ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

積丹・神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021-09-27 19:03:35 | ホルマリン漬け北海道 秘境編

神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021年8月30日 午前7時40分。

岩場を抜けると、明らかに人工的に削られた平らな岩礁に出ました。
ここまで旧ルートから外れていたのか消滅してしまったのか、道の痕跡はほぼ確認できませんでしたが、遊歩道であった証をようやく見つけることができ、気分が高まります。
すぐ近くの浅瀬で漁をしていた人と目が合いましたが、探検装備の私を見て納得したのかスルーしてくれたので一安心。


所々に足首程度まで海水がたまり、小さな生き物が泳いでいます。
これは長靴にして正解、バシャバシャと堂々突っ切ると、わずかに残る階段と崖が窪んだ箇所に到着。
探検開始から約30分。ついに辿り着いたか……。

念仏トンネル―。


念仏トンネルの開通は1916(大正7)年11月8日といわれていますが、掘られたのは神威岬にまつわるある悲劇がきっかけでした。
岬の突端付近に立つ神威岬灯台。現在は無人ですが、1888(明治21)年の初点灯から1960(昭和35)年に建て替えられるまでの70年あまりは、職員が居住勤務する有人灯台でした。

灯台に辿り着くには、一番近い余別と呼ばれる集落から約4キロもの険しい道を歩かなくてはなりませんでした。
岬が近づくと波打ち際を歩く断崖絶壁が続き、灯台を目指す人は海岸の石を飛び跳ねながら伝って歩いたといいます。

1912(大正元)年10月の天皇誕生日、灯台長夫人と3歳の長男、補助員夫人の3人がお祝いの食材を買うため余別に向かう途中に高波に飲まれ、そのまま行方不明になるという痛ましい事故が起きてしまいました。
村人たちは心を痛め、二度と悲劇が起こらないよう、岩場にトンネルを掘ることを決意。
1915(大正3)年から7年の歳月をかけて手掘りの隧道を完成させ、以降、灯台職員らの安全は守られたということです。


さっそくトンネル内部へ足を踏み入れます。
人がひとり通るのにちょうど良い大きさの内部は、思ったよりも状態よく残っており、難なく進めます。
…しかし、20メートルほど進むと右方向に直角に折れ曲がっており、先は真っ暗で何も見えず。

これが「念仏トンネル」と呼ばれるゆえん。
掘削作業は崖の両側から同時に進められたものの、測量ミスにより中央で大きなズレが生じてしまいました。
村人たちが犠牲者の供養の意味も込めて、双方から念仏を唱えて鐘を鳴らしたところ掘り進む方向が分かり、結果、全長60メートルの特殊なかたちのトンネルが完成したというわけです。


ライトで照らしてみると波が運んできたであろう流木や、プラスチックのごみ類などが散乱。
その向こう側も大きく折れ曲がっているのか、トンネルの長さの割に日光が全く差し込まず、なかなか不気味です。
真の暗闇であるため、念仏を唱えながら通ると安心」とも言われています。


流木類を乗り越えながら、さらに20メートルほど慎重に進んで振り返った様子です。
天井がだんだん低くなっており、足元に気を付けていたら飛び出た岩に思い切り当たりました……。
ヘルメットで良かった。



突き当たりは再び直角に、今度は左方向へ折れ曲がっています。
つまりトンネル内部はクランク状になっており、日光が入り込まないのも頷けます。
これまで念仏トンネルの構造がいまいち良く分かっていなかったので、実地調査で判明できて良かったです。


ここからは更に20メートルほど直線が続き、外部に出ることができました。
天井が低いうえに大きな石でゴロゴロしているので、最後は常に中腰で歩かなければなりませんでした。
高波の日はトンネル内部まで、それなりの浸水があると推測されます。



暗く狭いトンネルを出た先に広がる風景です。
遠くに神威岬と、直立する神威岩を望める絶景ですが風が強い!
トンネルを見下ろす崖上の遊歩道が岬へ続いているのが見えますが、海沿いを歩いて急斜面を登ってゆく旧ルートの痕跡も確認できました。
現在の遊歩道ができるまでは、ここ念仏トンネルを通るのが岬に辿り着く唯一のルートでした。



