを購入し、準備万端で乗船する。
思ったよりも座席数が多く広くて快適だが、船のサイズに対して利用者が少ないのだろうか、揺れが大きいと思われる船前方の数列は立ち入りが禁止されていた。
ターミナル内は朝から予想以上の人の多さだったが、ほとんどが観光地の竹富島・小浜島航路などへ向かったらしく、マニアックな波照間航路の利用者は少なめだ。

午前8時、船は意外にも大人しいエンジン音を響かせて定刻通りに出港した。
波照間島着は午前9時40分。約1時間40分ほどの船旅だ。



早いとも遅いとも言えない速度の船は、八重山の島々を望みながら大海原へ。
本日は天気が良いのでマシな方だと思われるが、確かに上下左右にゆっくりと大きな揺れが連続し、乗り物酔いする人には厳しそうだ。
船内のテレビを見ていると気持ち悪くなる予感がしたので、目をつぶったり外を見たりして過ごした。これだと意外と快適だ。

私は乗り物で酔ったことは無いが、船は乗船経験が少ないので未知数。
揺れる公園遊具で気持ち悪くなったことがあるため三半規管は弱めと思われる。修学旅行で乗船した竹富や西表航路では大丈夫だったが。
実は先ほど、ターミナルで酔い止めと一緒にポークおにぎりを買っているのだが、念のため今は食べないでおこう。



船後方のトイレに行くついでに船内を見物。
食料や配達物、新聞など石垣島からの便が一緒に積まれていた。離島ならではの光景が新鮮だ。
危険なのでデッキには出ることができないが、船後方の座席は横向きのベンチシートで、横になっている人も(船酔いでダウン中?)。大きな窓から一面の海を楽しむことができた。
船が立てる波に驚いているのか、時おり水面からトビウオと思しき魚がジャンプしていくのが見える。

次第に進行方向左側に、平べったい緑色の陸地がポツンと見えてきた。
あれが波照間島か。



船は大海原から一直線に波照間港へ進入。
防波堤に書かれた「ようこそ最南端の島へ」「南十字星が輝くぺぇ~ぬ島」などの歓迎の文字が見え、気分が高まる。天気も最高だ。


午前9時40分、定刻通りに港へ着岸。いよいよ波照間島へ念願の上陸となった。
小さなタラップの横で、すぐさまバケツリレー方式で物資の積み下ろし作業が行われていた。




だだっ広い波照間港には、来島者を歓迎する民宿やレンタカー/サイクル店の送迎車がずらりと並び、各自お手製のパネルを掲げてアピールしていた。
今日も自転車を借りて島内を巡る予定で、すぐにお店に行こうと思っていたのでこれはありがたい。
「レンタサイクル 西浜荘」とデカデカと書かれた古いエルグランドが一番わかりやすかったので乗せてもらう。確か港から2番目に近いレンタサイクルで、ちょうど利用しようと思っていた場所だ。

「ようこそ波照間島へ。ここは人口450人ほどの日本最南端の島です」
車に乗ったのは結局私ひとりだったのだが、スタッフの女性は丁寧な案内で、わずか数分の「民宿 西浜荘」へと送迎してくれた。
島生まれ、島育ちのおじぃが一人でこつこつ建てた宿泊施設なのだとか。

簡単な手続きで1日1500円のママチャリを貸してもらう。
電動自転車をお勧めされたが「与那国島を一周できたので大丈夫です」と断らせてもらった。
ちなみに今月は北海道からの利用者が既に私で3人目だといい、女性は驚いておられた。
みな台風シーズンを避けて来るからだろうか。


午前9時50分。最南端の日差しですっかり退色したママチャリを受け取り、まずは先ほど見れなかった波照間港のフェリーターミナルへ。
既に折り返しの船が出港後で人はまばら。ずらりと並んでいた来島者目当ての車たちは、先ほど私の送迎車が出発するのと同じタイミングで散り散りに消えて行った。なかなか面白い光景だった。



ターミナルの中は時刻表などの案内板も少なく簡素だ。
乗船手続きのカウンターと小さな食事処、お土産店があるのみ。
畳の休憩スペースはいかにものんびり南の島らしい。

さて、波照間島は面積13平方キロメートルほどで、ほぼ平坦な島のようなので自転車移動は楽勝だ。
今日の一番のお目当ては、何と言っても島の反対側にある「日本最南端」の碑。
その他、絶景という噂の「高那崎」「ニシ浜」なども押さえておきたい。島一周はどうしようか迷っているところ。
ともかく、帰りの船までは6時間以上ある。行きたい場所を気ままに巡ろう。


