ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

(兵庫県姫路市)姫路モノレール廃線跡 後編

2021-09-29 19:47:19 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
(2019年訪問)前編はこちら
兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。


展示車両の向かいには…モノレールに関する各種展示。

細長いスペースに、歴史や当時の背景などのパネルが貼られているのですが……。
実はこの場所、当時の手柄山駅ホームそのものなのです。

なんと…当時の設備が至るところに!!



駅名表や発着時刻表、吊り下げ式の時計、当時の広告などなど……。
なにしろ廃止以降ずっと閉鎖されていた空間だったので、設備も壊されることなくそのまま残っていたわけです。
マニアには嬉しすぎる展示!!




ホーム上の巨大広告。雰囲気重視で再現されたものではなく、これも当時モノだというのだからスゴイ。
ホーム自体は展示用に改装されたとは言え、往時の雰囲気が色濃く残ります。



さて、保存されている車両は2両あるのですが、うち1台は太っ腹なことに車内に立ち入ることが可能です。
車内は東京モノレール等の一般的な跨座式とは違い、段差がなくフラット。これもロッキード式のメリットの一つです。
座席は国鉄車両のようなモケット地。約40年間放置されていた割には傷みもないです。
そして吊り革がないというのと、日よけが上げ下げ式のシェードではなく一般的なカーテンなのが意外。
これは恐らく、姫路モノレールが観光用の乗り物に寄せて作られたためでは?と言われています。
(詳細は後々)

時代を感じる運転台

当たり前ですが、アナログな計器が盛りだくさんです。
旅客営業では最高速度が50キロに制限されていましたが、実際には120キロまで出すことが可能だったようです。
なお、姫路モノレールには両端に運転台がある車両「200形」と、片側にのみ運転台がある2両セットの「100形」が存在していたようですが、ここに展示されているのはいずれも200形。100形は全て解体されてしまったようです。

車内では営業当時の映像を上映。

…元気に動くモノレールの映像はかなり貴重。開業当日に手柄山駅に進入する映像などもあり、思わず見入ってしまいました。こんな雰囲気だったんですね~。
そして先ほど見てきた橋脚や軌道跡の在りし日の姿が見られますね。

かわいらしいジオラマも。

これですよ!すでに解体されてしまった中間駅「大将軍」駅。
マンションの4階部分を突き抜けた特異な姿がお分かり頂けるでしょう。
右の写真は、大将軍駅を出てここ手柄山へ向かう中間地点。先ほど見たコンビニ裏に軌道が残っている部分は、ちょうどモノレールの模型があるあたり。




立ち入ることのできない2両目には、ご覧のとおりモノレールを利用する家族がマネキンで再現されています。
館内の解説によると昭和40年代をイメージしているそう。
また、車両両端の運転席、車掌室にはそれぞれ運転士さんと車掌さんの人形も置かれ、現役時代の雰囲気を再現しています。

車両側面に付いている模様は姫路市の市章です。
米ロッキード社製という事で、車両は航空機の技術を利用しアルミ合金が用いられました。
軽量化、強度を両立させた当時最新鋭の設計であったといいます。

ホーム上にあるモノレールの各種展示。




全国のモノレールの解説や当時の計器類の実物、また現役時の写真などを見ることができます。
そして実際の車両の部品もズラリ。こちらは解体されてしまった100系車両のものになります。

加えて、モノレールのほかに、1966(昭和41)年に開催された
姫路大博覧会の展示もありました。


実は、姫路モノレールが建設されたのは、こちらの姫路大博覧会がきっかけ。
姫路駅から手柄山を結ぶ交通手段かつ会場の目玉として、市の期待を背負って開業した路線だったのです。
構想を練ったのは、前姫路市長・石見利勝氏の父、石見元秀氏。
当時の姫路市は人口が増え続け住宅が密集、また地上を走る鉄道での踏切事故が問題となっていたため、「用地が少なく立体交差が可能なモノレールを」という考えであったようです。
当時の構想は壮大なもので、なんと行く行くは鳥取まで延伸する計画まであったようです。