そして、トンネルを出たすぐ近くには奇岩「立岩」がそびえ立っています。
崖の上から見たときは普通の岩だったのに、横から見たらこんなに薄かったんですね。
神威岬の古い土産物には、ここの風景をプリントしたものも見られるので、かつては積丹を代表する名所だったのでしょうね。
今では危険を冒した者しか見られない幻の絶景になってしまったのが残念です。


はるか遠くの遊歩道上から確認できたトンネル出口、大きく回り道をしてようやく目の前で見ることができて達成感でいっぱいです。
開通から100年近く経つにも関わらず、その姿をしっかり留めていることに驚きましたが、つまり岩盤がそれほど頑丈であることを物語っており、手掘りの作業は難航したことが想像できます。
高波の犠牲者を二度と出させまいという、工事に携わった地元民の強い願いが伝わってきました。


神威岬「念仏トンネル」探索
完。

※旧ルートは閉鎖されており落石の危険があるため、訪問は自己責任でお願いします。
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積丹・神威岬「念仏トンネル」探索(前編)

2021-09-27 00:19:41 | ホルマリン漬け北海道 秘境編

神威岬「念仏トンネル」探索
(2021年8月訪問)



積丹半島北西部、積丹郡積丹町神岬町の日本海に向かった突端にある「神威岬」。「カムイ」とはアイヌ語で「神」を意味します。
高さ80メートルもの断崖絶壁が細く突き出し、積丹ブルーの海面と共に素晴らしい景色を作り出していますが、岬の沖は暗礁が多いため海難事故が多発し、古くから海難交通の難所として恐れられていました。
船に和人女性を乗せて岬を通ると海神の怒りを買い、船が遭難し漁業も不振となるという言い伝えがあったことから、1691(元禄4)年、岬は松前藩により女人禁制の場所とされました。
1855年(安政2年)に規制は解除されましたが、国道229号から岬へ向かう遊歩道の入り口には、今も「女人禁制の地・神威岬」の文字が掲げられています。

2021年8月末、実に13年ぶりに神威岬を訪れたのですが、残念ながら強風の影響により、入り口の門は閉鎖中でした……。
仕方がないので2008年訪問時の写真にてご紹介します。


雄大な地形に張り付くように、総延長700メートルほどの細い遊歩道(通称「チャレンカの道」)が延びています。
かなり高低差のある道なのがお分かり頂けると思います。


2~30分ほど歩くと岬の先端に到着します。
高さ41メートルの直立した岩礁「神威岩」が特徴的です。
伝説によると、かの源義経が奥州から日高地方へ逃れた際、アイヌ首長の娘・チャレンカと恋仲になったものの、義経は彼女を残してひとり大陸へ出航。
後を追ってこの岬までたどり着いたチャレンカでしたが真相を知って絶望し「婦女を載せた船がここを過ぐれば覆没せん」と叫び海に身投げしました。
彼女の怨念の化身こそが神威岩だ、との言い伝えもあり、岬一帯が女人禁制の地になった一因とも言われています。


くねくねと曲がりくねった遊歩道は崖のわずかに平らな部分を伝っていたり、途中が金網になっていたりで、見下ろすと足がすくむほど高く中々のスリルです。
断崖の上から岬を目指せるこの道が完成したのは平成4年ごろといい、それまでは国道わきの海岸から岩場を歩き、急斜面を登ってゆく約2時間を要するルートしかありませんでした。

そしてこの旧ルートには念仏トンネルと呼ばれる、大正初期に彫られた小さな手掘りの隧道がありました。

現遊歩道から念仏トンネルを望むことができます。

崖下のはるか彼方に、ポッカリと開けられた人工的な穴が確認できます。
現・遊歩道の途中に見晴らし台があり、トンネルの解説板もあるので、現在でも認知度はそれなりにあるかもしれません。
ただし、現在は旧ルート自体が崖崩れの危険性があり廃道となっており、トンネルも基本的には通行禁止のようです。

噂によると念仏トンネル、かなり不思議な構造をしており、それほど長くないトンネルにも関わらず光が全く入らず、通過するのが中々怖いのだとか。
そもそも、なぜ「念仏」なのか??心霊スポット的な噂もあれば、「通る時に念仏を唱えなくてはならない」といった話も聞く。


これは気になりますね……。
行くしかないではありませんか!!


