2日目 午後1時半 ~龍の背~
「自転車で与那国島一周」完走までもう一息という所まで来たが、ゴールの祖納集落へ戻る前にもう1か所見ておきたい場所があった。
今にも雨が降り出しそうな中、島一周道路から細い脇道に入るとすぐにお目当ての光景が現れた。
道路わきに年季の入ったコンクリートの構造物が密集している。
まるで遺跡のようだが、これらは全てお墓。ここは「浦野墓地群」と呼ばれるエリアである。
沖縄のお墓は本土民が見慣れる四角柱型のものに対し規模が大きく、独特な形をしているのが特徴。
昨日、祖納の集落を歩いた時もあちこちで見かけ、どれも存在感があった。
屋根がなめらかな曲線を描いているものは「亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、カーミナクーバカ)」と呼ばれる。
亀の甲羅に似ていることからこう名付けられているが、実はこれは母体を模したもの。
「人は死ぬと子宮へ帰る=子宮回帰」の思想から生まれたという。
墓地内には大小さまざまな亀甲墓がある。
中には家のような四角い屋根を備えたものもあり、こちらは「破風墓(はふばか、ハフーバカ)」と呼ばれるものか。
亀甲墓、破風墓ともに斜面に造られているものが多いが、これは沖縄に「風葬」の文化があったことに関係している。
自然形成された洞窟や掘った横穴に遺体を運び入り口を封じる。もともとはこのような「掘り込み墓」であったものが、その上部を装飾し亀甲墓となっていった(17世紀後半~)。
遺体は数年後に一度墓から出し洗骨、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺に収められ墓の中に並べられる。
白骨化するまで遺体を安置する場所が必要であったため、沖縄の墓は大きいのだ。
ちなみに戦時中はその大きさと構造から防空壕としても使用されていたらしい。
与那国島ではいまも風葬の文化が残っているというから驚きだ。
島に火葬場が無いことが関係しているのだろうか。
白骨化した遺体へ行う「洗骨」には海水や泡盛が使用される。
度数60度の「花酒」が与那国島でのみ製造が許されている理由は、こういった島内の儀式にも深く関係しているためなのだ。
小高い丘から海を見下ろせるこの浦野墓地群は「死者の都」とも形容される。
上記の風習を思いながらひとり歩いていると、確かに死がとても近く感じる。
この場所にはあまり長く居ない方がいいのかもしれない。私は逃げるように墓地を後にした。
墓地の片隅に小さな砂浜があり、美しい風景に思わず引き寄せられてゆく。
その小ささから「四畳半ビーチ」という名がついている。
島の人の愛称は「あぶひてぃ浜」。「あぶ」はおばぁ、「ひ」は女性器、「てぃ」は愛称。
波打ち際まで降りてみると、確かに「秘密の入り江」とでも形容したくなるような小ささ。
そしてぶ厚い雲に覆われたこの天気でも息をのむ綺麗さである。
ただし風が出てきたためだろうか、中々に波が高い。
岩々にぶつかり白波が高く上がり、ここでも私は歓迎されていないかのように思える。
午後1時50分、そそくさと浜を後にして進むとすぐに祖納集落に入った。
もはや見慣れた「ティンダバナ」が家々の向こうに見え、戻ってきたのだとホッとする。
何とか雨に当たらず、無事に与那国島一周を成し遂げたのだ。
共同売店で飲み物を調達した後、天候は心配だがまだ時間があるので、与那国空港までの往復4キロを追加することにした。
というのも、島一周中に自分や職場へのお土産を買いたかったのだが、良い土産物店が見つからなかったのだ。
再び自転車に跨り、15分ほどで空港へ。地面が濡れていたので、この辺ではざっと一雨あったみたいだ。
昨日クーポンを貰った売店で職場への菓子と、ぜひ入手したかった「日本最西端到達証明書」(500円)を無事に購入できた。これは島内でも売っている場所は少なそうで、なかなか入手困難なアイテムかもしれない。
売店のおばぁが良い人で、店の利益そっちのけで「いかにクーポンでお得に買い物できるか」を計算してくれた。結果、計3000円の買い物でクーポンが3枚使用でき、半額で1500円。なんとありがたいことか。
午後3時、空港から祖納集落へ戻り、最後の目的地へ。
県指定の名勝、集落を見下ろす岩山「ティンダバナ」(標高100メートル)だ。
側面の岩が窪んでいる部分が展望場所になっており、歩いて行けるようだ。島に横たわる銀の龍の背といったところか。
てっきり麓から山道が延びているのかと思ったが、近くまで車道が通じているようで、急坂を自転車を押して登って行く。