…しかし、博覧会が終了してからというもの、モノレールの利用者は激減
距離が1.63キロ程度であったという事、また運賃が100円と高額であった事などが災いしたのでしょう(当時の市バス運賃は10円)
15分に1回ほどという運行ダイヤもあって「歩いたほうが早いんじゃない??」と、市民はどんどん離れて行ってしまいました…。
後にモノレール反対派の新市長の誕生、またロッキード社の撤退なども追い打ちとなり、開業8年目で運行休止。
利用者を増やすてこ入れとして、一時期は姫路城まで延伸するという案も上がっていましたが、その構想もむなしく1979(昭和54)にとうとう廃止となってしまいました。


姫路大博覧会以後、いつの間にか「姫路の恥」として黒歴史扱いされてしまっていた姫路モノレール。
しかし、悲劇の路線に対する市民の関心は意外と高く、長らく放置されていた駅や車両たちが観光資源として再評価。
小奇麗な展示館に生まれ変わったこの場所には家族連れが絶え間なく訪れ、かつての車両は子どもたちの格好の遊び場に(週末なので大変にぎやかでした)。

廃止から数十年を経て、姫路モノレールは再び光が当たることとなったのです。
前市長の石見利勝氏も、父の名誉挽回といった感じで大変うれしく思っている事でしょう。

完。
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(兵庫県姫路市)姫路モノレール廃線跡 前編

2021-09-29 19:45:47 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
(2019年訪問)
兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。





兵庫県姫路市、JR姫路駅から徒歩数分。
裏通りにあるビルの中心から、コンクリートの煙突のようなものがピョッコリ飛び出ています。横に目をやると、同じような煙突が横一列に続いているのが分かります。


実はこれ、モノレールの廃線跡なのです。
1966(昭和41)年から1979(昭和54)年まで、わずか13年の間ですが姫路市内に存在していた姫路モノレールです。(※休止期間が5年あったので、実際の運行年数は8年ほど)

運行区間はここ姫路駅前から手柄山までの1.63キロ、駅数はたったの3駅。
既に廃止から40年近くが経つのですが、撤去に莫大な費用が掛かるため、このように未だ至る所に遺構が残っている状況なのです。
故に姫路市民には「幻のモノレール」として認知されているご様子。

終点の手柄山駅跡にモノレールの歴史館があるとの事なので、廃線跡探索がてら徒歩で向かってみることにします。

存在感あるT字型の橋脚

カメラでズームしてみると、車両に電力を送る電線のようなものや、ガイドレールを固定していた跡のようなものまで確認できます。
さすがにモノレールの通る軌道自体は撤去されてしまっていますが、橋脚は建物と合体しているようで撤去は難しいのか、そのまま残されている状況です。
なお、これらの遺構をキレイさっぱり撤去するには20億円ほどかかるそうです。


このように建物から独立して、フェンスや町内掲示板で囲われたものも。
何やら古代遺跡のようでもありますね。


路線は大きく南へとカーブし、手柄山方面へ向かってゆきます。
そして路地を出たところにある広い駐車場は、中間駅の「大将軍」駅が建っていた場所。
なんとマンションと合体した駅舎で、4階部分にホームがあり、軌道がそのまま建物を貫通しているという特徴的な外観だったようです。
この大将軍駅は開業後わずか2年で廃駅となり、以降路線の廃止までは単なる通過地点となっていたそう。

マンション自体はつい最近(2016年)まで残っており、駅の設備もほぼそのままの状態だったようです。
中にこそ入れませんでしたが、外観から軌道部分や4階のホーム跡を確認することができ、マニアに人気のポイントでした。
2016年の解体前には内部を特別公開する見学会が行われ、全国から応募が殺到したようです(行きたかった……)。