2021年8月30日(月)午前7時。

現在の神威岬入り口から、余市方面へ車を走らせた道路沿いの某所。
旧ルートの入り口だった場所には、今も「神威岬入り口」と書かれた看板が名残として残っています。
ただし、道らしきものは消滅してしまったのか確認できず……。


広場になっている場所に車を停め、ここから本格的な探索です。
道中は崖沿いの波打ち際を歩くのですが、落石が多くかなり危険との事なので、ヘルメットを被って気を引き締める。また、多少の波にも耐えられるように長靴も履いていざ出発。いずれもこういった探索のために、車に常備してあるグッズだ。
……あっ、そういえば車買い換えました。スズキSX4セダンという珍車です。ばかデカいトランクがかなり重宝します。



ゴロゴロした岩場を、滑らないように気を付けながらひたすら進んでいきます。
本格的な秘境探検は同じ積丹半島、神恵内村西の河原(2016年)以来か?やや緊張しますね。
まだ朝が早いため、海には小さなボートに乗った漁師さんの姿がいくつか。勝手に歩いて怒られないか心配になりましたが、このまま探索を続けます。


岩場には、遊歩道の名残と思しきコンクリートの階段の残骸や、看板を打ち付けていたような木製の杭などが確認できました。
岩場を人工的にくりぬいたような窪み?は何なのかよく分からず……。


崖に沿って歩く道中には、真新しい落石の跡が……。
実は念仏トンネルの存在は10年以上前から知っており、ずっと探索したいと思っていたのですが、落石や波打ち際を歩くことなど、リスクがかなり高いことから中々挑戦できずにいました。
……無事に帰れるでしょうか?


足元が比較的安定した岩礁になり一安心するも、絶壁を回り込むと再び大きな石がゴロゴロ。
まだまだ先は長そうですね……。


歩いてきた道のりを振り返ってみます。
本日は晴天で波が全くないのが幸いですが、高波の日はかなり危険でしょうね。
ここまで、探索開始から20分ほど……。


後編へ続く。
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日本一危険な参拝旅 積丹・西の河原編(後編)

2016-10-11 01:32:59 | ホルマリン漬け北海道 秘境編
コメントへのお返事遅れ&更新停止で申し訳ありません…。
「危険な参拝旅」シリーズ、ようやく完結編です。


8月7日(日) 11:30

険しい海岸沿いを歩き、ようやく岩壁の向こうに現れた「ジュウボウ岬」と「西の河原」。
聖地」という言葉がぴったりの美しい風景の中を進みます。

残念ながら、ここまで道のりを共にしてきたおじいさんは「奥さんを待たせてるから…」ということで戻ってしまうとのこと。
ようやく見えてきた果ての光景を一緒に見たかったのですが、残念です…。

かつてアイヌ語で「神の遊びしところ」を意味する「カムイミンタラ」と呼ばれていたジュウボウ岬周辺。
現在でこそ国道から徒歩で訪れる事ができますが、1996年にトンネルが開通するまでは船でしか訪問することの出来ない秘境中の秘境でした。
トンネル開通後は遊歩道が整備されるも、先ほど見た通り2000年初頭ごろから閉鎖されており、再び訪問が困難な秘境へと戻ってしまいました。


草の中にうっすらと踏み分けられた跡があり、ポツンと佇む小屋へと私をいざなう。
向こう側の海岸から上がってくる風が草原全体に吹きぬけます。
まさに「別天地」と呼ぶにふさわしい空間ですね。

草に埋もれ、積み上げられた石があちこちに置いてあるのに気付きました。
危ない、崩さないよう注意しないと。


緩やかな斜面を登りきると、ようやく小屋の横へと出る事ができました。
チベットの「マニ車」(輪を一周させることでお経を唱えた事になる装置)らしきものが建っています。
大きな札には消えかけの文字で「霊場 賽の河原」と書いてあります(※何故かココの文字だけ「賽」)

