ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

三十路記念の旅 西と南の果てへ その4

2024-01-31 00:35:58 | 旅行(道外)2020~
2024年1月15日(2日目) ~日の入る西~



旅の高揚感でいまいち深く眠れないまま、与那国島での朝を迎えた。
本日は一日いっぱい使い、レンタサイクルでの島内観光を予定している。
最大の目的地はもちろん、西の突端「西崎(いりざき)」にある「日本最西端」の石碑である。
天気予報を確認すると午後から少しずつ雲行きが怪しくなり、夕方ごろにはひと雨降るらしい。
晴れているうちにさっさと動き出そうと、朝7時半すぎに宿を出た。

昨夜一緒に語り合ったK岡さんとN村さんも同じ計画のようだが、まだ薄暗い宿の廊下に姿は無かった。
K岡さんは泡盛「どなん」で酔いつぶれてまだ起きていない可能性が高い。
N村さんは普段から夜中の3時には起床しているそうなので、もしかしたらもう出発しているのかもしれない。


まだ朝日が昇り始めたばかりの静かな集落内を歩き、10分ほどで予約している「与那国ホンダ」へ到着した。島で数少ないレンタサイクルのサービスを行っている店である。
今回、宿泊地を祖納集落内のあの宿に決めたのは、この店が徒歩圏内だったためだ。

ちょうど開店時間の午前8時を回ったところだが、店舗の扉は開いているものの誰もいない。
店内にお邪魔させてもらい数分待っていると、ようやく軽トラがやってきて店員のおじさんが現れた。
なんとも不用心だが、島にいる人間が限られているので窃盗の心配は無いのかもしれない。これも離島ならではか。

レンタサイクルは3段変速のごく普通のママチャリで、料金は午後6時の閉店までで1日2000円。
手続きを終え自転車を受け取る時、おじさんに「テキサスゲートは押して通ってね」と言われた。
島外の人間からすると「なんのこっちゃ」だが、幸い島内の注意事項は予習していたので難なく理解した。



周囲約28キロの与那国島は島をぐるりと一周する道路が延びていて、車だと1時間ほどで走破できるらしい。
30キロ程度の距離なら大丈夫だろうと、せっかくなので今日はこのルートを使い、自転車で与那国島一周を成し遂げたいと思っている。
ただ、島のガイドブックを読むと起伏が多いとのことで、どの媒体もノーマル自転車は推奨していなかった。
どれほどの起伏なのかは分からないが、2014年にママチャリで札幌→稚内宗谷岬350キロを走破している私にはそれなりの自信があった。
天候不良など、いざという時は島の反対側・比川集落から祖納に戻ってくる南北縦断道があるので島半周でお茶を濁そう。

まずは何と言っても、天気が良いうちに「日本最西端の碑」が見たいので、集落から西へ向けて反時計回りで出発した。



昨夕に散歩していた時から抜群の存在感を放っていた、祖納集落を見下ろすテーブル状の岩山がどんどん迫ってくる。
「ティンダバナ」と呼ばれる国指定の名勝なのだそうだ。何やら神聖な雰囲気がある。
岩の中腹にある展望台には徒歩で比較的容易に登れるようなので、後で体力が残っていたら行ってみたい。


ティンダバナの麓を抜け、与那国空港方面に進んでゆく。
なるほど確かに、集落が終わった直後からダラダラとした上り勾配が現れ、すぐに息が上がった。
2キロほど走ると空港へ。ビルと滑走路を横目に通り過ぎ、何もない直線道路をひたすら進む。


10~15分ほどで、最西端の久部良(くぶら)の集落に到着した。目指す碑がある「西崎」まで1.6キロの看板が現れ、いよいよといった感じである。
集落の中心部にある与那国町漁協の食堂では、リーズナブルなお値段でさまざまなカジキ料理が味わえる「カジキ定食」があるとの事だったが、残念ながら現在は営業休止中のようだ。



石垣港からの「ゲロ船」が入港する久部良漁港。ここが与那国島の第2の玄関口だ。
またダイビング客を乗せたボートや観光船もここから出港するようだ。
漁港からは最西端の西崎がついに見えた。西崎灯台が朝日に照らされよく目立つ。



