ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

学生最後の投稿(重大発表あり)

2016-03-31 08:45:43 | どーでもいい日常
みなさんこんにちは。
「増毛の旅」がまだ完結していないのですが、ここでお伝えしたい事がございます。

3週間ほどブログを休止いたします。

申し訳ありません!!



理由は、
しばらく東京で研修があるため
(あと1時間で出発します。あちらでは寮生活です)


どうせなら旅行記をきっちり終わらせてから出発したかったのですが、ここ最近はあまり時間が取れず…。
更新を楽しみにされていた方、本当に申し訳ありません。
少し遅くなってしまうのですが、かならず完結させますのでしばらくお待ちいただけますよう…。


ひとつお伝えしておきたいのが、決してブログを辞めるわけではないという事です。


突然の報告となってしまった事をお詫びします。
休止期間中はコメントのお返事が出来ない可能性がありますので、ご了承ください…。m(__)m
では、行ってきます。
コメント (6)
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その3

2016-03-29 18:59:25 | 北海道内の旅行・風景




増毛の中心部へと散策を続ける。
住宅に混じって所々に見られる石造りの倉庫には、それぞれ増毛の地名をモチーフにした飾りが見受けられる。心なしか、どの飾りにも地元に対する大きな誇りが感じられる。





広い通りを歩いていくと、スーパーや各商店が立ち並ぶ中心部へと出た。
石狩から留萌方面へと抜ける幹線道路にも面しているので人通りもそれなりに多く、先ほどのレトロな駅前通りとは全く違った印象を受ける。
増毛の住民にとっては、まさにここが生活の拠点であろう。


広い通りに面して、「おみやげ」の文字が掲げられた雑貨屋さんがあったので入ってみる。
店内は女性化粧品やファッション雑貨、少し古めのおもちゃが大量に売られており、そして真ん中の棚には「ようこそ増毛町へ」と書かれた棚が。
並べられたみやげ物は、どれも十数年前から置かれたままと思しき年代物ばかり。周辺の海岸で取れたものなのか、貝殻やサンゴをあしらった港町らしい置物が多い。

ふと、棚の奥に置かれていた貝の置物が目に留まり、気に入ったので購入することにした。
棚に置かれてから何年経っていたのだろう、店員のおばさんに声をかけると少し驚いたような感じで、すっかり黄ばんだ箱を包んで僕に渡してくれた。
せっかくなので「店内の写真を撮っていいですか?」と聞くと、おばさんは目を大きくして、少し照れたような顔をして「いいですよ」と微笑んだ。




通りのはずれに位置するのは「國稀酒造」の酒蔵で、大正7年に建てられたもの。初代・本間泰造が創業した北海道で一番古い造り酒屋であるとともに、日本最北の酒蔵である。定番商品は「吟醸 雪のかおり」「純米 吟醸國稀」「暑寒おろし」などの辛口のもので、現在も蔵で造られた製品をじかに販売しているため、増毛の人気観光名所にもなっている。



駅前に戻り、観光案内所となっている旧・多田商店(昭和8年建築)に立ち寄ることにした。
「風待食堂」なんて良い名前だなと思ったら、どうやら昭和56(1981)年公開の映画『駅 STATION』のロケで使用されたセットをそのまま残しているらしい。


入り口には看板が掛けられているので入れないのか…?と思いきや、扉に鍵は掛けられていなかった。
奥の方からテレビの音が聞こえているが、営業中なのか休業日なのかよくわからない状態。勝手に入っちゃうぞ。
(後に調べたところによると、5月~9月の営業だったようです…。申し訳ありませんでした)


古い家電や自転車が雑多に置かれたなか、壁に『駅 STATION』の写真が展示されていた。
脚本:倉本聰、主演:高倉健という北海道映画にふさわしい最強タッグによる作品であるが、この場所は「すず子」という登場人物が働く食堂として使用された。撮影期間中、本来の「多田商店」(生活雑貨店)は営業を休止していたという。




その他、壁にはこんなポスターもあった。三菱車のプロモーション用の広告だったと思われる。
まだ50代と思しき高倉健、ギャランΣ、そして建て替え前の立派な増毛駅舎……。あまりにも渋い。



駅前のすぐ近くにある増毛港。
軽く散策していると、増毛駅に列車が入って行くのが見えた。
現在の時刻は午後3時、帰りの列車まであと40分ほどである。あの折り返しの列車に乗らなければいけない。