ここら辺は近年まで軌道跡も残っていたポイントでしたが、マンションの解体と前後してゴッソリ一掃されてしまった模様。
景観向上計画でツタに覆われた橋脚と、その色あせた説明版のみがポツンと残ります……。

路線跡がよく分かります……。



幹線道路のコンビニのすぐ裏には、ほとんど手つかずの遺構が辛うじて残っていました。
裏道でそれほど危険も無いからでしょうか。
橋脚の根元部分は個人所有の土地になっているのか、家庭菜園?のようなものが展開されていました。


…残念ながら、わずか数十メートルで軌道跡は分断。
すぐ先には新幹線と山陽本線の高架があるので「新幹線建設時に撤去されたか?」と思いましたが、開通時はモノレールはまだ現役。
1972年に、モノレールを跨ぐギリギリの高さで新幹線の高架が造られました。
近年まで、高架と近距離でクロスする軌道跡を見ることが出来たそうですが、現在は撤去されています。


新幹線と山陽本線を超えると、しばらく遺構は消えてしまいますが、少し歩くと駐車場裏に再び現れます。
会社の敷地内のようで、これ以上近づく事はできませんが…。
この上をモノレールが走っていた事を想像すると、ロマンがありますよね。

終点・手柄山駅跡を望む

軌道跡の撮影地点から振り返ると、レンガ造りの手柄山駅跡(真ん中)が見えました。
そして建物下に、ポッカリ空いた黒い穴があるのが分かるでしょうか??
実はあの穴からモノレールが出入りしていたのです!
言うまでもなく、ここからあの穴まで軌道が一直線に伸びていましたが、現在は橋脚含めすべて消滅してしまっている模様。

手柄山駅跡に到着!!

手柄山中央公園内にあるこの建物、現在は「手柄山交流ステーション」として市民に親しまれています。
内部は改修され、水族館や市民ホール、そして目指すモノレールの歴史館となっている訳です。


水族館は入場料がかかりますが、嬉しいことにモノレールの方は無料
終点駅であった手柄山駅を改装して作られており、なんとモノレールの入出場用だった穴がそのまま建物の出入り口になっています。

そして…、嬉しいことに当時の車両が展示保存されているんですね。

姫路モノレール 200形車両


開業時のものを再現したであろう「祝・開通」のヘッドマークが誇らしげです。
1966年製造ですが、意外と古さを感じさせないデザインなのでは。
なんと廃線になってから数十年間、ここ手柄山駅跡にホコリを被って眠っていたのだそうです。
駅もろとも封鎖されて長らく半放置状態だったものが、観光資源として再評価。
2009年に封印が解かれ、展示施設としてめでたく蘇ったという事なのです。

「ロッキード式」に注目

モノレールの構造は大きく「懸垂式」「跨座式」に分けられますが、このモノレールは跨座式の中でも大変珍しい「ロッキード式」を採用しています。
…あの航空機のロッキード社です。

一般的な跨座式はゴムタイヤを採用していますが、ロッキード式は軌道の上に鉄道のようなレールを敷き、鉄の車輪で走行するというもの。
米ロッキード社が考案しましたが、採用事例は日本のみで、しかもここ姫路と小田急向ヶ丘遊園の2か所のみ!!
向ヶ丘遊園のモノレールも既に廃止されているので、ロッキード式で現存している路線はありません。


展示館の外にも、実際のモノレールの台車が展示されていました。
保護カバーがなく、構造が分かりやすいですね(^_^)。
ロッキード式は乗り心地、高速性能に優れる一方、鉄車輪ゆえに騒音が激しい、登坂性能が乏しいなどのデメリットがありました。
またロッキード社もモノレール事業から早々に撤退してしまった事もあり、普及することはありませんでした。

後編へ続く。
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(兵庫県姫路市)太陽公園 後編

2021-09-28 23:40:14 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
(2019年訪問)前編はこちら
兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。