所々雨で濡れた道は、路肩に生える南国の植物のせいだろうか、やけにヌルヌルしていて滑る。
帰りに下る時は注意しないと……などと考えながら10分ほどひたすら登ると、ティンダバナの入り口に到着した。
すでに展望台部分の標高まで登ってきているらしく、あとは平坦な遊歩道を歩くだけのようだ。
高台にあるためか、先ほどから風が強くなってきている。ここでも私は良く思われていないのか。
岩が張り出した遊歩道を5分も歩かないうちに、麓から見えた岩がえぐれた展望場所に到着した。
狭い一角に木製のベンチが備え付けられてある。
標高は低いにも関わらず、ベンチからの眺めは中々のものだ。祖納集落を一望できる。
白い砂浜はナンタ浜、その向こうは祖納港、さらに向こうは東シナ海だ。
いつのまにか波がかなり高くなっているのがここからでも分かる。明日以降の天気が不安になってきた。
展望場所の先にも岩場の遊歩道が続いていたので行き止まりまで歩いてみる。
島の祭事で供えられるという湧き水があり、詩人・岩波南哲の詩が刻まれた2つ目の展望場所で終わりとなっていた。
午後7時。
夕方に自転車を返却し宿に戻って休憩後、眠い目をこすりながら食堂へ向かうと既にN村さんがいらっしゃった。
今日は私の少し後に同じ店で自転車レンタルしたようだが、まずは島を縦断し祖納→比川へ向かったそうだ。
聞くところによると、その後は反時計回りで一周した後、再び島を縦断して比川→祖納へと戻ってきたというから私よりかなり距離を走っている。島一周ならぬ「島θ周」といったところか。
私より40歳近くも年上だというのに恐れ入る。
その後はK岡さんも加わり2夜目の宴に盛り上がる。
K岡さんは自転車ではなく中型バイクをレンタルし、私とは正反対の時計回りで島を一周したようだ。どうりで遭遇しなかった訳だ。
そして気になる「人面岩」の感想だが「あれは絶対に全身が地中に埋まっている。ラピュタのロボット兵としか考えられない」と興奮した様子だった。
「与那国島一周はお互い自慢になるのお。もっと飲みぃや」。
N村さんが祝杯とばかりにオリオンビールを注いでくれる。先ほど空港の売店で購入し、部屋の冷蔵庫でキンキンに冷やしていたので非常に美味しかった。
明日の朝イチで与那国島を発つが、もうこの島に思い残すことはなさそうだ。
次回、3日目。石垣島へ移動。
続く。
「自転車で与那国島一周」完走までもう一息という所まで来たが、ゴールの祖納集落へ戻る前にもう1か所見ておきたい場所があった。
今にも雨が降り出しそうな中、島一周道路から細い脇道に入るとすぐにお目当ての光景が現れた。
道路わきに年季の入ったコンクリートの構造物が密集している。
まるで遺跡のようだが、これらは全てお墓。ここは「浦野墓地群」と呼ばれるエリアである。
沖縄のお墓は本土民が見慣れる四角柱型のものに対し規模が大きく、独特な形をしているのが特徴。
昨日、祖納の集落を歩いた時もあちこちで見かけ、どれも存在感があった。
屋根がなめらかな曲線を描いているものは「亀甲墓(かめこうばか、きっこうばか、カーミナクーバカ)」と呼ばれる。
亀の甲羅に似ていることからこう名付けられているが、実はこれは母体を模したもの。
「人は死ぬと子宮へ帰る=子宮回帰」の思想から生まれたという。
墓地内には大小さまざまな亀甲墓がある。
中には家のような四角い屋根を備えたものもあり、こちらは「破風墓(はふばか、ハフーバカ)」と呼ばれるものか。
亀甲墓、破風墓ともに斜面に造られているものが多いが、これは沖縄に「風葬」の文化があったことに関係している。
自然形成された洞窟や掘った横穴に遺体を運び入り口を封じる。もともとはこのような「掘り込み墓」であったものが、その上部を装飾し亀甲墓となっていった(17世紀後半~)。
遺体は数年後に一度墓から出し洗骨、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壺に収められ墓の中に並べられる。
白骨化するまで遺体を安置する場所が必要であったため、沖縄の墓は大きいのだ。
ちなみに戦時中はその大きさと構造から防空壕としても使用されていたらしい。
与那国島ではいまも風葬の文化が残っているというから驚きだ。
島に火葬場が無いことが関係しているのだろうか。
白骨化した遺体へ行う「洗骨」には海水や泡盛が使用される。
度数60度の「花酒」が与那国島でのみ製造が許されている理由は、こういった島内の儀式にも深く関係しているためなのだ。
小高い丘から海を見下ろせるこの浦野墓地群は「死者の都」とも形容される。