目指す「西の河原」はこの場所のようです。






半島の付け根にあたる細長い空間に、大小さまざまな石の塔が数え切れないほど存在していました。
どのぐらい前に積まれたものなのでしょうか。





神威岬を中心とした積丹半島のこの辺りは、古くから航海の難所として恐れられていました。
船乗りの間では「地獄の賽の河原」と呼ばれ、海難事故が多く発生。
家族たちは流れの穏やかなこの入り江で石を積み、遭難者の霊を鎮めると共に、この先の航海の無事を祈ったといいます。
神恵内村の西の河原にはこのような由来があると言い伝えられています。

「航海の難所」という言葉を物語るかのように、かつてこの付近には古びた難破船が横たわっていたようですが、錆びてすっかり朽ち果ててしまっており、現在は小さな鉄の残骸が転がっているだけでした。


小屋の正体は地蔵尊で、内部には300体ものお地蔵様が納められているそうです。6月には例大祭も行われており、地元の方々が漁船に乗ってこの場所を訪れるのだとか。
扉が閉じられていましたが、地蔵尊の前にもお地蔵様らしき石像が。風雪のせいですっかり丸く削られてしまっています…。
先ほどまで一緒に歩いてきたおじいさんは「この先にあるお地蔵様が見たい」とおっしゃっていました。
おじいさん見てるかな。



…それにしてもすごい場所です。
両側を入り江に挟まれたこの場所は風の通りが非常によく、地蔵尊は海風で壊れてしまわぬよう横から支えられています。
過去には別の地蔵尊があったようですが風で倒壊してしまったらしく、現在建っているのは10年ほど前に造られたもののようです。
幸い、この日の風はそれほど強くはなく、ひとり岩に腰掛けて透き通った海風を楽しみました。

私の後から歩いて来ていた若者3人組は、海岸のさらに向こうへと歩いて行ってしまいました。
海岸の奥にキャンプに適したポイントがあるのでしょうか。



来た道を戻る途中、向こう側からワイシャツ姿のサラリーマンが。
地蔵尊、まだ向こうですか?」と不安そうです。

現在でも訪問者はそれなりに多いようですが、石を積みにやってくる人は居るのでしょうか。

危険を冒した者だけが辿り着く、まさに冥界に限りなく近い場所。海岸沿いを苦労して歩いた甲斐がありました。
あの場所に広がっていた光景は一生忘れることは無いと思います。


日本一危険な参拝旅 積丹・西の河原編
完。
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日本一危険な参拝旅 積丹・西の河原編(前編)

2016-09-19 02:20:48 | ホルマリン漬け北海道 秘境編


神の遊びし入り江、願いはそこに残りつづける
西の河原(北海道古宇郡神恵内村珊内)

積丹半島の西側、神威岬から岩内方面に数キロ下った場所に「西の河原(さいのかわら)」と呼ばれる場所があります。
場所は神恵内村の端ということになるらしい。
日本全国に「賽(西)の河原」と呼ばれる霊場はいくつかありますが、ここ神恵内村の西の河原は「ジュウボウ岬」と呼ばれる小さな半島の付け根部分にあるようです。
私は長らく、この霊場の行き方はおろか正確な場所すらも知りませんでした。ネット検索をしても、ヒットするのは国道沿いの普通の海岸の画像のみ。てっきり「西の河原なんて名ばかりの場所だな…」なんて思いこんでいたのですが、いざ訪問するにあたって改めて調べてみたところ、今回の真の場所が判明したというわけです。

ウワサによると「遊歩道は封鎖され…」「海岸沿いを数十分歩き…」などと訪問は容易ではないとのことですが…果たして?