近くの砂浜「ナーマ浜」でひと休憩したあと、いよいよ突端へ向け出発。
「日本最西端」の案内看板があり、島一周道路から外れて急勾配の一本道がヒョロヒョロと延びている。


自転車を押して坂を上りきった行き止まりに、カジキのモニュメントと「最西端の展望台」の文字があった。
カジキの鼻先が示す先に綺麗な遊歩道があり、自転車を置いて歩いていくと……。

ついに見えた。


地理の教科書で知り、ずっと憧れだった場所。
写真でしか見た事がない、しかしながら何度も何度も見ているのでお馴染みの石碑。


夢にまで見た地である。




2024年1月15日、午前9時5分ー。
東経122度55分57秒、北緯24度27分05秒。
ついに念願の日本最西端の碑への到達を果たした。

ここまで来ることを何年夢見ていたことか。
来るのに苦労しそうだなとずっと思っていたが、私の足でも到達できる場所なんだな。

石灰岩だろうか、碑の置かれた独特の質感の岩と、周りを囲む亜熱帯植物が遠くへ来たものだと実感させてくれる。
そして「日本国」という表記がいかにも最果てらしくて良い。



空気が澄んだ日には111キロ先の台湾が見えるそうだが、残念ながらこの日は見えず。
碑のすぐ近くに一段高い展望台があり、私以外誰もいない西崎全体と久部良漁港、そしてこれから向かう「南牧場線」を見下ろすことができた。



日本最西端への到達を家族らへ知らせるべく、スマホで慣れない自撮りを試みたのだが、カメラに映る自分の顔を見て絶句。
こんなに老けていたっけ……。
10枚近く撮影して確認するも、肌の張りが無く頬の皮膚が垂れ下がっている。
そもそも自撮りの体制は顔つきが美しく映らないらしいが、それでもこの顔はいくらなんでも酷すぎる。
家族LINEへの画像投下は静かに諦めた。

また、岩にデジカメをセットしてセルフでも撮影したが、今度は体型が気になる。
生まれてからずーっと、周りから心配されるほどの痩せ形だったのだが、三十路になった途端に10キロ以上増量したのだ。
ようやく標準体重になれたのは嬉しいが、こんなに極端に体質は変化するものなのか、と改めて思う。

今回は「三十路記念の旅」であるが、図らずも西の最果てで老いを実感し少し悲しくなるのであった。

次回、コトー先生になる。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その3

2024-01-27 00:13:34 | 旅行(道外)2020~
1日目 午後4時 ~縁と宴~



北海道苫小牧市を出発して約23時間、ようやく最初の目的地である与那国島へ到着した。
こぢんまりした空港から外へ出てみると車通りは少なく、ほとんど虫の鳴き声しか聞こえない。
以前訪問した利尻島でも驚いたものだが、やはり離島は静かである。

予約している民宿のおじさんが空港に迎えに来てくれるとの事で、先ほども電話で到着時間を伝えていたのだが、駐車場や車寄せに姿は見えず。
やや不安になったが、よく見ると空港前には送迎の車待ちと思しき旅人がチラホラいらっしゃる。
スマホで宿に電話中であろう筋肉質のおじさんが直観的に同じ宿泊場所だと感じ、もう少し様子を見てみることにした。

空港内のお土産屋さんなどを下見してから再び外へ出ると、建物の前に黒いミニバンが停まっていた。
宿のおじさんはこれまたガタイが良いという噂を聞いていたので、ひと目見てすぐに分かった。
無事に後部座席へと乗せてもらい、案の定、先ほどのおじさんも相乗り。
もう一人、助手席に物静かそうな70代くらいの男性を乗せて出発した。


1月だというのに車の窓が全開なのにびっくりだが、入ってくる風は生暖かい。
車窓から見える風景は高低差のある山肌に濃い緑が密集し、なにやら島のあちこちに神聖な場所がありそうだなという印象。

5分ほどで車は宿のある祖納(そない)の集落へ到着した。
ここが与那国島で最も栄えている場所のようだ。

車は1台通るのがやっとの入り組んだ住宅街へとスイスイ入ってゆく。
道中、島に数えるほどしかない共同売店や郵便局の場所を案内してくれる。
思ったよりも宿の周辺が開けていることに安心するが、やはり閉店時間は早い。
そして車は住宅街の中にある「旅の宿・阿檀」に到着した。


