ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

青森ミステリー見聞録 その5

2020-12-06 08:03:42 | 旅行(道外)2020~
10月18日(日)(2日目)

午前6時半ごろ起床。
テレビを点けるや否や「北海道苫小牧市でアパートの通路崩落」のテロップが。
全国ニュースである。何というタイミングだろうか。
旅行中ぐらいはあの街のことは忘れさせてほしい。


本日最初の目的地は、すぐ隣のつがる市である。
五所川原の市街地を抜け、片側1車線の国道101号線を走ること約15分。
目印のファミリーマートを見つけて左折し「木造(きづくり)」の町へ入る。


少し古めの住宅や商店などが立ち並ぶ、何の変哲もない住宅地である。
……しかし、駅前通りへ出てみると異様な物体が目に飛び込んでくる。





・JR五能線木造駅(青森県つがる市木造房松)


誰もが一度は目にしたことがあるでろう、あの遮光器土偶の巨大オブジェが駅舎中央に張り付けられている。その高さ17メートル
閑散とした駅前の風景には不釣り合いなほどの存在感があり、壮観だ。
実はフィギュアを部屋に飾っているほど遮光器土偶が好きな私。ずっと来たかった場所を訪問出来て感無量である。
細部までよく作り込まれたディテールにしばし見入ってしまう。


駅舎は1992年に建設。モチーフとなった遮光器土偶(縄文時代晩期ごろ)はここつがる市の亀ヶ岡遺跡から1887年に出土したもので、国の重要文化財に指定。地元では「しゃこちゃん」の愛称で親しまれているのだそうだ。

そんな「しゃこちゃん」および亀ヶ岡遺跡をアピールしようと、この奇抜な駅舎が建てられたというわけだ。
なお、列車接近時にはスリット状になった目が光るというギミックがあったそうだが、現在は子供が怖がるからという理由で停止しているらしい(未確認)。


右足付近が駅舎の入り口になっており、内部は有人のきっぷ売り場と待合室になっている。
駅の訪問記念のスタンプが4種類あって充実しているのが嬉しい限りだ(もれなく土偶付き)。
観光案内所も併設されているようだが、残念ながらまだ時間が早いので開いていなかった。


駅構内の至る所に「しゃこちゃん」がいるので面白い。
誇らしげに掲げられた金色のプレートによると「東北の駅百選」にも選ばれた駅らしい。
……ちなみに遮光器土偶、不思議な眼鏡を掛けたその見た目から宇宙人説も唱えられているが、実際は目の誇大表現なのではないかとのこと。



構内の写真を撮っていると、ちょうどよく五所川原方面に向かう普通列車が到着した。
古びた気動車に、待合室にいた数人の地元利用者が乗り込んでゆく。
この風景だけを見ると、北のはずれの風情あるローカル駅といった趣だ。


さて、駅の隣には縄文テイストな公園もある。
右側の竪穴式住居ふうの立派な建物はなんと公衆トイレ。左側の小さな建物は物置かと思いきや、石造りのベンチが置かれた休憩スペースだった。


(左)「木造ふれあいプラザ」と書かれた、こちらも竪穴式住居風の建物。公民館的な施設だろうか?
(右)駅前通りでひときわ目立つ年季の入った建物。歯科医院のようだが、現在も経営されているのだろうか?




駅周辺を散策してみると、やはり至る所に「シャコちゃん」。町内の掲示板やマンホールにまで。
ちなみに、土偶が出土した亀ヶ岡遺跡は「シャコちゃん広場」の愛称が付けられている。
肝心の土偶本体はというと、東京の国立博物館に収蔵されており、市内には縄文住居展示資料館「カルコ」があるが、展示の土偶は残念ながらレプリカ。
駅からは少し距離もあるので、申し訳ないが今回の訪問はパスだ。



続く。
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青森ミステリー見聞録 その4

2020-11-23 23:17:04 | 旅行(道外)2020~

エジプトのピラミッドよりも古いとされる「大石神ピラミッド」を散策する。
順路を示す案内看板を頼りに獣道となった斜面を登って行くと、すぐに「太陽石」が現れた。
その昔は光っており、反射した太陽を礼拝するための石であったというから重要なものだったのだろう。
……残念ながら現在は苔むし、ただの岩にしか見えないが。