まずは島の真ん中にある集落を目指す。
先ほどレンタサイクルのスタッフも教えてくれたが、波照間島は中央が少し盛り上がっている地形のようで、集落へ向かうにはなだらかな坂を上らなくてはならない。
サトウキビ畑を横目に見ながら、海を背に坂道を漕いでいると驚いた。



ヒマワリが咲いている。
今まで見た事のない1月の風景に思わず笑ってしまった。しかも満開だ。
札幌では前日、寒波の影響で4~50センチの降雪があり、交通の便は大混乱だったようである。
「別世界」という言葉がぴったりだ。
今日も北海道民の日常とまるっきり掛け離れた風景が見れそうでワクワクする。


次回、島のあちこちに●●。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その9

2024-02-17 01:35:28 | 旅行(道外)2020~
3日目 午後1時 ~おじぃの宿~

アーケード街でのお土産選びにゴーヤチャンプルー。
石垣島ですっかり沖縄旅を満喫しているが、もともと本日は与那国と波照間とのインターバル的な位置づけなので、午後の予定は全く決めていなかった。
せっかく晴れているので美しい石垣の砂浜でも見たい。
空港で入手した無料ガイドブックをめくっていると、ぼんやりと聞き覚えのある地名が目に入った。

島南部のフサキリゾートとその中にあるフサキビーチ。
ここ、14年前の沖縄修学旅行で宿泊した場所ではなかったか。
特徴的なパラソルと桟橋。確か夕方の自由時間に友人らと砂浜を散策し、南の島の夕陽に感動した記憶がある。間違いない。
そして沖縄料理のバイキングで人生初の海ブドウを食したのもここだったはず。

石垣島での一番の思い出を辿りに、ここへ行ってみよう。



石垣港バスターミナルから路線バスに乗り20分ほど、「フサキビーチリゾート」で下車し、リゾートのエントランスに到着した。
このあたりはいかにも南国らしいリゾート施設が点在しているが、ここはひときわ立派だ。
入り口に立っていたボーイに聞いてみると、隣接するフサキビーチは宿泊客以外でも利用可能で、リゾート内も自由に散策して良いとの事。
豪華なフロントに恐縮してしまうが早足で通り過ぎる。



ビーチを目指し外へ出ると「アクアガーデン」と「ビーチサイドプール」が一面に広がり、見事なまでに完璧な南国リゾートの景色に感動してしまった。夢の中にいるみたいだ。
ここは友人グループや恋人と宿泊したら一生の思い出になるだろうな。
私と同じバスで下車したサンハットにサングラスのTHE・バカンスなカップルが宿泊手続きをしており、とても楽しそうだった。





プールサイドから、ついにお目当てのフサキビーチへ。
白い砂浜、エメラルドグリーンの海。一気に沖縄の旅らしくなった。
やはり14年前に訪れたのはこの砂浜だった。





印象深かった桟橋とパラソル。ここも大変「映える」風景だ。
友人らと歩いた時も天気は晴れていて、雲の切れ間から海に夕陽が降り注いでいた。
そして砂浜にいた女子たちの写真を撮ってあげた気がする。
思い返せば私もちゃんと青春していた。


砂浜に面した宿泊エリアも少し見物させてもらう。
1棟1棟が独立してコテージのようになっており、宿泊サイトなどで調べてみると目が飛び出るほど料金が高い。
高校生の私はこんな豪華な場所に泊まらせてもらったのか……。両親への感謝と申し訳なさでいっぱいになる。

時々、ゴルフカートのような送迎車とすれ違い、旅行ガイドやインスタから飛び出て来たかのようなグラサンの女子グループが楽しそうにしていた。
やはり小汚いバックパック姿の私はここには似つかわしくないな。
宿泊者でもないのに長居するのは気が引けるので、この辺で失礼することにした。
またいつかお付き合いしている人と来たいな。




午後2時半のバスで終点のフェリーターミナルまで引き返し、そのまま待合室のベンチで3~40分ほど爆睡してしまった。
どうやら昨日の与那国島一周の疲れが残っているようだ。

まだ夕方だが、予定より少し早め、予約している宿へチェックインさせてもらうことにした。
観光地化が著しい石垣島はリゾートホテルしか無いと思っていたのだが、旅行前に調べてみると意外にもバックパッカー向けのゲストハウスやドミトリー(相部屋の宿泊施設)がそれなりにある。料金も1500円台からと格安だ。
今回の旅では石垣島はあくまで島旅の拠点。宿泊場所の条件は「フェリーターミナルに近いこと」だけだったので、格安宿で旅費を浮かすことにした。
ただ、さすがに相部屋は気を使って疲れる……という事で、カプセルホテルとドミトリーの中間のような施設を見つけたので連泊で利用させてもらう。共有のシャワールーム付きで宿泊費は1日2000円。