開けっ放しの正面玄関から3人一緒に中に入れてもらう。
まずはこの宿で今日、あすの2泊させてもらうのだが、宿のおじさんとの会話を聞くとあとの2人も同じ日程で、島を出るときの飛行機も同じ便のようだ。
さらに「自転車で島を観光」という明日の予定もどうやら一緒……。
これは集まるべくして集まった3人なのか、それともこの島へ訪れる旅人はみな考えることが一緒なのか。

案内された私の部屋は近ごろリフォームされたようで、とても綺麗であった。
部屋に入る前、2つ隣の部屋となった筋肉質のおじさんが「K岡です。また夜に話しましょう」と笑った。
似たような旅人に会えて嬉しそうである。明るそうな人だ。



午後5時。宿の食堂での夕食は午後7時との事で、まだ時間があるので宿の周辺を散歩してみることにした。
集落の向こうに見えるのは標高231メートルの「宇良部岳」。日本最西端の山で、世界最大の蛾「ヨナグニサン」の重要な生息地になっているとのこと。
高い建物がないので高さが際立っているのかもしれないが、与那国島にこんな立派な山があったのか。


人通りが少ない集落内は静かだが、あちこちから微かに草刈りの音が聞こえるのがこれまた南国らしい。
私は部外者なので、すれちがう方々には極力挨拶を心掛けた。
緩やかな坂を下り、島のメイン通りを目指す。





途中、民家の壁に与那国の地酒「どなん」の手書き看板があった。
沖縄といえば泡盛。こちらは島内にある日本最西端の酒造所・国泉泡盛の名産品で「国境の酒」ともいわれる。
遠く離れた沖縄本島や九州へは渡りにくく「渡難」と呼ばれたのが名前の由来なのだとか。
なかでも台湾の影響を受けたといわれる度数60度の「花酒」は、琉球王国時代からの由緒ある酒だという特例扱いで島内でのみ製造が許されている。


メイン通りに出ると、程なく与那国町役場の庁舎を見つけた。日曜日なのでしんと静まり返っている。
島に消防署が無いため、庁舎の前には公用車と一緒に消防車両が2台待機している。


メイン通りを挟んで南側までもう少し足を延ばしてみる。
所々に見られる赤い瓦屋根の平屋や、石灰岩を積んだ石垣が沖縄らしく風情がある。
生暖かい風に乗って漂う南国の植物の匂いは、2018年に冒険した四国も思い出し懐かしい。
足元を見ると、ヨナグニサンや名産のカジキなどがデザインされた日本最西端のマンホール。



壁のようにそびえる急崖の向こう側へ、太陽が徐々に見えなくなってきていた。
少し早いが、これが日本で一番遅い夕陽か……。感慨深い。


午後7時、夕食の時間になったので宿の食堂へ向かった。
この日の宿泊者は10人ほどいたようで、予想に反して賑わっていた。


この日のメニューは鶏肉の煮込み料理にホッケのフライ、沖縄そばなどかなりボリュームがある。
程なくして、先ほど一緒に宿に着いたK岡さんと男性が入ってきて私の隣に着席した。
3人とも先ほど顔を合わせているので自然と会話が始まる。

K岡さんは神戸在住の自営業で、貿易系の仕事で世界中を飛び回っているらしい。
昨年末に与那国島の海底遺跡と、島の山中に巨大な「人面岩」があるという情報をたまたま見つけて、居てもたってもいられずすぐさま来島を決意。
「日本人のルーツと琉球王国の謎を解明しに来た」という。
どうやら文化人類学やオカルト系に造詣が深いようだ。

与那国の海底遺跡は有名だが、人面岩は今日の今日まで全く知らなかった。
調べてみると、確かに自然形成されたとは思えぬ不可思議な形の巨大岩が熱帯林の中にあるらしい。
今回の旅の最大の目的はこの人面岩を見ることだそう。

もう一人の70代くらいの男性はN村さんといい、京都からの来島。
静かそうな見た目だったが全国各地でフルマラソン参加経験があり、現在はアルバイトでお金を貯めながらの離島めぐりが趣味という。
最南端の波照間島は先日訪問済みだが、ここ最西端の与那国島は今回が初。
中々アグレッシブな人で話が合う。ちなみに北海道にも幾度となく来道経験があるとか。