ぐるりと回り込むと、西方1メートルあまりで、割れ目が正しく東西を示しているという「方位石」が。
確かに人工的な割れ目のようなものが見受けられる(スマホのGPSで確認しておけばよかった)。


高低差のある順路を下ると「星座石」とされる大きな岩。
これに「めぼしい星座を記録しておいた」らしい。脇には小さな祠のようなものもあった。




どうもいくつかの岩が合体している(積み上げられている?)ようで、人が通れるように垂直に切り出されたような雰囲気もある。
岩と岩の間を進んでみると、終点には小さな洞窟のような空間が……。何かの儀式に使われていた?
崩れたら嫌なので、上半身だけねじ込んで撮影し撤収。


急斜面の下には、ひときわ大きな「鏡石」。
下方四囲12メートルの巨石で、かつては直立し表面に文字が彫刻されてあったが、残念ながら安政4年7月23日の大地震で倒れ、埋没したとされている(残念!)。
確かに言われてみると倒れたあとのような気もしなくも無い。


以上で大石神ピラミッドの散策は終了だ。
いまいちパッとしないが、要点となる石はすべて簡単に巡ることが出来るので、興味のある方はぜひ。


午前11時。


国道454号線に戻り、十和田湖方面へ車を走らせる。
次なる目的地はつがる市。ひとまず弘前市あたりを目指して山道を抜けることにした。

道中、一瞬であるが秋田県に突入。
2016年に購入したこのスズキエリオであるが、実は元々秋田県で乗られていた個体であった。
図らずも車にとっては里帰りになった訳だが、まさか北海道に送られて4年半後、再び故郷を走るとは車も想像していなかっただろう。

記念に秋田県の看板と記念撮影を…と思いながら進むうちにまた青森県に戻ってしまい、十和田湖畔へ。
奥入瀬渓流方面か「乙女の像」方面かの分かれ道に出たが、中学の修学旅行で訪れた「乙女の像」へ立ち寄りたく、時計回りで湖畔をぐるりと回るルートを選択した。


午後0時15分、「乙女の像」の案内看板に導かれ、湖畔の観光エリアへ到着。
駐車場に車を停めると、当たり前だが周囲の車が東北ナンバーばかりで嬉しくなる。

味のある土産物店を巡りながら散策路を数分歩き、ついに乙女の像へ。実に約13年ぶりである。
当時はとても天気がよく、友人とはしゃぎながらだったのでとても楽しかった記憶があるが、今日はドンヨリ曇り空で自分ひとり。
残念ながら「あれ……こんなもんか」といった感想。


せっかくなので、良い雰囲気の売店で「みそ付きたんぽ(200円)」を頂く。
ようやく真っ当な旅をしている気分になってきた。


午後1時、そのまま湖に沿って進み、道は再び秋田県へ。
青森県に戻ったころには急な上り坂と、時には1.8車線ほどの狭い道。まだまだ山道が途切れる気配はない。
「あらぁ、こんな道を走る覚悟はしていなかったなぁ~」と、ハンドルを握る手に多少力が入る。
2018年、レンタカーで四国の山道を走った時が思い出された。


午後2時半を過ぎる頃には山を下り、黒石市へ突入した。
そのまま弘前市へ向けて車を走らせる。


高くそびえる山は八甲田山であろうか?

3時頃に弘前市へ無事に入るが、ここでトラップが。
本来、弘前市に滞在する予定は無かったのだが、ツイッターのフォロワーさんから「やばいリサイクルショップがある」との情報を頂き、軽い気持ちで覗いたのが最後。
まぁとんでもないほどの絶版トミカ、プラモデルなどお宝のオンパレード。
これで完全に火がつき、市内のお宝系リサイクル店巡りに没頭してしまい、気づけば日没……。
いつのまに財布から5000円以上消えているし……。

いくら荷物が増えても、旅の工程には全く影響ないのが自動車旅の利点である。
いやぁ、大収穫であった。



そのまま弘前市に泊まろうかとも考えたのだが、なるべくつがる市に近づいておこうと決め、市を後にすることに。
こちらも同じフォロワーさんから頂いた「カブセンター(青森ローカルのスーパー)の弁当が美味しいよ!」との情報により、道中見つけた店舗で和風弁当を購入。ぶ厚い厚焼き卵が絶品であった。

その後、リンゴ農園などを横目に住宅街をひたすら進み、五所川原市に着いたところで宿泊を決める。
当てにしていたスーパー銭湯の夜間プランが新型コロナで休止中。
多少焦ったが、すぐ近くのビジネスホテルに幸い空きがありホッと一安心である。
出費は痛いが、まぁ仕方ない。こんな季節に車中泊なんて出来たもんじゃないからね。


1日目、完。


次回、2日目スタート!
巨大土偶、三途の川、超強烈旅館with座敷わらし!