最後にぜひ見ておきたい場所があるので、これから急ぎ足で向かう事にする。
高台へしばらく上った所に、道内最大にして最古の木造校舎である「旧・増毛小学校」の建物が残っているというのだ。これを見なくては増毛町の過去の隆盛は感じられまい。


「旅館・富田屋」前の小さな通りを上っていく。
左手に駅の構内を見下ろす事ができ、先ほどやってきた1両編成の車両から人が出入りしているのが見える。
発車時刻に間に合うように、早く向かわなくては。



来た道を振り返ってみると、いかにも小さな港町らしい風景が広がっていた。
今にも高倉健が坂を上ってきそうだ。

旧・増毛小学校からも海が見えるのだろうか。楽しみだ。


次回、最終回。木造校舎の記憶。
続く。
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その2

2016-03-24 18:17:44 | 北海道内の旅行・風景
1月18日、午後1時。
定刻より15分ほど遅れつつも、1両編成の列車は終点の「増毛」駅に到着した。


ご覧のように、線路はここで完全に途切れる事となる。いかにも「終着駅」といった味わい深い風景だが、これを見られるのも来年3月のダイヤ改正までとなりそうだ。
列車が到着した駅構内は、しばし記念撮影の人々で振るわう。皆さん15分後に折り返す深川行きですぐ戻ってしまうのか、限られた時間で忙しく動き回っている印象を受ける。


案の定、ホームで撮影していた人々は次第に列車の中に戻っていき、列車の発車時刻に構内に残るのは僕と数人の観光客のみとなった。静寂が訪れたホームで折り返しの列車を静かに見守る。
やはり多くの乗客は「留萌本線乗車」が一番の目的だったようである。




さて、ようやく辿り着いた増毛駅の駅舎。それほど古そうには見えないが、それでも終着駅にふさわしい素朴なたたずまいだ。
小さな待合室には増毛周辺の風景写真が飾られており、壁や床には港町らしくガラス製の浮き玉がたくさん。新しそうな蕎麦屋が併設していたが、お客さんはおらず若い店員さんが暇そうにしていた。




駅舎の見物もそこそこに、静かな駅前広場へと出てみる。
すると、そこに佇んでいた建物に思わず息を呑んでしまった。




……これは凄い。昭和8(1933)年に建てられたという高級旅館「旅館 富田屋」の建物だ。
残念ながら20年以上も前に閉館し、現在は中に立ち入る事は出来ないという。
色がくすんで年季の入ったガラス戸、そして建物自体のどっしりとした重厚感のあるたたずまいが、もはや遠い過去のものとなってしまった増毛町の繁栄を静かに証明する。
折り返しの列車ですぐに引き返さなくて本当によかったと心から思った。

増毛町におけるニシン漁のピークは昭和21(1946)年の50,748トンであったという。
大正初期から「道内有数のニシン漁場」として注目を集めていた増毛町には、ニシンが訪れる春先ともなると道内外から出稼ぎ労働者や行商人などが集結し、道内有数の港町として大いに賑わった。
昭和初期まで、増毛を含む道内の日本海沿岸地域ではビックリするぐらいに、笑ってしまうほどニシンが獲れた。

かつて、羽幌の辺りでニシン漁の網元(漁師の雇い人)をやっていたという父の曽祖父の話を聞いた事がある。
当時は余剰に水揚げされるニシンの如く「腐るほど」金が舞い込んで来たらしく、父の曽祖父は札束を押し入れに放り込んでいたらしい。押し入れの中は札束まみれ。
冗談みたいな話だが、当時の道北地方はそれほどニシンの恩恵を受けていたのである。

昭和30年の1481トンを最後に、日本海沿岸へのニシンの群来は突然止んでしまう。
乱獲が原因とも言われているが、詳しくはよく分かっていない。

全盛期は2万人近くが住んでいた(※昭和31年)という増毛町であるが、ニシンが消えてからは町は衰退するばかりである。
平成28年2月現在、増毛町の人口は4700人ほどで、現在も減り続けているという。





さて、駅前からは小さな通りが伸びており、大正~昭和期の年季の入った建物がいくつも連なっている。
昭和7年の建物だという「旅館 増毛館」、かつて歯科医院であった「海栄館」などはいずれも個人所有であるが、いずれもニシン漁による繁栄を偲ぶ建物として重要視されている。
その他、「増毛駅前観光案内所」として活用されている「多田商店(昭和8年建築)」が目を引くが、こちらは後ほど紹介する。