3人で話が盛り上がり、酒好きのN村さんが先ほど商店で入手した「どなん」(30度)を持ち寄る。
私は明日に影響するのが怖いのでひと口だけで失礼したが、意外にも飲みやすい印象を受けた。

K岡さんはこれぞ旅の醍醐味とばかりにロック割でどんどん飲み、さらに陽気に。
「ヒグラシの声を美しいと感じるのはポリネシア人と日本人だけなんですよ!」とだんだんテーマが壮大になってきた。
西の果てでの最初の夜は意外と長くなりそうだ……。

次回、いよいよ日本最西端の地へ。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その2

2024-01-24 00:35:09 | 旅行(道外)2020~
1日目 正午 ~最果て航路~



成田空港を出発して約4時間、飛行機は石垣空港へと無事に着陸した。
新千歳空港と比較するとかなり小ぶりだが、小奇麗な空港である。
到着ゲートでは「お~りと~り(いらっしゃいませ)八重山へ」の横断幕が歓迎してくれ嬉しい。


幸いにも天候に恵まれた沖縄初日、飛行機を降りた直後から強い日差しと暖かさを感じていたが、少し屋外へ出てみると驚いた。なんと暖かいこと!
先ほど飛行機内のアナウンスにあったが気温は23度あるらしい。
北国丸出しの厚着が恥ずかしくなり、さっそくジャンパーを脱ぐ。
南国の草木がそよ風に揺れ、北海道の初夏の香りがする。


空港1階ロビーは開放的なフードコートのようになっており、沖縄料理の店舗がずらり。ちょうどお昼時なので、八重山そばの店で「アーサと海ブドウそば」を注文した。
アーサはあおさの事。海ブドウは沖縄の修学旅行で特に感動した食べ物なので迷わず選んだ。
鼻に抜ける磯の香りがよい。

沖縄のそばは小麦粉100%にかん水を加える調理方法で、白色で柔らかくほぼ中華めん。私は普段のそばの方が好きだな……。
カウンターに置いてある調味料(からし?)には何やら柿の種のようなものがプカプカ浮いている。
見た事のない食べ物がいっぱいあるな。
早くも観光客気分全開である。


ようやく石垣島まで南下してきたが、この後はもう1本飛行機を乗り継ぎ、今日じゅうに与那国島へ上陸してしまおうと思う。
石垣空港からはJAL系列のRAC(琉球エアコミューター)の片道30分程度の直行便が1日3便ほど出ている。

憧れの与那国島への上陸、当初はへき地感を味わいたく石垣港からのフェリー上陸を考えたのだが、先述したようにこのフェリーは黒潮の流れに逆らって航行するために「ゲロ船」と呼ばれるほど揺れが激しい(トイレに嘔吐専用の流しが増設されているらしい)。
そんな船に3~4時間も揺られるのはごめんだし、そもそも日程が限られているのであまり移動に時間はかけられなかった。
もっとも、与那国島へ渡る観光客は9割以上が飛行機とのことだ。

搭乗時間の午後3時ごろまで、ロビーで手に入れた八重山諸島のガイドブックを読むなどして休憩スペースで待機。冷房が気持ちよかった。



出発時刻が近づき、2階の出発口へ向かうべくエスカレーターを上ると、なんとびっくり。私が今回目指している波照間島の「日本最南端の碑」のパネルが真正面に飛び込んできた。
やっぱりここはどうしても行きたいなぁ。
フェリーの欠航が心配なルートなので行けるかの確約はまだ出来ない。風景がなおさら魅力的に映る。


普段はLCC(格安航空)ばかり利用しているのでJAL系列は何年ぶりか分からない。
慣れない搭乗手続きを無事に終え、ターミナルの一番端の搭乗ゲートへ。
ようやく現れた行き先「与那国」の表記に心が躍る。ついにあの島へ渡れるのだ。



午後3時20分発、RAC745便。
利用者数の少ない与那国航路は「プロペラ機」と聞いていたのだが、滑走路を歩いた先に見えてきた機体は予想以上に小ぶりであった。
こんなに小さな飛行機に乗るのは初めてだ。少し緊張。