8月6日(土)

半日以上かけてせたな町の太田山神社の訪問を果たした私は、そのまま車で折り返して寿都町まで戻りました。
午後6時、眠い目をこすりつつ辿り着いたのは、スマホで見つけた日帰り温泉施設「ゆべつの湯」。
入館料500円で山登りの汗を流してサッパリ。ついでに休憩コーナーでヴォリュームたっぷりの天丼を食べて満足満足。

この施設はキャンプ場が併設しており、駐車場には旅人のバイクがたくさん。隣の広場ではライダー達が宴会の真っ最中でした。
この場所が丁度いいや!ということで、そのまま車のシートを倒して車中泊することに。
私が乗っているスズキエリオというマイナー車はトランク容量が大きいのが自慢。後部のシートを倒して身体をナナメにすると、身長168の私なら足を延ばせる事が判明。おかげで朝までグッスリでした(*^_^*)。


翌8月7日、朝6時に気持ちよく起床し、再び積丹半島へ向けて北上。
途中でとまりん館に寄り道したりしつつ…(後日取り上げます)

午前11時、「西の河原」付近に到着!

西の河原トンネル」と「大天狗トンネル」の間に小さな駐車場があり、そこへ車を乗り入れます。
海水浴か釣り目当てと思しき車が2~3台停まっているだけで非常に静か。かつては駐車場に面してレストハウスがあったといいますが、近年解体されてしまったらしく何もありません…。
話によると、この駐車場から海岸沿いをしばらく歩くと「西の河原」に辿り着けるらしいのです。

それにしても、バス停の名前が「西の河原」ってなんかイヤですね…(^_^;)笑

国道より「西の河原」方面を望む

あの尖った先端がジュウボウ岬か?と思いましたが、地図を見ると違いました。
尖った部分を越えた向こう側に、小さく半島状に飛び出した岬と、その付け根に存在する「西の河原」が隠れるように存在しているのです。
…かなりの距離を歩く事になりそうです。


涼しい服装に着替え、駐車場から海へと降ります。
ここはまだ普通の海岸で、かつて私が見た「西の河原」の画像はこの場所を写したものだったと思われます。
さっそく「ジュウボウ岬」方面へ、ひと気のない海岸沿いを歩いていきます。
…転がっているのは大きな石ばかりで、随分と歩きにくく疲れます


15分ほど歩き続けると、しばらく先に年配の男性が歩いているのに気付きました。
岩場を探検するのには適していなさそうなごく普通の服装で、遠目に見ても少し心配になりました…。
この場所、参拝に訪れる人は意外と多いのでしょうか。


来た道を振り返ってみると、さっきまでいた駐車場が小さく見えました。
そして私の後ろからもキャンプ用具?を背負った若者3人組が歩いてきています。

さらに歩いていくと…険しい岩場が。

画像では伝わりにくいですが、起伏がかなり激しく非常に危険。
岩の裂け目は2~3メートルほどありそうな箇所も多く、もはや素人は歩くべき場所じゃありません(笑)。
想像よりも遥かに険しい行程に冷や汗が…(^_^;)。

「太田山神社のオマケ」的な軽い気持ちで来てしまった自分を責めつつ、慎重に進みます。

大きな岩をよじ登ると、先ほど遠くに見えた年配の方がいらっしゃいました。
私を見つけると「この先ってどうなっているかご存知ですか?」と話しかけてきました。
なんでも、随分と前に西の河原を訪問された事があるらしく、あの場所をもう一度見たくてここまで来たといいます。
遊歩道が無くなっちゃったから、すっかり来るのも大変になっちゃったね。」と残念そうです。


おじいさんと共に、なんとか岩場を攻略。
駐車場から遠目に見えていた岩壁、いったいどうやって越えればいいのか?と心配していましたが、ちょうどよく壁に裂け目があり、斜面を登って行けば難なく越えられそうです。
おじいさんが心配で待っていたら、後から来た若者3人組に抜かれてしまいました…(^_^;)笑。

斜面を登りながら、おじいさんは色々と思い出話を聞かせてくれました。
昔から探検するのが大好きならしく、駒ケ岳が噴火したときは噴火口を覗きこんだらしいです。
しかも、こんな服装でね(笑)」と自信のポロシャツとズボンを指さし、少年のような笑顔を浮かべていました。