天安門広場

これまたなかなか良い雰囲気。私が太陽公園で楽しみにしていたポイントその2です(*^_^*)。
真ん中のトンネルをくぐると天安門の脇に出ることができ、そこから門の上へと登れる階段もありました。
所々傷んではいますが、建物自体はまぁよく出来ています。

広場の脇には…なぜか巨大ハニワ

…そしてこのエリアにも、至る所に作りすぎたであろう兵馬俑がたくさんいました(笑)。


ここから山の方へ向かって、ひたすら万里の長城が続いているようです。
もちろん立派な石造り、また道幅と高さは本家と同サイズで再現されており、総延長は2キロにもなるそうです!!

中国・双塔寺

太原市にある寺院を再現したものだそうで、本殿の中へ入ると大きな仏像がズラリ。
ちなみに、姫路市と太原市は姉妹都市提携を結んでいるのだそうです。

…そして、山の上の方には特徴的な2つの塔が見えます。ずいぶんと急な万里の長城を登って近づいてみます。


これも実物大なのか、傍へ行くと結構な高さです。
展望台になってるのかな~」と期待してしまいましたが、残念ながら内部はただの空洞のようで、中に入れる入口もありませんでした。
最上階からなら見晴らしも良さそうなのに勿体ないですね…(^_^;)。

その代わり、長城の先に「展望台」の案内があったので行ってみることにしました。


雨で足元が悪く、何度か滑って転びそうになりながらを登って行くと、行き止まりになった展望台へと到着しました。
…とは言っても、生い茂る木々のせいで眺めは大したことなく、周囲の山々と、少し離れた場所にそびえる白鳥城しか見えません(泣)。
天井の無い休憩スペースもビチョビチョのベンチしかなく、特に見るものも無いのですぐ引き返しました(笑)。

…特に誰とも会わず、何も見るものも無いまま長城をぐるりと歩いていくと、「磨崖仏」と書かれた案内板が。
実は先ほど双塔の場所からも遠くに見えていました。
小さな石段を登っていくと。


スゴイ\(^o^)/
なんとそこに現れたのは、10メートルはゆうに超えている、崖に彫り込まれた巨大な石仏!
どうやって作ったのでしょう…そしてその資金はどこから!?


屋外エリアを探索し終えた私は、いよいよ太陽公園のランドマーク?である白鳥城の入り口へとやってきました。
実は、今まで居た石のエリアと城エリアは微妙に離れており、いったん園内を出て道路の向かい側まで歩く事になります。
ちなみに入城料は公園の入園料に含まれています(^_^)。


きれいな建物に入ると、まずは世界各国の民族衣装がお出迎え。どうやらSNS映え必須のコスプレ体験が出来るようで、建物前の広場には撮影用の小屋がいくつか建っていました。子供や若い女の子は大喜びでしょうね。
そのほか、休憩&食事コーナーと、それなりのおみやげコーナーが併設。姫路のお土産のほか、クリアファイルやポストカードなどの太陽公園オリジナルグッズも購入可能(*^_^*)。


…さて、目指す白鳥城は山の上にあるのですが、なんと専用のモノレールがあります。運行ダイヤは20分に1回くらい。
太っ腹にも、こちらのモノレール利用料も入園料に含まれているのでさっそく乗り込みます(*^_^*)。

比較的新しそうなこの車両、なんとシートヒーター付き。片道2~3分で急斜面をゆっくり登っていきます。


山頂駅へ着くと、城のゲートまで少し歩く事になるのですが…まぁ山の上なので風が強いこと。
そして雨もさっきから強くなっているので、外観の撮影もそこそこに中へ避難~~。

白鳥城内部

…少し想像はしていましたが、普通~~の建物です(笑)。結構新しい建物なのか、全体的に小奇麗。
本家ノイシュバンシュタイン城の展示が一応ありますが量は少なめ。
順路の看板に従い、長い廊下を進んでいきます。