午後5時、フェリーターミナルから徒歩圏内の宿泊施設に到着し「すみませ~ん」と声を掛けるも、奥の宿泊スペース以外消灯されていて、スタッフが誰もいない。
ロビーで食堂も経営されているようだが、厨房も無人だった。
予約サイトのじゃ●んに載っていた携帯番号に掛けるとオーナーと思しき男性が出て、どうやら近くに別館(本館?)があり、こちらには常駐していないようだ。
宿泊手続きのためにこっちへ来てもらうことになった。

数分待って現れたオーナーのおじぃは島人らしく浅黒く日焼けしているが、人のよさそうな笑顔がまぶしい。
棚に置かれている宿泊カードに名前を書いてポストのようなボックスに投入し、これでチェックインは完了。入館時は対面での手続きがそもそも不要だったらしい。
「おにいさんは現地精算?カード支払い済み?」と聞いて来たので宿泊者情報を把握していないようだ。少し心配になる。


そして半個室のベッドが並ぶ宿泊部屋も利用方法が独特。
ホワイトボードの一覧を頼りに使っていないベッドを自分で探し、利用中である旨ボードに自ら記入する。
清掃がいまいち行き届いていない感じもあるが、安いのでここは目をつぶろう。

とりあえず自分のベッドは確保できたようなのでくつろいでいると、入り口の方から「すみませ~ん」と微かに聞こえる。
ついさっきの私と同じ状況か。おじぃはまた別館に戻ってしまっているようだ。
いつまでもおじぃが現れそうにないので私が様子を見に行くと、私の向かいのベッドで寛いでいたと思しきおじさんも出てきた。
どうやらこのおじさんは長期滞在中で、宿の独特のルールをよく分かっているようだ。チェックインの説明はおじさんに任せて一件落着した。

おじさんに少し聞いてみると、彼も当初は利用法が分からず混乱したようだが、寝泊まりするうちに「徐々に全貌が分かってきた」という。
話しているうちに小柄な別のおじさんが現れたのだが、聞くと彼はここのスタッフ。
宿泊者と一緒に寝泊まりしながら、ここの管理を行っているそうだ。なんじゃそりゃ。面白すぎる。


午後6時。おじさんにこの周辺の食事処を訪ねると「よければ一緒にご飯行きます?」と夕食に誘ってくれた。宿から10分ほど歩いたところにある定食屋でサンマの塩焼き定食を頂く。

おじさんは若そうに見えたが、年齢は60台半ば。
仕事を早期退職し、独身で資産も十分にあるので老後の生活を自由に楽しんでいるようだ。
東京在住で、石垣島に来た理由は「寒い冬が嫌だったから」。
格安航空ピーチの最も安い便で往路、復路それぞれ選んだところ、日程は1か月に。
今日で滞在2週間ほどらしいので、東京へ帰るまであと半分くらいか。
日々ジョギングや銭湯、新しい食事処を開拓したりと気ままな毎日のようで羨ましい。次は沖縄本島へ行きたいと仰っていたので、こういった何も背負わない老後生活も楽しそうだ。

帰り道もおじさんとの会話を楽しみ、途中コンビニで石垣島のご当地乳酸菌飲料「ゲンキクール」を購入した。
石垣市内の「八重山ゲンキ乳業」で生産しているもので、紙パックの見た目は生クリームだが、カツゲンと森永マミーを足して薄くしたような味であった。

次回、波照間島、渡れるか?
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その8

2024-02-14 00:52:00 | 旅行(道外)2020~
2024年1月16日(3日目) ~島渡り人~

午前7時ごろ起床し宿の外に出ると、今日もどんよりした曇り空。そして風が強い。
スマホで調べてみると飛行機の運航に影響は無いようだが、強風で海が時化ているのだろう、石垣港では西表航路など欠航が出ているらしい。なお波照間航路は一部運行未定の状態。
波照間島へは明日の朝一で向かうので、何とか1日の間で天候が回復してほしいものだ。
本日はこのあと石垣島へ戻り、軽く観光してから石垣島内の安宿に泊まる予定だ。


8時15分、与那国島を発つ同じ飛行機に乗るK岡さん、N村さんと合流し、宿のおじさんの車で空港まで送ってもらう。
道中、あの小さなプロペラ機の欠航率が気になったのでおじさんに聞いてみると、台風シーズンを除き風の影響はそれほどのようだが、雨天時に霧がかかり離着陸できない状況がそれなりにあるそうだ。