さて、予想以上に険しかった「ジュウボウ岬」および「西の河原」までの道のり。
岩壁の間の斜面を登りきると、ようやく努力が報われました。


見えた!!!
半島状に突き出した岩山の向こう側が「ジュウボウ岬」、そしてそこへと通じる細長い陸地部分、小さな小屋があるのがお分かりでしょうか?
あの辺りが、目指す西の河原!!小屋の正体は地蔵尊のようです。

私に続いて登ってきたおじいさんも、目の前に現れた秘境の景色に感動していました。
実は先月、ウチの猫が亡くなってね。10年以上一緒だったから辛いんだ。」とポツリ。
彼がこの地を訪れたのは、そういう理由もあったのかな。



ようやく西の河原を望むことが出来ましたが、まだ油断はできません。
斜面の向こう側にも、険しい岩場が続いていました。
歩ける場所を探しながら、巨大な岩の間を登ったり降りたり。雨の日じゃなくて良かったです。
ようやく平坦な海岸に降り立つと、そこには昔の遊歩道と思しき階段が草に埋もれていました。
私がむかし歩いたのはこれだったんだな。」と、おじいさんは再び感慨深げです。



次回……ついに聖域へ足を踏み入れる。
続く。
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日本一危険な参拝旅 太田山神社編 その3

2016-09-03 01:29:39 | ホルマリン漬け北海道 秘境編
8月6日(土) 13:25

登山開始から45分ほど。木々の間から切り立った岩肌が見えてきました。
これは麓の集落から見えた太田山の山頂部分に違いない。
ということは、本殿はもうすぐか?

相変わらずゴツゴツした斜面を登りきると、年季の入った木製の鳥居が現れました。



…この鳥居に辿り着いたら、太田山神社の最後の難所はもう目前というのをどこかで読んだ気がします。
鳥居の下で岩に座って休憩していると、岩肌の向こう側から悲鳴が(!!)
恐らく、私の前に登って行ったスポーツカーのカップルだと思われます…。


鳥居はなぜか不自然に折れています(^_^;)。これも落石のしわざでしょうか??
そしてその先の参道を覗いてみると、木々がなく視界が開けています…。こりゃもうホントに断崖絶壁のすぐ縁まで来ているようです。

写真撮っていると、道の先からスポーツカーのカップルが戻ってきました。
さっき出会ったカップルも結構若かったが、こちらのカップルも私とそれほど年齢は変わらなさそう。
近年は私のような探検目当ての若者に人気なのでしょうかココは。

話してみると、彼らも本殿まで行ってきたといいます。
橋のほうが滑るんで気を付けてください♪」と高身長の彼氏。

…わかりましたよ。私もそろそろ行きましょうかね。


なんだこりゃ…
目の前に現れたのは、ボロボロの橋の根元と思われる部分。ずいぶんと角度が急ですが…。
幾本ものロープやネットで無茶苦茶に固定されているのに恐怖を感じるというか(^_^;)。

参道はこの橋の向こうに続いているようですが、橋の先を見て絶句。


…コレ大丈夫ですか??



そこに見たのは安全が保障されているとはとても思えない通路でした(汗)。
今まで歩いてきた参道と、険しい岩壁の僅かな空間に架かるこの橋、数十メートルの高さはありそうな空中を結んでいます。
それにしてはあまりにも頼りない(^_^;)。


岩の上に置かれているようにしか見えないのですが、一応サビサビの鉄の棒や鎖でも固定されているようです。しかしどこに繋がっているのかもよく分からない…。

鉄製の柵は錆びて腐り落ちたのか落石がブチ当たったのか分かりませんが、大部分が消失しておりネットで処置が施されている状況…。立ち入り規制されていないのが不思議なくらいです。
ここ、参道の整備は定期的にされているのでしょうか…。さすがに神社の関係者であっても、あれほど厳しい山道を頻繁に登っている訳にもいくまい。