上記の風習を思いながらひとり歩いていると、確かに死がとても近く感じる。
この場所にはあまり長く居ない方がいいのかもしれない。私は逃げるように墓地を後にした。
墓地の片隅に小さな砂浜があり、美しい風景に思わず引き寄せられてゆく。
その小ささから「四畳半ビーチ」という名がついている。
島の人の愛称は「あぶひてぃ浜」。「あぶ」はおばぁ、「ひ」は女性器、「てぃ」は愛称。
波打ち際まで降りてみると、確かに「秘密の入り江」とでも形容したくなるような小ささ。
そしてぶ厚い雲に覆われたこの天気でも息をのむ綺麗さである。
ただし風が出てきたためだろうか、中々に波が高い。
岩々にぶつかり白波が高く上がり、ここでも私は歓迎されていないかのように思える。
午後1時50分、そそくさと浜を後にして進むとすぐに祖納集落に入った。
もはや見慣れた「ティンダバナ」が家々の向こうに見え、戻ってきたのだとホッとする。
何とか雨に当たらず、無事に与那国島一周を成し遂げたのだ。
共同売店で飲み物を調達した後、天候は心配だがまだ時間があるので、与那国空港までの往復4キロを追加することにした。
というのも、島一周中に自分や職場へのお土産を買いたかったのだが、良い土産物店が見つからなかったのだ。
再び自転車に跨り、15分ほどで空港へ。地面が濡れていたので、この辺ではざっと一雨あったみたいだ。
昨日クーポンを貰った売店で職場への菓子と、ぜひ入手したかった「日本最西端到達証明書」(500円)を無事に購入できた。これは島内でも売っている場所は少なそうで、なかなか入手困難なアイテムかもしれない。
売店のおばぁが良い人で、店の利益そっちのけで「いかにクーポンでお得に買い物できるか」を計算してくれた。結果、計3000円の買い物でクーポンが3枚使用でき、半額で1500円。なんとありがたいことか。
午後3時、空港から祖納集落へ戻り、最後の目的地へ。
県指定の名勝、集落を見下ろす岩山「ティンダバナ」(標高100メートル)だ。
側面の岩が窪んでいる部分が展望場所になっており、歩いて行けるようだ。島に横たわる銀の龍の背といったところか。
てっきり麓から山道が延びているのかと思ったが、近くまで車道が通じているようで、急坂を自転車を押して登って行く。
所々雨で濡れた道は、路肩に生える南国の植物のせいだろうか、やけにヌルヌルしていて滑る。
帰りに下る時は注意しないと……などと考えながら10分ほどひたすら登ると、ティンダバナの入り口に到着した。
すでに展望台部分の標高まで登ってきているらしく、あとは平坦な遊歩道を歩くだけのようだ。
高台にあるためか、先ほどから風が強くなってきている。ここでも私は良く思われていないのか。
岩が張り出した遊歩道を5分も歩かないうちに、麓から見えた岩がえぐれた展望場所に到着した。
狭い一角に木製のベンチが備え付けられてある。
標高は低いにも関わらず、ベンチからの眺めは中々のものだ。祖納集落を一望できる。
白い砂浜はナンタ浜、その向こうは祖納港、さらに向こうは東シナ海だ。
いつのまにか波がかなり高くなっているのがここからでも分かる。明日以降の天気が不安になってきた。
展望場所の先にも岩場の遊歩道が続いていたので行き止まりまで歩いてみる。
島の祭事で供えられるという湧き水があり、詩人・岩波南哲の詩が刻まれた2つ目の展望場所で終わりとなっていた。
午後7時。
夕方に自転車を返却し宿に戻って休憩後、眠い目をこすりながら食堂へ向かうと既にN村さんがいらっしゃった。
今日は私の少し後に同じ店で自転車レンタルしたようだが、まずは島を縦断し祖納→比川へ向かったそうだ。
聞くところによると、その後は反時計回りで一周した後、再び島を縦断して比川→祖納へと戻ってきたというから私よりかなり距離を走っている。島一周ならぬ「島θ周」といったところか。
私より40歳近くも年上だというのに恐れ入る。
その後はK岡さんも加わり2夜目の宴に盛り上がる。
K岡さんは自転車ではなく中型バイクをレンタルし、私とは正反対の時計回りで島を一周したようだ。どうりで遭遇しなかった訳だ。
そして気になる「人面岩」の感想だが「あれは絶対に全身が地中に埋まっている。ラピュタのロボット兵としか考えられない」と興奮した様子だった。
「与那国島一周はお互い自慢になるのお。もっと飲みぃや」。
N村さんが祝杯とばかりにオリオンビールを注いでくれる。先ほど空港の売店で購入し、部屋の冷蔵庫でキンキンに冷やしていたので非常に美味しかった。
明日の朝イチで与那国島を発つが、もうこの島に思い残すことはなさそうだ。
次回、3日目。石垣島へ移動。
続く。