階段を上ると、フロア全体がトリックアートミュージアムになっていました(^_^;)。
いくつかの部屋に分かれており、普通~の会議室のような場所に数点のトリックアートを贅沢に配置…といった感じ(笑)。
階段を上ると、こちらもトリックアートミュージアムでしたが、途中から世界の名画がたくさん(コピーだけど)。
う~ん…、これぞTHE・珍スポットといった雰囲気(*^_^*)。


小さな展望室がありましたが、周囲はただただ田んぼと住宅地が広がるだけなので至って普通……。

王座の間

壁には「太陽の恵み」なる巨大な壁面画が。コスプレしてこの空間で写真撮ったらインスタ映えしそうですね~。


早足で回りつつ下の階へ降りてゆくと、身障者の描いた絵画展が行われていました。手の不自由な方々が口や足を使って描いたものだそうです。

隣の部屋には、なぜかクルミ割り人形のコレクション。

形、大きさ様々な人形が2部屋に渡って展開。これだけ集まると壮観ではありますね。
実際に触ってクルミ割りできるものもありました。



これにて太陽公園の見学は終わりです。
大雨の中、広い園内のほとんどを歩き回ったのでビチョビチョだし疲れました……(^_^;)。
でも、久々に超・純粋珍スポットを探検できた気がして非常に楽しい時間でした♪

完。
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(兵庫県姫路市)太陽公園 前編

2021-09-28 23:35:49 | 日本全国!珍スポット・魔境訪問
(2019年訪問)
兵庫、岡山、広島珍スポットラリーより記事を抜粋しております。


・太陽公園(兵庫県姫路市打越1342-6)





姫路市の住宅街に突如現れる、社会福祉法人が経営する屋外テーマパークです。
ドイツのノイシュバンシュタイン城を模したという、丘の上の白鳥城がインパクト抜群ですが、園内にはさまざまな世界遺産のレプリカが乱立しており、別名「石のテーマパーク」。
ご想像通り、私のようなマニアには有名なスポットとなっており、一度訪問してみたかった場所でした。

入場料1300円を払い、内部へ。



さすが噂に聞いていた通り……といいますか、想像以上です(笑)。
ゲートをくぐった途端から、各国の遺跡にあるような石像やオブジェがそこらじゅうに。
見た事あるやつもあれば何だかよく分からないものも(笑)。とても全部は写真撮れません(^_^;)。

そして…凱旋門が。

……かなりデカい。
実物大とまではいきませんが、見ごたえたっぷりの十分な大きさ。そして比較的最近に建てられたものなのか、かなり綺麗です。
これは…もしや今流行の「映え(ばえ)」スポットなのでは。

すぐ傍にはモアイ像もズラリ。



ボリビア「太陽の門」とその周辺の遺跡群。
門の先はずいぶん先まで階段が続いておりましたが、その先は特に何もない行き止まりでした(^_^;)。

やや適当な「マチュピチュ」と、なぜか大量の小便小僧


その先も石像群がズラリ。

世界遺産などの有名どころから、初めて見るような人型のオブジェなど、思いつく限りの石アイテムをドンドン作って展示した感じ。これはスゴイわ。
なお、福祉法人経営のため、すぐ脇には介護施設が隣接。公園内とそのまま繋がっています。
時おり会う、園内を掃除されている従業員は施設に入居されている方々のようです。


さまざまなオブジェの並ぶ通路をしばらく歩いてゆくと、大量の等身大石像の並ぶエリアへ辿り着きました。
そして、大きな倉庫が2棟くっついたような建物があり「←兵馬俑坑」の案内板。

実はここ、太陽公園で最も楽しみにしていたポイントでした。
いざ入ってみましょう!(*^_^*)