こちらの建物は、国の重要文化財にも指定されている「旧商家丸一本間家」である。
かつて増毛町で呉服商、ニシン漁の網元、海運業、酒造業などあらゆる事業を展開していた本間家(屋号:丸一本間、初代:本間泰蔵)の旧宅および各店舗で、明治35年建築の石造りの蔵がほぼそのまま残っている。
こちらも増毛の過去を偲ぶ貴重な遺産だ。



丸一本間家の角を曲がると、閑散とした道の向こう側に海が見えた。
寒々しい真冬の曇り空の下、まるで町全体が冬籠りしているかのような雰囲気が漂う。



黒ずんだ日本海の向こう側に、苫前、羽幌、稚内へと続く沿岸地域を望む事が出来た。
2年前、あの海岸線沿いを自転車で延々走った事を考えるとゾッとしてしまう。

沿岸にニシンが押し寄せると、海面は瞬く間に乳白色に変化したという。これはニシンの群れが一斉に産卵を行うために起こる現象であり、沿岸の人々はこれを「群来(くき)」と呼んでいた。

続く。
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増毛を歩く ~留萌本線終着駅の旅~ その1

2016-03-18 04:42:29 | 北海道内の旅行・風景


2016年1月中旬、僕は再び旅に出た。
目的は、留萌本線に乗って終点の「増毛(ましけ)」駅まで行くこと。

昨年夏、留萌~増毛間(16.7キロ)の2016年度中の廃止が正式に発表され、留萌本線自体の将来もそう長くはないという噂を耳にするようになった。
新幹線開業の裏で厳しい現実を伝える記事を読むうち、北国ならではの旅情が漂う留萌本線と、以前から訪問したかった増毛の町を見てみたくなった。

真冬の鉄道旅・最終章の舞台は、昭和期のニシン漁繁栄の歴史が残る、日本海沿岸の小さな港町だ。



1月18日、月曜日。
函館の旅から一旦帰宅し、週末を挟んで再び朝の札幌駅にやってきた。
まずは留萌本線の起点である深川駅を目指すため、9時41分発の特急「オホーツク」3号に乗車する。


指定席券を握りしめて7番ホームへと上ると、少しレトロな鋼鉄製の車両が既に入線していた。
国鉄時代から活躍する「オホーツク」の車両、個人的にJR北海道内の車両では最も好きなデザインで、一度乗車したいと思っていた。
しかも先頭車両は「白ボウズ」の愛称で鉄道ファンに親しまれている希少な車両である。これは幸先が良い。
深川駅までの1時間弱、短い間ではあるが旅を楽しませてもらおう。


特急「オホーツク」は札幌~網走間を5時間半かけて結ぶという中々タフな列車であるが、この日の乗客はそれほど多くはなく、空席が目立っていた。
落ち着いた色合いの内装はこれまたレトロ。車両が重たいためか主力選手の特急車両と比べると加速が鈍く、エンジン音を唸らせながら一生懸命にスピードを上げている感じが愛おしくもある。
車掌さんが国鉄末期から従事しているかのような風格ある年配の方であったのが、これまた嬉しい限りである。



心地の良い速さで流れてゆく車窓の風景を眺めていると、雪原の向こうに美しい山々が見えてきた。
あれはピンネシリだろうか。


10時54分、定刻通りで深川駅へと到着。
名残惜しくはあるが列車を降りる。

かつては名寄とを結んでいた「深名線」の起点でもあった深川駅であるが、平成の頭に路線が廃止され、現在は札幌~旭川に存在する中継駅のひとつでしかない印象を受ける。
そんな深川駅から、全長66.8キロの留萌本線は延びている。


すぐ向かいのホームに、11時8分発の増毛行き普通列車がポツンと停車していた。
予想に反して2両編成で、しかもその2両目は立ち入りが禁止されている。
車庫への回送車両だろうか、留萌方面に車庫なんてあるのだろうか、などと疑問を感じつつも乗りこんだ。


遅れている特急列車の接続待ちで15分ほど待たされ、ようやく出発する。
留萌~増毛間の廃止報道がされて以来、各地から鉄道好きが訪問するようになったために留萌本線の利用客は増えているという。
この日もそれなりに乗客の姿があったが、乗車目的、撮影目的のお客さんが半分以上である印象を受けた。
地元住民の利用はやはり少ないのであろうか。