予想以上の高所と橋のボロさにビビりましたが、意を決して渡ります。




怖すぎィィ!!!!
足元の網はペラッペラで、足を置くとかなり沈みます。
しかも、さっきスポーツカーの彼氏が言ってた通りにスベるスベる。
網の間から下を覗くと、はるか下に生えている草木が小さく見え、果たして自分はこんなフニャフニャな網に全体重をかけていて良いのかどうかと不安になります(^_^;)。
そして橋の上から振り向くと、背後の景色がこれまた恐怖。



皆さん、斜面の下に岩場と道路が見えるでしょ?
あそこ、山に登る前にお参りした拝殿がある場所です。目を凝らして見ると確かに麓の各設備が小さく見えます。
そして白い物体があるなと思ったら、公衆トイレ横に止めた自分の愛車でした(汗)。

さらに皆さん、一面に広がる海の向こうには奥尻島が見えます!!
(注:「その1」の冒頭の写真を参照)


腰が曲がりきったおばあさんのような体制で、何とかヒイコラ橋を渡りきりました。
何度も言いますが私ホルマリン、高所ダメダメなんですよ…。

相変わらずどこに結ばれているのかも分からない橋に戦慄するも、辿り着いた岩壁の光景を見て
戦意喪失。


これは……。

なんと橋の先の岩壁にはジャラジャラと錆びた鎖が垂れ下がっており、その先には岩屋が。
そして皆さん、岩屋の中に木製の屋根が見えるのがお分かりいただけますでしょうか?
あれが太田山神社の本殿!!

つまり、この崖を登りきらなければ本殿へのお参りは不可能だということ。
これが、太田山神社の最後にして最大の難関、垂直崖登り。


崖の高さは7~8メートルといったところでしょうか…。
しかし周りの景色のせいで高所感がハンパないです(^_^;)。

登るための鎖がこれまた恐ろしく、ハシゴのように固定はされておらず左右にブランブラン揺れます。
岩肌はせり出している箇所もあり、もし手を滑らせてしまえば数十メートルの崖下に落下してしまう可能性も有り得る。
もし参道のわずかな空間に落ちて助かったとしても大怪我は免れないでしょう。

私は既に、今いる参道の高さにビビりまくっています。
これからこの数メートルの崖を登りきる自信はない。
登りきったとしても、今度は降りる時が余計に怖い。というか想像もしたくない。
そもそも、私は公園の鎖を登る遊具が苦手でした。近づいたこともほとんど無い(怖いから)。

こんな私がチャレンジできるわけないよね。
うん。みんな、許してね。


ホルマリン、
無念の 撤 退!!!


最初の鳥居の部分で既に諦めかけていたのですが、いざ実物を目の前にしてみると想像以上でした。
いつも無謀なホルマリン君なら辿り着けるでしょ~!」なんて思ってくれていた読者の皆さん、ご期待に添えず申し訳ありませんm(__)m。実は私、ヘタレなんで。

しかし、それ以前に
高い所は
ガチで、無理。




午後3時、無事に麓まで戻ってきました。
言い訳がましくてアレなんですが、この神社、参拝者の半数が本殿の手前で諦めてしまうようです。クライミングに自信のある選ばれた者のみが、あの崖の上の岩屋に辿り着けるというわけ。

私はムリでした。
やはり「日本一危険な神社」は只者ではありませんでした。


…ちなみに乃木坂46のメンバーは、ハーネス装備で4人とも崖の上まで登りきっていました。

結局、年下の少女たちに
負けた。



険しい登山のせいで汗ビショビショ、そして何と言っても両足首を10か所以上虫に刺されたので腫れてきました…(^_^;)。
ボロボロの身体で辿り着いたのは、せたな町はずれの小さな海水浴場。音割れまくりのスピーカーから桑田圭祐の曲が大音量で流れ続ける素敵な場所です(笑)。

明日も行きたい場所がいくつかあるので、ここを折り返し地点としましょうかね。
次はいつ見られるか分からないせたな町の海を眺め、再び車に乗り込みました。


2日目、海岸の向こうの「忘れられた霊場」を目指す。
しかし、こちらの危険度も想像以上だった…!


「日本一危険な参拝旅
積丹 西の河原編」へ続く。

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