続く。
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青森ミステリー見聞録 その3

2020-11-21 22:12:19 | 旅行(道外)2020~

キリストは弟イスキリを身代わりに処刑を逃れ、ここ新郷村で106歳の天寿を全うしたという衝撃伝説。
伝承館の奥には、その裏付けともいえるいくつかの言い伝えが解説されていた。

まずはこの村をはじめ、青森県南部~岩手県北部の旧南部藩領内に古くから伝わる
ナニャドヤラ」という謎の盆踊り唄。村の入り口の看板にも書かれていたアレである。

他の地域では笛や太鼓などの音が付け加えられ、リズムがアップテンポなのに対し、
新郷村の唄は「ナニャドヤラ~ ナニャドナサレド ナニャドヤラ~」という意味不明な言葉
ただ単調に繰り返すのみ。

神学博士の川守田英二氏は、これは古代ユダヤの軍歌で、ヘブライ語で神を讃える意味であると分析。
「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を掃蕩し~」といった感じである。
旋律もユダヤで古くから歌われてきたそれにそっくりだという。

6月の第一日曜日には「キリスト祭」という村の伝統行事が行われ、
「ナニャドヤラ」は祭のクライマックスに墓の周囲を回りながら披露される。


次に「キリストの子孫」と言われる沢口家である。
キリストはこの村で「十来太郎大天空」と名乗り、二十歳の女性との間に3人の娘を持ったと言われている。その長女が嫁いだとされるのが沢口家。
代々キリストの墓を守っており、その先祖の風貌は「眼は青く、目鼻立ちが日本人離れしていた」という。

考古学、歴史学ジャーナリストの山根菊子氏は、現在の当主・沢口豊治氏の父・三次朗氏の印象について「絵に見るキリストの肖像の生き写しだ。頭の毛がズッと禿げ上がって居り、鼻は高く眼は大きく、
身体のガッチリした風貌はあまりによく似ている」と記載している(『光は東方より』1937年)。

そしてその沢口家の古い戸袋には、六芒星がもとになっていると言われる星形の家紋があった。
形が多少違うのは「沢口家の家紋の桔梗が変化したから」「ダビデの紋章を打ち付けるのは恐れ多いと形を変えたから」などの説がある。
現物は現存しておらず、館内にはレプリカが展示されている。


△キリスト伝説の発端となった「竹内古文書」の複製。

そもそも、この村は元々の名前が「戸来(ヘライ)村」。
お気づきのように「ヘブライ」の発音に似ている。
方言でも、大人の男(父親)を「アヤ」「ダダ」、女性(母親)を「アパ」「アバ」と呼ぶことについて、聖書の「アダム」と「イブ」が訛ったものではないかとも言われている。

先述した子どもの額に十字を描く風習の他にも「足がしびれた時に額に十字を3回描く」「農作業の作業着がパレスチナのそれに似ている」など、挙げるといくらでもある。


キリストの遺言書」なるものも展示されていた。こちらも竹内古文書の中にあったもので、展示品は複製。
布教には努めなかったものの、日本全国を行脚し言語や風俗などを視察する傍ら、庶民救済に尽力したことなどが書かれている。
なお、当時のキリストは禿げ頭白髪で赤ら顔の鼻高、ヒダの多いオーバーを着ていたことから、人々に天狗として敬われていたという。

まさに「真実は神のみぞ知る」である。



さて、「キリストの里公園」のすぐ向かいには「キリストっぷ」なるネーミングセンス抜群の休憩処がある。
せっかくなので開店時間を待って立ち寄ってみた。


開店時間はキリストだけに「十字架ら(10時から)3時まで」(土日限定)。
ロゴをあしらったTシャツやトートバッグ、缶バッジ、そして「ナニャドヤラ」の完全版CDなどを販売している。