すご~~い!!!
若干薄暗い建物内にはなんと!実物大の石像が数えきれないほど並び本物の兵馬俑さながら!
ものすごい迫力です。
もう何年も前ですが、この兵馬俑の写真を雑誌で見て、ここ太陽公園に来てみたいとずっと思っていたのです(^_^;)。
本物と同じくらいの見ごたえじゃない??」と思えるほどの再現度です。



きちんと1体1体それぞれ顔が違うようです
もちろんレプリカですが、本物の石で造られたものが1000体並べられているそうです。


ここから、脇を走る一般道に沿って万里の長城のような歩道がひたすら延びているのですが……。
作りすぎちゃったのかどうか分かりませんが、ご覧の通り建物から溢れた兵馬俑がそこらじゅうに立っています(笑)。


水の張った溜め池?のような場所をぐるりと回って歩いてゆくと、巨大な外国のコインがたくさん置かれた広場が。
案内板を見てみると「石貨神殿」とあります。なんじゃそりゃ。

ズラリとならぶ小屋の中を見てみると、先住民族の方々が映った写真が沢山飾られていました。
パンフレットによると、ヤップ島の石貨をお祀りしているとの事ですが…。

端っこにはひっそりとマーライオンが。

一応、水の張った溜め池に面しているのでサマになってなくもない??笑

しっかしこの場所、ずいぶんと高低差が激しいようです。
石灯篭の並ぶ通路が、かなりの角度で斜面の上へと続いていたので登ってみました。
すると。


突然のピラミッド(笑)

中を覗くと…ツタンカーメン!!

さすが抜かりない(笑)。思わず笑ってしまいました(^_^;)。
内部は小部屋のようになっており、壁には本物のツタンカーメンの人型棺の写真などなど。


だんだんと雨が強くなってきたのですが、斜面の上に続く遊歩道を登ってみます。
すると…またもや大量の石像が見えてきました。


こりゃまた壮観!!
斜面にズラ~~~ッと並んでいたのは、これまた一体一体ポーズや顔の違う五百羅漢でした。
そしてその先には思わぬことにお寺が。

鶏足寺という少し変わった名前のこのお寺。
パンフによるとかつて播磨国にあった寺院で、1578年に秀吉によって焼打ちされ滅亡。
平成になってからここ太陽公園の敷地内に再建されたものなのだそうです。

そして本殿の横には…謎の記念碑群。

普通こういう石碑って1つか、多くても3つくらいのモノでは??こんなに乱立している光景は見たことありません(^_^;)。
掘られているのは「夢」「心洗」「●●栄誉賞」などなど……。
何やら怪しげな臭いが漂っています(笑)。

後編へ続く。
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積丹・神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021-09-27 19:03:35 | ホルマリン漬け北海道 秘境編

神威岬「念仏トンネル」探索(後編)

2021年8月30日 午前7時40分。

岩場を抜けると、明らかに人工的に削られた平らな岩礁に出ました。
ここまで旧ルートから外れていたのか消滅してしまったのか、道の痕跡はほぼ確認できませんでしたが、遊歩道であった証をようやく見つけることができ、気分が高まります。
すぐ近くの浅瀬で漁をしていた人と目が合いましたが、探検装備の私を見て納得したのかスルーしてくれたので一安心。


所々に足首程度まで海水がたまり、小さな生き物が泳いでいます。
これは長靴にして正解、バシャバシャと堂々突っ切ると、わずかに残る階段と崖が窪んだ箇所に到着。
探検開始から約30分。ついに辿り着いたか……。

念仏トンネル―。


念仏トンネルの開通は1916(大正7)年11月8日といわれていますが、掘られたのは神威岬にまつわるある悲劇がきっかけでした。
岬の突端付近に立つ神威岬灯台。現在は無人ですが、1888(明治21)年の初点灯から1960(昭和35)年に建て替えられるまでの70年あまりは、職員が居住勤務する有人灯台でした。