搭乗口の待合スペースにも人はまばらだったのだが、4列×10列少々の小さな機体には20人も乗っていなかったのではないだろうか。
乗客はいかにもな「島のおばぁ」というような地元の人が一部と、あとは私のような放浪旅人といったところか。

今回はあえてプロペラの真横の窓側席を取ったのだが、離陸準備が整いプロペラが回り始めると予想以上の轟音で凄い迫力だ。
どのような挙動で離陸するのか全く分からなかったのでそれも恐怖だったのだが、何のことはない、普段の旅客機と同じように滑走路で助走をつけてあっという間の離陸だった。





石垣島の濃い緑とサンゴ礁の海はあっという間に彼方へ消え、窓から見えるのはやはり海の青一色。
途中、透き通った水色に囲まれた島が見えたが、あれは同じ八重山諸島の鳩間島か。

午後3時20分発、同55分着の与那国航路は離陸後のベルト着用サインが消えてから5分もしないうちに着陸態勢に入る。
1人しかいないCAさんは軽い巡回と案内を終えるとすぐに着席した。



飛行機はプロペラ音を響かせながら大きく旋回し、西日の向こうに徐々に与那国の島影が見えてきた。
はるか上空から見下ろしたそれは「絶海の孤島」と呼ぶにふさわしい姿であった。
私はなにやら恐竜の島を偵察するあの映画の研究者のような気持ちになっていた。

予想以上に緑が多く起伏のある島だ。明日は自転車で島内を一周する予定だが、大丈夫だろうか。




午後3時55分、無事に飛行機は与那国空港へと着陸した。
ついに与那国島への上陸を果たしたのだ。
相当小さい空港だが、ここが島の玄関口。まばらな乗客は皆徒歩で到着ゲートへ向かう。


石垣便と那覇便のみが就航する日本最西端の与那国空港は、飛行場とは思えぬ静かな空気が流れていた。
小さなロビーにはお土産屋さんが4店舗ほどある。
先ほど機内の案内で島内専用のクーポンがあると知り、売店で申請して10枚ほどの束をもらった。ありがたい。

今日はこれから泊まる民宿のおじさんが空港まで迎えに来てくれているはずだが、あちこち探し回るもそれらしき姿は見当たらない。おかしいな……。

次回!宿に旅人集う。
続く。
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三十路記念の旅 西と南の果てへ その1

2024-01-21 17:36:34 | 旅行(道外)2020~
プロローグ ~与那国島と波照間島~

2023年5月、ついに30歳の誕生日を迎えてしまった。

三十路である。未だに実感が無い。

同年代のLINEのアイコンが順調にウエディングフォトや赤ん坊の画像になってきているが、私はというと20代からの変化はほぼ無い。

相変わらず苫小牧の古いアパートで1人暮らしだし、世帯無し、年収は変わらず。
朧げながらも結婚の選択肢がようやく現れ始めたぐらいか。
子どもを持ちたいなどという願望は(自分も相手も)持っていないので、特に焦りも無くマイペースである。良いのか悪いのかは分からないが。


さて、もう何年も前からの野望で、30歳になったら「三十路記念の旅」がしたいと思っていた。
行き先は日本最西端の沖縄・与那国島有人島日本最南端の同・波照間島である。

以下、地図を用意した。
本土からあまりにも遠いので1枚では収まらなかった。





与那国島は沖縄本島から南西に509キロ、東京からおよそ1900キロの場所に浮かぶ西の最果て。
隣の台湾までは直線距離で111キロと、石垣島(127キロ)よりも近く「国境の島」とも呼ばれる。
また日本の領土で東京から最も離れている島らしい。

波照間島は石垣島の南西42キロ、西表島の29キロ南にある周囲12キロほどの小さな島。
民間人が到達できる日本の最南端である。


訪問の目的は、それぞれの島にある「日本最西端の地」「日本最南端の地」の石碑に辿り着くこと。
旅好きの私にとって、日本の四端を制覇するのは生涯の夢。
北海道在住のため、札幌→稚内ママチャリ旅(2014年)、納沙布岬を目指す旅(2022年)で最北端・稚内宗谷岬と最東端・根室納沙布岬は制覇済みなので、この旅が上手く行けばいよいよ夢が叶うといった具合だ。