所々に散りばめられたユーモアに、それこそバチが当たらないのかと心配してしまったが、
スタッフのおばあちゃんによると、かれこれ開店してから10年ほど経つという。
村の高齢女性グループが運営、維持管理を行っているそうだ。


午前10時40分。


キリストの墓の見学を終え、村の次なるパワースポット「大石神ピラミッド」へ向かうことに。
案内板に従い国道を逸れ、少しばかり進むと細道への入り口が。


車1台ぶんの薄暗い坂道を恐る恐る上って行く。
数百メートルほど走ったところに、ピラミッドの入り口である赤い鳥居が見えてきた。
キリストの墓から車で10分ほどの距離である。

・大石神ピラミッド(青森県三戸郡新郷村戸来雨池)



竹内家(先述)の神代史によると、日本にはエジプトのよりも古い数万年前のピラミッドが7基あるといい、ここ大石神は昭和10年に発見された4基目。
ピラミッドの権威者・酒井勝軍によると、エジプトなどに見られる平面基礎から築き上げたものではなく、三角形の山の頂上に太陽石が置かれ、周囲に列石が配置されたもの。
十和田湖町と新郷村の境にある三角錐型の十和利山(標高990メートル)とを結ぶことで太陽礼拝所としての役割を果たしていたといわれる。


この先、配置された石を巡る散策路が整備されているようだ。
さっそく入ってみよう。

続く。
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青森ミステリー見聞録 その2

2020-11-15 00:33:58 | 旅行(道外)2020~
10月17日(土)午前7時15分。

船内に大音量でチャイムが鳴り、ドライバーは車の運転席で待機するようアナウンスされる。
客室フロアから車まで降りると、自分の車の後ろに大型のトラックがズラリと並び、
大きなアイドリング音を響かせている。
いつの間にこんなに多くのトラックが乗り込んでいたのかと驚く。

自分も運転席に座ってしばらく待っていると、少し大きめの横揺れがあり、程なくしてゲートが開く。
無事に定刻通りに八戸港に到着したようである。
着岸から下船まで思いのほか早く、誘導されるままに順番に船の外へ。
少しあっけなかったが、いよいよ自分の車で本州に上陸だ。


早朝の八戸市街地でいきなり道に迷いつつであったが、地図とにらめっこしながら目的の県道454号線に乗る。
途中で立ち寄ったコンビニの女性店員さんが「りんご娘」の王林ちゃんばりの訛りで接客してくれ、
青森にいることを実感する。
常連と思しきおじいちゃんも半分くらい何言っているのか分からなくてナイスだ。


しばらく道なりに走り、午前9時10分、最初の目的地である三戸郡新郷村に入る。
何やら怪しげな人物のシルエットと「歴史とロマンとキリストの里」の看板が至る所に現れる。


極めつけは「ピラミッド」「キリストの墓」と書かれた青看板。
何やら「ナニャドヤラ~」と呪文のようなものを唱える人の看板もある。
自分はいったいどこに来てしまったのか。

実はここ新郷村、村内になぜか「キリストの墓」と「ピラミッド」があり、
二大パワースポットを観光資源として押し出している世にも珍しき村なのである。


……でも、なぜ青森県にキリストの墓が?
疑問に思っているうちに「キリストの里公園」なる場所へと到着した。
駐車場へと車を停める。


普通の公園かと思いきや、この先にまさかの「キリストの墓」があるらしい。
全くそうとは思えない小道をさっそく進んでみることにする。


公園は小高い山にようになっているようで、ひとけの無い薄暗い小道が坂になって続いている。
数分ほど登っていくと、少し開けた空間に。

そして……。階段を数段登った先に、それは確かにあった。



・キリストの墓(青森県三戸郡新郷村大字戸来字沢口)

皇祖皇太神宮(茨城県磯原村)の菅長・竹内家に代々伝わる「竹内古文書」の記述によると、
ゴルゴダの丘で処刑されたのは実は身代わりとなった弟イスキリで、刑を逃れたキリストは
密かに日本へ渡り、ここ青森県新郷村(旧・戸来村)で106歳の長寿を全うしたという。
そもそも、キリストが日本へ初めて渡来したのは21歳の時。33歳まで修行を重ね、ユダヤへ帰ってその教えを説いて迫害にあったらしい。

