gooブロガーのホルマリンさんが人が住む最南端と最西端の島に行かれたとの事。
と、いう事で、16年前の私の沖縄県の波照間島についての記事を改めて。
最新事情については、ホルマリンさんのブログを見てください。
勝手にコラボ宣言(笑)
2008年2月21日
石垣港離島ターミナル
8:30頃 安栄観光の波照間航路、高速船 第1あんえい号に乗船
2008年当時、石垣~波照間航路は波照間海運が定期便(高速船)とフェリーの運行を行っていました。
安栄観光は、不定期便(旅客定員を12名に制限)として運行されていました。
え?12人以上写真に写ってますよねって? さあ?どうなんでしょう?
離島に住む方にとっては、安栄は少しぐらいのシケでも船を出してくれると頼りにされていたようです。
安栄観光は2011年に定期便運行の許可を取得しました。これにより離島航路補助制度の対象から外れ
経営が悪化した波照間海運は2012年6月に運航停止し、安栄観光がフェリーの運航を受け継ぎました。
石垣港を出ると、徐々に船が上下し始め、
外洋に出ると物凄い揺れ。
窓の外を覗くと、波がザッパ~ン!
約60分の乗船時間を耐えきれるのか?
と思いつつ、腕時計の針が早く進めと思うのと早く着いてくれ~とひたすら祈る。
あ~こんな感じで船がバウンドしてるから揺れるのね…
窓から波を見たら酔いそうなので、空をひたすら眺める。
船に波が垂直に当たらないように、波の合間を選んで必死に舵を切っている様子
(ガラケーの動画を掘り出しました。解像度が悪いのはご容赦ください)
過去最高に揺れた船旅でした(帰りに再び乗るんですが)
こ、これが波照間島ですか?
ようやく波照間港に入港。
第1あんえい号 (小さっ!)
有人島で日本最南端の波照間島に上陸です。
オプションツアーで島内を一周後、レンタサイクルで再度1周。
島内の様子
島内には生活に最低限必要な日用雑貨や食料品などを売っている共同売店が5店と個人商店が数店あります。
コート盛
見晴台のことで、珊瑚石をらせん状に積み上げられたものです。
波照間島は標高が低いため、約4mもの高さのものを当時村番所(今で言う役所)に併設して築かれました。
17世紀半ば頃に八重山諸島全域に作られたと言われている遺構ですが、目的としては不審船などの通行を
発見した場合、烽火によってすみやかに通報がされたと言われています。
シムスケー
シムスケーとは旧シムス村跡にある古井戸です。
その昔、7カ月にも及ぶ大干ばつの際、1頭の牛がこの地を前足で掘り水を飲んでいた。
それを見た人々はここに井戸を掘り、水を得て、命を救われたと伝えられている。
ニシ浜
八重山でも指折りの美しい浜ですが、この日は曇天。ニシとは方言で「北」のこと。
高那崎
日本最南端の岬です。1kmほど続く断崖絶壁に、打ち寄せる波が迫力満点です。
日本最南端の碑がある場所です。
写真にもチラッと写っていますが、星空観測タワーが近くにあります(現在休館中)。
星空観測タワー (休館中)
天体観測の障害となる気流の影響が少なく大気が安定しているため、星がくっきりと見えるそうです。
12月~6月には南十字星が観測できるとか。
海底が隆起してできた場所のようで、サンゴの化石がありました。
日本最南端之碑
有人島としては、日本最南端の波照間島です。沖縄返還前の1970年にこの地を旅した
学生が建立したものです。
日本最南端之碑の近くには
47都道府県から集められた石がちりばめられています。
日本最南端平和の碑
竹富町が1995年(平成7年)に戦後50年の節目を迎えるにあたって建立しました。
波照間之碑
沖縄返還を記念して1972年に建てられました。
モニュメントがたくさんある高那崎です。
牛さん
ヤギさん
サトウキビ畑とサトウキビの収穫の様子
それでは、日本最南端シリーズを紹介
日本で一番南にある交番 (八重山警察署 波照間駐在所)
当時のパトカーが スズキ カルタス
日本で一番南にある小学校 (竹富町立波照間小学校)
日本で一番南にある郵便局(昭和基地内郵便局を除く) 波照間郵便局
2023年7月24日に東に160m移転し新築したようです。 画像:NHKニュースwebより
日本一南にあるコカ・コーラの自動販売機
(当時は集落の仲底商店にある自販機でしたが、現在は仲底商店は閉店しています)
現在の日本一南にあるコカ・コーラの自動販売機はこの辺りにあります。
日本一南にあるNTTドコモの基地局
ロゴが古い・・・
こちらは日本一南にあるソフトバンクの携帯基地局です(auは撮ってませんでした)
日本で2番目に南にある灯台 波照間灯台
(2008年3月に沖ノ鳥島に沖ノ島灯台が設置され、日本一南の灯台の座を譲りました)
波照間島最標高地点の三角点(59.5m)は、カッチンヌブヤムリ(遠見台)の上に
設置されています。
波照間島灯台は島の真ん中にあり、海岸線は見えません。
日本一南にある製糖所 波照間製糖 (2014年に工場が建て替えられました)
黒糖を買ってきたようですが、味は・・・忘れてしまいました。
日本一南の酒造所 波照間酒造所
泡波という泡盛を島内で生産していますが、9割が島内で消費され
幻の酒と呼ばれていました。下戸ですが、ミニボトル(360ml)を買ってきて
沖縄好きの先輩にあげたところ大変喜ばれました。
日本最南端の空港 波照間空港
2007年11月30日までは琉球エアコミューターが、2007年12月28日~2008年10月迄は
エアードルフィンが石垣~波照間間を運航していましたが、エアードルフィンが経営破綻し
就航路線が無かったのですが、第一航空が今年の1月22日から週3往復(月・水・土)就航しました。
エアドルフィン機 (石垣空港(旧空港)で撮影)
島内観光を終えて再び波照間港へ
そして悪夢が・・・。
船客ターミナルにあった売店で買い物をした際に、船酔いしにくい席ってどのあたりですか?