そのほか宿の利用状況も聞かせてもらったのだが、国境の島である与那国島では現在、自衛隊駐屯地への増派に伴う拡張工事が行われており、石垣島や九州などから来る作業員の長期利用が大半だという。
旅行シーズンには町が公民館の体育館を開放し、来島者へはテント泊をお願いすることもあるそう。
今回はたまたま工期の狭間だったため空室があったが、2月から工事関係者の長期滞在でしばらく満室が続くようだ。
図らずも良い時期に島を訪れることができたようで運が良かった。


空港で宿のおじさんにお礼しお別れ。
K岡さん、N村さんと共に午前9時5分発のRAC742便へ乗り込む。
今回は八重山諸島がよく見えるという進行方向右側の座席を取っている。N村さんは最後部のようだが、何とK岡さんは偶然にも私の隣の席であった。2人で驚きつつ笑い合う。

飛行機は無事に定刻通りに離陸し、すぐに祖納集落と「ティンダバナ」が眼下に見えた。
楽しかったな……。





与那国島から遠ざかるにつれて次第に雲が無くなっていき、機内から八重山の島々を眺めることができた。
島の面積298.62平方キロメートルと八重山諸島で最も大きい西表島はかなり入り組んだ形をしているのが分かる。本島に隣接する2つの小島は「内離島」「外離島」という名らしい。
西表島上空を過ぎると「牛の島」と呼ばれる黒島や、2つの島からなる新城島などが次々と現れ見飽きない。
約30分のフライトはあっという間に終わった。


午前9時40分、石垣空港に到着し、到着ロビーでK岡さん、N村さんと再び合流。
名残惜しいが、与那国島でのわずかな時間を過ごした2人とはここでお別れだ。
私の旅はまだまだ続くし、2人はこのあと別々の飛行機でそれぞれ神戸と京都へ帰る。

「ありがとう」。N村さんが深々と頭を下げる。
「こちらこそ。孤独な旅になると思っていたけれど」。私もお礼を述べ、K岡さんが笑った。
一人旅はこういった思わぬ出会いと交流があるからたまらぬ魅力がある。
またどこかで会えることを願って3人は解散した。


再び一人になった私は、旅後半の拠点となる石垣市中心部へ向かうべく、空港から路線バスに乗車する。


午前10時47分、石垣市街にある終点・石垣港バスターミナルに到着した。
波照間島をはじめ各離島への船が発着する石垣港フェリーターミナルまでは徒歩数分である。
高速船に乗って波照間島へ渡るのは明日(日帰り予定)だが、乗り場など下見のため立ち寄ってみることにした。



ターミナルの乗り場ではタレントで元ボクサー、具志堅用高の銅像がお出迎え。
1955年に石垣市で生まれた具志堅氏、説明版には功績と共に「石垣市の英雄」の文字があった。
石垣島に来た際には外せない記念撮影ポイントである。


そして波照間島行きの乗り場を確認し向かってみると、未だに運行未定状態の午前11時45分発の小型船が停泊していた。
2024年現在、波照間航路は1日に3往復出ており、石垣港午前8時発と午後2時半の便は比較的大きめの高速船で運航されているのだが、午前11時45分発の真ん中の便はご覧の小ささ。
昔は全便がこのサイズだったそうだが、この小型船がまた恐ろしいほど揺れて船酔いするらしいのだ。
実際、港に停泊している今ですらも大きく上下動している。
揺れが怖いので明日の波照間航路は往復ともに大きい船を利用させてもらうつもりだ。

このあと運行状況をもう一度確認してみると、結局この日の午前11時45分発は欠航となっていた。



午前11時過ぎ。フェリーターミナルに近い中心市街地を少し散策してみることにした。
観光客向けに飲食店や土産物店が多く立ち並んでおり気分が高まる。



ターミナルから歩いて数分の場所にある「ユーグレナモール」は日本最南端かつ島内唯一のアーケード商店街。2本の通りからなり、石垣市公設市場を中心に土産物店が多く立ち並んでいる。
定番のシーサーの置物やスイーツ、アルコール類など、どの商品もカラフルで楽しい。これぞ沖縄である。
しばし友人らへのお土産探しを楽しんだ。


アーケードのすぐ近くに雰囲気の良い島料理のお店を見つけたので、ゴーヤチャンプルー定食で昼食とした。
ゴーヤチャンプルーは14年前の沖縄旅行でも体験済みだが、豆腐や卵のおかげなのかゴーヤの苦みは思ったほど強烈でなく私は好きだ。
そして一緒に調理されたスパムが美味しい。ずいぶん昔に我が家でスパムを食べたことがあり、その時は独特の塩気が苦手だったのに。これも年齢の経過による変化なのか。
沖縄にいる間にもう一度スパムを試してみよう。

次回、思い出の場所へ。
続く。
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