灯台に辿り着くには、一番近い余別と呼ばれる集落から約4キロもの険しい道を歩かなくてはなりませんでした。
岬が近づくと波打ち際を歩く断崖絶壁が続き、灯台を目指す人は海岸の石を飛び跳ねながら伝って歩いたといいます。

1912(大正元)年10月の天皇誕生日、灯台長夫人と3歳の長男、補助員夫人の3人がお祝いの食材を買うため余別に向かう途中に高波に飲まれ、そのまま行方不明になるという痛ましい事故が起きてしまいました。
村人たちは心を痛め、二度と悲劇が起こらないよう、岩場にトンネルを掘ることを決意。
1915(大正3)年から7年の歳月をかけて手掘りの隧道を完成させ、以降、灯台職員らの安全は守られたということです。


さっそくトンネル内部へ足を踏み入れます。
人がひとり通るのにちょうど良い大きさの内部は、思ったよりも状態よく残っており、難なく進めます。
…しかし、20メートルほど進むと右方向に直角に折れ曲がっており、先は真っ暗で何も見えず。

これが「念仏トンネル」と呼ばれるゆえん。
掘削作業は崖の両側から同時に進められたものの、測量ミスにより中央で大きなズレが生じてしまいました。
村人たちが犠牲者の供養の意味も込めて、双方から念仏を唱えて鐘を鳴らしたところ掘り進む方向が分かり、結果、全長60メートルの特殊なかたちのトンネルが完成したというわけです。


ライトで照らしてみると波が運んできたであろう流木や、プラスチックのごみ類などが散乱。
その向こう側も大きく折れ曲がっているのか、トンネルの長さの割に日光が全く差し込まず、なかなか不気味です。
真の暗闇であるため、念仏を唱えながら通ると安心」とも言われています。


流木類を乗り越えながら、さらに20メートルほど慎重に進んで振り返った様子です。
天井がだんだん低くなっており、足元に気を付けていたら飛び出た岩に思い切り当たりました……。
ヘルメットで良かった。



突き当たりは再び直角に、今度は左方向へ折れ曲がっています。
つまりトンネル内部はクランク状になっており、日光が入り込まないのも頷けます。
これまで念仏トンネルの構造がいまいち良く分かっていなかったので、実地調査で判明できて良かったです。


ここからは更に20メートルほど直線が続き、外部に出ることができました。
天井が低いうえに大きな石でゴロゴロしているので、最後は常に中腰で歩かなければなりませんでした。
高波の日はトンネル内部まで、それなりの浸水があると推測されます。



暗く狭いトンネルを出た先に広がる風景です。
遠くに神威岬と、直立する神威岩を望める絶景ですが風が強い!
トンネルを見下ろす崖上の遊歩道が岬へ続いているのが見えますが、海沿いを歩いて急斜面を登ってゆく旧ルートの痕跡も確認できました。
現在の遊歩道ができるまでは、ここ念仏トンネルを通るのが岬に辿り着く唯一のルートでした。



そして、トンネルを出たすぐ近くには奇岩「立岩」がそびえ立っています。
崖の上から見たときは普通の岩だったのに、横から見たらこんなに薄かったんですね。
神威岬の古い土産物には、ここの風景をプリントしたものも見られるので、かつては積丹を代表する名所だったのでしょうね。
今では危険を冒した者しか見られない幻の絶景になってしまったのが残念です。


はるか遠くの遊歩道上から確認できたトンネル出口、大きく回り道をしてようやく目の前で見ることができて達成感でいっぱいです。
開通から100年近く経つにも関わらず、その姿をしっかり留めていることに驚きましたが、つまり岩盤がそれほど頑丈であることを物語っており、手掘りの作業は難航したことが想像できます。
高波の犠牲者を二度と出させまいという、工事に携わった地元民の強い願いが伝わってきました。


神威岬「念仏トンネル」探索
完。

※旧ルートは閉鎖されており落石の危険があるため、訪問は自己責任でお願いします。
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