一見トンデモ伝説ともいえるこの古文書が発見されたのは昭和6年。
同10年、古代史研究家らが村を訪れて調査したところ、村長の案内で本当にキリストの墓を見つけたというから驚きだ。
小さな村に突然降って湧いた「湧説(ようせつ)」とも言われているが、当時マスコミは大熱狂。
……まぁ、信じるか信じないかはあなた次第だ。


小高い丘を登った向かって右側が「十来塚」と名付けられたキリストの墓。
そして向かい合うように、左側には「十代墓」として弟イスキリの墓まである




二つの墓のすぐ近くに、伝説や村の歴史について展示した立派な施設「キリストの里伝承館」がある。
入場料は大人200円。さっそく入ってみよう。


小ぎれいな館内には、昔の農機具などが並べられ、普通の郷土資料館のような趣もある。
しかし「民家復元コーナー」と名付けられた一角に、不思議な展示物が……。


この地方では、藁で編んだかご「エジコ」をゆりかご代わりにして子育てしていたというが、
子どもの額には十字架が……。
なんでも、生まれて間もない子を初めて外に出すとき、厄除けなどを願い墨で十字架を描くという風習が
古くから言い伝えられてきたというのだ。
……ううむ。

続く。
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青森ミステリー見聞録 その1

2020-11-04 21:19:48 | 旅行(道外)2020~
札幌から苫小牧に引っ越して来てから、はや2年が経過した。
2019年4月、当時の自分のブログには苫小牧での生活について「毎日が充実している」と書いている。

あのまま順調に進めば良かったのだが、中々どうして、人生そう上手くはいかないものだ。

昨年4月の「兵庫、岡山、広島珍スポットラリー」を終えてから約2週間後。
社内の別の部署への異動が急きょ言い渡された。

1年間で10人近くの社員が辞め続けている、それは酷い部署であった。
右も左も分からない状態のまま、それまで2人の社員が担当していた業務を私ひとりに押し付けられる状態でスタート。
もともと休みが少ない会社だというのに、休日にも鳴り響く緊急の電話。
万が一の時のために、1分1秒たりとも電話が手放せず、苫小牧市内から出られない状態。
夜中3時の電話にたたき起こされる。性格のひねくれたパワハラ上司。

何とも悲しいことに、転職前の職場よりも酷い状態が続き、またも精神的におかしくなってしまった。
心療内科に「重度うつ状態、要治療」と診断される始末。

私が1年近くブログから消えていたのは、上記の理由によるものである。


現在はだいぶん労働環境がましになり、適度にリフレッシュしながら業務を遂行出来ている状態ではある。
しかし、もう少し早く改善できたような様子であったし、過労を訴えた後の会社の対応について疑問が残る部分が多々ある。

この会社もそう長くは続けないだろう。
退職したら苫小牧を出るつもりだ。


さて、ようやく本記である。
この街を出る前に、どうしてもやっておきたいことがあった。
苫小牧港から出港するフェリーでの船旅である。

ご存知のように、苫小牧市は北海道で屈指の「海の玄関口」だ。
市内中心部から比較的近い場所に、青森、大洗、名古屋とを結ぶ「西港フェリーターミナル」、
市内東部の勇払に秋田、新潟、福井便が出る「東港フェリーターミナル」がある。

私はこれまで飛行機、自転車、車、鉄道とあらゆる手段で旅をしてきたが、船旅の経験はまだない。
仕事でターミナルへ赴く機会が何度かあり、フェリー内部に入らせてもらった事もあるのだが、
乗り物の中とは思えない広大で豪華なロビーを拝見し「一度利用してみたい」という思いを抱くようになった。

自家用車を積み込んで旅ができるというのが、また大きな魅力のひとつだ。
ドライブ好きの自分にとって、道外を愛車で走り回るのはどれほど楽しいことだろう。
こうして、2020年の新たな旅―、
愛車とフェリーで青森へ渡り、現地の摩訶可思議なスポットを巡るツアーの構想が膨らんでいった。


しかし、そんな中での新型コロナウイルス流行である。
コロナ禍に道外を旅行しようという気分にもなれず、一時は来年への延期も考えたのだが、
10月に入ってから突如3連休が取れそうな可能性が出てきた。
週休1日制がざらの弊社にとっては大変貴重なことである。今後いつ連休が取れるか分からない。