駅を出て函館本線から遠ざかると、列車はしばらく広大な農村地帯を走る。前方を望むと雪原に真っ直ぐな線路が続き、なんとも気持ちの良い光景だ。
そんな中に「北一已(きたいちやん)」「秩父別(ちっぷべつ)」「北秩父別(きたちっぷべつ)」などの秘境駅ファンに人気の駅たちが続く。秘境駅だけあって、いずれの駅も利用客は居ない。

1972(昭和47)年まで札沼線が繋がっていたという「石狩沼田」駅では地元住民らしきおじいさんが一人乗車したが、隣の「真布(まっぷ)」駅ですぐ下車してしまった。
その後はNHK連続テレビ小説『すずらん』のロケで使用された「恵比島」駅、有人駅時代の立派な駅舎が残る「峠下」駅など個性的な駅が続くが、やはり乗下車客は一人も居ない。


12時15分、路線内で最も大きな駅である「留萌」駅に到着した。
15分の停車時間があり、その間で後ろの回送車両を切り離す作業が行われるのだが、ここで時刻表を見てようやく納得した。
こちらの回送列車は、このあと運行される留萌発・深川行き普通列車の車両だったのだ。
起点の駅までカラの車両を運んでいたというわけだ。



2年前に札幌からママチャリでやってきた事のある留萌駅。列車だとまた違った到達感がある。
跨線橋から駅構内を眺めると、小さなワンマン列車の停車駅には不釣り合いなほどの広大な駅構内が広がっているのが分かるが、これは国鉄時代に巨大ターミナルであった名残である。

現在でこそ盲腸路線の中間駅である留萌駅だが、かつては日本海側を北上し、宗谷本線へと繋がる「羽幌線」(141.1キロ)の起点として栄えていた。
駅には羽幌からの石炭を積んだ長大な貨物列車がひっきりなしに停車し、加えて増毛からのニシン輸送の列車も多くあったことから、昭和期の留萌駅がどれほど重要な拠点であったかがお分かりいただけるだろう。
当時の留萌本線は、北海道の経済を支える幹線のひとつともいえる路線であった。

1987(昭和62年)の国鉄民営化に伴い羽幌線は廃止され、留萌本線は完全なる盲腸線となる。
現在は1日10数本のワンマン列車が運行されるだけの細々とした路線へと成り下がり、「本線」とは名ばかりとなってしまった。



しばらくして留萌駅を発車すると、列車はすぐに日本海へと出る。
海岸線に沿って続く線路からは、寒々しい真冬の海と、古びた海沿いの住宅がポツリポツリと見えるだけだ。
1月の日本海には色が無い。



「瀬越(せごし)」「礼受(れうけ)」「信砂(のぶしゃ)」「舎熊(しゃぐま)」といった独特な名前の駅が短間隔で続くこの区間こそが、2016年度の廃止が決定している区間である。
この辺の利用者は1日で数人にも満たないというのが現状で、それに加えて海岸段丘に沿って敷かれたこの区間では雪崩や土砂崩れの被害が多い。数年前にも土砂が線路上に流出したために運行が休止となった時期があった。維持費などの問題を受けての廃止決定だったようである。
これらの個性的な駅名がもうすぐ消えてしまう事を考えると、残念なものである。
(注:2016年3月現在、留萌~増毛区間は気温上昇による雪崩が危惧されているため、終日運行見合わせが続いており、再開時期は未定とのこと。)


礼受駅は北海道内ではおなじみの「貨車駅」であった。潮風を受けているせいなのか傷みが目立つが、数日前に宗谷本線の「安牛」駅を利用した身なので、もはや驚きもしない。
意外な事に、この駅ではおじさんがひとり下車した。服装では地元の人かどうかは判別できなかったが、乗客の視線が一斉に注がれていた。


「朱紋別(しゅもんべつ)」「箸別(はしべつ)」と小さな駅が続き、列車は10数人の乗客を乗せて、いよいよ終点の「増毛」駅へと辿り着いた。

続く。
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新幹線開業前の函館を旅する その7(最終回)

2016-03-15 14:16:08 | 北海道内の旅行・風景
1月14日 正午。

「摩周丸」をじっくり見学しているうちに、時間は昼をまわっていました。
本日は夕方の特急列車で札幌に戻る予定ですので、それまで少し函館をぶらぶらしたいと思います(^_^)。


・金森赤レンガ倉庫群

…やはり「函館の観光スポット」といえばココですよね♪
過去に一度来たことがあるますが、改めてもう一度散策してみましょうか。


といっても、連なる倉庫の中はお土産屋さん、アンティークショップ、ファッション雑貨の店など意外と平凡(^_^;)。一人で歩いてもねぇ…。
そのかわり、通路の一角には面白い形のポストが♪「ユメール」というらしい…妖精さん?