と、尋ねたところ、売店の方が「1階の後ろ側がいいよ」と教えてくださいました。
第78あんえい号で石垣島へ戻ります
往路で乗った第1あんえい号よりは新しそうです。
アドバイス通り、船内の一番後ろ側の席へ着席。
隣に、半そで短パンで釣竿を持ちクーラーボックスを抱えた釣り人が座りました。
「気分が悪くなった方は座席前のポケットに入っているビニール袋を使ってください」との船内アナウンス。
波照間港を出ると、船は出力を上げて速度が速くなっていき、やはり波で船が縦に揺れます。
すると 「オえ~~~っ」
まさかの、隣の釣り人がビニール袋の中にリバース。
これはヤバい!
中身を服にかけられてしまうと思い、別な席に移動しようと立ち上がろうとするも
船が揺れて立ち上がれない。
同行者と私がなんとか席を変わって、同行者が窓側に、私が釣り人の横に座ったものの
同行者がリバース物体の臭いにつられてリバースしそうになっていました。
私 「そっちじゃなく、外を見て!空!空!」
同行者「えっ?どこ?何? ちょっと無理?我慢できない!ちょっと無理かも・・・自主規制」
こんな地獄絵図の中、60分間も耐えなければならないのか!?
私もヤバいぞこれは。両側でこんなになってるの。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、耐え抜きました。
石垣港に入港。
釣り人さんは 「すいませんでした」 と蚊の鳴くような声を残し消えていきました。
※ちなみにこの時乗船した、第78あんえい号ですが、2008年1月16日に悪天候の中
波照間港から出航し、乗客3人が腰椎圧迫骨折等の重傷を負うという事故がありました。
詳しい背景はこちらを参考にしてください こちらは海難審判庁の資料です
疲れ具合MAXで石垣島のホテルに帰った記憶があります。
上記の様子だった為、帰りの船の中の写真はありません。
そういえば、帰りの高速船は地獄絵図だったわ~と記憶を思い出しながら記事にしました。
同行者は誰なんだ?とか詮索しちゃだめです。大人の事情があるんです
ホルマリンさんのブログを拝見し、飛行機でも行けるようになったようなので
いつかまた行ってみたいなという思いが湧き出てきました。
それにしても、懐かしい思い出です。
ほんのちょっと続きます。
いやー、船が小さく大変な思いをされましたね(^^;
現在は1日3便の定期便のうち、真ん中の便だけが小型船であとは大きめの高速船でした。揺れが怖くて大きい方に乗りましたがそれでも結構揺れましたね(ネタバレ)。
それにしても、この時代に一発で島に渡れたのは運が良かったですね!
島の様子もだいぶ変わっていました。私のブログ波照間編は気長にお待ちください(^^;
事故以来、出航基準が変わったみたいで、ちょっとでも波が高いと欠航しちゃうみたいですね。イケイケでしたね、当時の安栄さんは(笑)
結構、島外から来た人たちがお店や民宿を始めたり変わってきてるみたいですね。自転車を借りた、みのる荘もやめちゃったみたいで…。
あと、デジカメのバッテリーを気にしてあまり写真を撮れなかった記憶を思い出しました…何事も準備は大事ですね。
と、時の流れを感じました。ホルマリンさんの記事を楽しみにしています。見比べてみたいと思います。