そして、約4年半を共にしてきたわが愛車のスズキエリオがそろそろ限界で、来年3月の車検でサヨナラの可能性が高い。
愛着のあるこの車と船旅が出来るのは、今が最後のチャンスかもしれない。
さらに調べてみると、どうやら件の「Go Toトラベルキャンペーン」が苫小牧~八戸のフェリーに適用されるらしいではないか。

道内で新型コロナの感染者が再拡大しつつあったが、上記の理由をつけて
連休の4日前に旅に出ることを決意した。


苫小牧~八戸間のフェリー(川崎近海汽船・シルバーフェリー)の場合、対象の旅行代理店を介して
予約を行った場合に限り「Go To」が適用される。
急いで市内の代理店に駆け込み、普通乗用車1台、2等客室のチケットをゲットした。
通常2万7000円のところ9000円割引となり、さらに苫小牧市内と青森で使える地域共通クーポン
が4000円ぶん給付され、思わずにやける。
クーポンは市内の対象店で30枚入りのマスク購入と、車のガソリン代に使用した。


2020年10月16日(金)。

出発当日である。夕方まで仕事後、運悪く会社の飲み会と重なってしまったが、
適当な理由をつけて午後9時半ごろに離脱。これから午後11時59分発のフェリーに乗船する。
10時半までに乗船手続きをしなければならないので、結構ギリギリだ。


10時ごろ、西港フェリーターミナルに到着。
乗船車両の待機スペースに車を停め、急いで建物内へ。
車のナンバーや車格を記入する慣れない乗船書に四苦八苦しながらも、何とかカウンターの乗船手続きが完了し一安心。


車へ戻り、誘導があるまで車内で待機。このご時世もあってか車はまばらだ。
ターミナルには乗船予定の川崎近海汽船「シルバーティアラ」が待機中。気分が高まる。



11時ごろ、いよいよ乗船の指示があり、バイクの後ろに続いて船内へ。
誘導員に従って数センチ程度まで詰めなければいけないのかと緊張していたが、普通の駐車場よりも間隔に余裕があり意外であった。
サイドブレーキを掛けるよう指示があり、車輪の四隅に車止めが噛ませられる。


エスカレーターで客室へと上がる。こちらは売店や談話スペースがある吹き抜けの中央スペース。
以前仕事で入った別会社の船よりはコンパクトだが、それでもホテルのロビーような清潔さがある。
この「シルバーティアラ」の客室は2階建てで、湯船のある浴室やゲームコーナーなどもある。


さっそく予約した2等客室へ。6ランクある客室の最安グレードで、1室に12人まで眠れるつくりになっている。
船旅で思い描いていた通りの「雑魚寝」スタイルだが、ロッカー完備だし、同室には他に2人しかおらず、思ったより快適そうだ。
部屋を出てすぐには、甲板を眺められるカウンター席もあり良い感じである。


午後11時59分、八戸行き「シルバーティアラ」は定刻通りにゆっくりと出港した。
せっかくなので甲板に出て、苫小牧へ別れを告げる。八戸港到着は翌17日の午前7時半。
約7時間半の船旅がついにスタートだ。

しばらく外の風景を楽しもうにも、沖へ出てしまうとただの漆黒の大海原である。
船内は出港前におおかた探検してしまったので、早々に寝ることにした。

マットレスに横になってみて気づいたのだが、船の揺れというよりもエンジンの振動が気になる。
小刻みなブルブルとした振動が全身に伝わり、なかなか落ち着かない。
しかし、時折感じる上下、左右の船体の揺れに「巨人の胸の上で寝てる感じだな…」とボンヤリ考えているうちに、いつの間にか眠りに落ちていた。



翌朝、午前5時15分ごろに目が覚める。
船内のモニターを見てみると、現在、下北半島のすぐ東を順調に南下中のようだ。八戸まで残り約50キロといったところか。
明るくなるのを待って甲板へと出てみる。


あいにくの曇天だが、ずっと眺めてみたかった大海原のど真ん中からの景色である。
風は少し強めだが、思ったよりも寒くない。
しばらく向こうに下北半島が見える。明日の夕方ごろに向かい、最終日は半島の突端、もとい本州最北端の大間から出る津軽海峡フェリー(函館行き)で北海道へと帰る予定だ。




続く。
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