「にっぽんCHACHACHAショップ」のイカオブジェ。

細工物などに使われる籐(とう)で編まれたオブジェらしい!スゴイ!!

再び街へ。

やはり歴史のある街・函館だけあって、街中を歩いていると到る所に重厚な歴史的建造物が。
企業のオフィスビル(確か)もこんな感じ。

旧・ホテルニューハコダテ

残念ながら現在は閉館状態らしいのですが、こちらは元々旧安田銀行函館支店として昭和7年に建てられたものらしいです。函館市景観指定建築物の一つだそうです。


…前を行く観光客の方がマンホールを撮っていたのでよく見てみると、何とイカがデザインされているではないですか!!函館って、なんかこう到る所にネタが散りばめられていて面白い街だと思います。

函館市地域交流まちづくりセンター

こちらも雰囲気満点の外観ですが、1923(大正12)年に建てられた旧・丸井今井百貨店の建物なのだそう。
内部には「東北以北最古のエレベーター」も残っており、見学も可能です(*^_^*)。
こちらは内部の写真をたくさん撮影してきたので、後日に別記事として更新します。お楽しみに。


まちづくりセンター内にあった「イカールロボ」の写真。
五稜郭タワートランスフォームですね、これは(^_^;)。イカール星人のキャラってどれも可愛いよね。

日本最古のコンクリート電柱

あの「ラッキーピエロ」の近くにあります。
街中にこういう物件がさりげなく存在しているのが素敵ですよね(*^_^*)。
こちらも後日、別記事として更新します。

北海道新幹線「はやぶさ」カラーの市電が!!

きちんと側面に紫のラインが入っていて、窓もフィルムで塞がれて小さなものになっていました(笑)。
この他、写真は撮れませんでしたが街中のタクシー(プリウス)にも同様のカラーが施されたものが走っていました!

駅前の百貨店から眺めた函館駅



駅の2階にある多目的ホールの名前は「イカすホール」。素晴らしすぎるネーミングセンス(笑)。新幹線開業に向けた改装工事の真っ最中でした。

駅前にあった激レアのイカ型ポスト。

これはブログ友達のぱるるんさんが以前教えてくれていたものですね♪
容量はあまり無さそう…(^_^;)


最後に…。
新幹線の開業により、3月26日のダイヤ改正で廃止されてしまう特急電車を撮影してきたので、ご紹介。この2つの列車を見られるのは今だけ!!

特急「スーパー白鳥」

青函トンネルを通り函館~青森を結ぶ定期列車として2002年に登場。中学の修学旅行で一度だけ乗車した記憶があります。
その時は旧型車両の「白鳥」に乗りたかったので「コイツか…」とガッカリした記憶が(^_^;)笑
ダイヤ改正後は、車両は札幌圏の「スーパーカムイ」に使用されるとか。

特急「白鳥」

こちらも2002年に登場した定期運行列車ですが、車両は国鉄時代につくられた「485系」を大幅リニューアルしたものを使用しているため、車齢は中々のものだと思われます。
故に、ダイヤ改正後は車両ごと消滅するというお話です。


午後4時30分。

せっかく函館に来たので、函館朝市で海鮮丼を食べてから帰ろうと思っていたのですが、「どんぶり横町」内の店は営業終了のお店ばかり…。(;O;)どのお店も昼食メインでやっているんですね…。
開いているお店もわずかにありましたが、いずれも営業終了ギリギリなので迷惑をかけてしまいそう…。

残念ですが、海鮮丼は諦める事に…。くそう。
駅で弁当を買い込んで帰りの特急列車に乗り込みました。

17時16分発 特急スーパー北斗13号

こちらの列車はダイヤ改正後も元気に活躍予定。
新幹線の新函館北斗駅にも停車する事になるので、むしろ4月以降は活躍の場がより増える事となりそうですね。


新幹線開業を目前に控え、道内外の期待が集まる函館周辺エリア。
今回は駆け足での函館観光しか出来ませんでしたが、わずか1日ながらも「生まれるもの」と「消えるもの」、新旧それぞれの光と影を見て聞いて、行ったり来たりしたので、まるで過去と未来を飛び越えて観光したかのような満足感がありました…(*^_^*)。

「新幹線開業前の函館を旅する」
完。


2016年 冬の鉄道旅
最終章へ続く。
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