ただ、北海道から沖縄の最果てともなると中々簡単には行けないのが事実。
ざっと調べたところ、飛行機を3回程度乗り継ぐ必要がある。
そして島へ渡る手段であるが、与那国島へは沖縄本島か石垣島からプロペラ機、もしくは石垣港から4時間超のフェリー航路(とんでもなく揺れるらしい。通称「ゲロ船」)。
波照間島に至っては石垣港から1日3便の高速船しかなく、こちらも外海に出るため荒れやすい航路で、欠航率が高いようだ。

これまでにない移動距離に幾度の乗り継ぎ、離島での天候や欠航のリスク……。かなり綱渡りで運任せの旅になるのは容易に分かる。
いろいろ考えると最短で5日程度の旅程が必要で、悲しいかな三十路の社会人ともなると長期間の連休が取りにくく、2023年中は決行できなかった。


そして年が明け2024年。
もたもたしていては31歳になってしまうので「行けたらいいなぁ」ぐらいの気持ちでタイミングを見計らっていたところ、突如1月の第3週に5連休が取れそうな気配が出てきた。
ちょうど年末年始の繁忙期が終わって次の繁忙期までの狭間であることに加え、休み希望を入れている他の社員もいない。この週だけ輝いて見える。
2月から社の一大プロジェクトが始まり忙しくなること必至なので、決行するのは今しかないだろう。
こうして、出発のほぼ1週間前に日程が決まり、大慌てで5日間のプランを作成し各チケットを予約した。


2024年1月13日(土) ~賭け~


最低限の準備しかしないまま、出発日を迎えてしまった。
限られた旅程で少しでも早く沖縄方面へ移動したいので、仕事後にすぐさま新千歳空港行きのバスに飛び乗った。
明日から北海道には寒波が来るらしく、水道管の凍結防止の水落としはしっかりしてきた。
夜7時の新千歳空港は雪が舞っていた。

天気予報を見ると、沖縄はこの時期でも20度近くあるらしい。
極寒の北海道から南国へ。服装はかなり迷ったが、長袖の薄着の上に羽織れるアウターと秋用のジャンパーを着てきた。靴は冬靴のみ。
荷物は極限まで減らしたかったので中くらいのバックパック1つ。5泊にしては驚かれる少なさだろう。

この日は関東にも寒波が襲来し、東京都心では初雪が観測されたようだ。
そのため羽田着の飛行機でいくつか欠航が出ていた。
私が最初に乗る成田行きピーチMM588便にも影響が出ないかヒヤヒヤしたのだが、幸い成田空港は降雪の影響が出ておらず通常運航だった。
冬の旅はリスクが高い。


午後10時10分、無事に成田空港へ到着した。
次の乗り継ぎの飛行機は明日朝7時30分発の石垣島行。
当初は空港内の待合所で仮眠を取って待とうと思っていたのだが、仕事終わりの社畜にそんな気力は残っていなかった。
学生時代だったら強行した(※経験あり)かもしれないが、今回は「三十路記念の旅」なんだからケチるのは止めることにした。

ということで、一度利用してみたいと思っていた空港内のカプセルホテル「9h(ナインアワーズ)」を利用させてもらう事にした。




成田空港第2ターミナルの駐車場ビル内にある「9h」は一泊8000円ほどとカプセルホテルにしてはお高めだが、唯一の空港直結ホテルなので利便性は高い。
「シャワー+睡眠+身支度=9h」という無駄をそぎ落としたコンセプトで、館内は美しさすら感じる極端にシンプルなデザイン。以前からネットで画像を見て惚れ惚れしていた。
ロッカー→シャワールーム→カプセルの順に動線が出来ているので合理的だ。これは感動。

夜11時に入館し快適なシャワーを浴び、近未来的なカプセルで早朝5時まで就寝。
「6h」になってしまったのが少し勿体なかった。




さて、翌1月14日(日)の朝である。この日が1日目。
成田発石垣島行きピーチMM531便の搭乗口へ。成田からこれほど早い便に乗るのは初めてかもしれない。
搭乗時間は約4時間と、これほど移動が長い飛行機も初めてだ。
機内の設備トラブルで出発時間が20分ほど遅れたが、無事に快晴の成田空港を出発した。



前日の雪は嘘のように雲ひとつ無いので、東京都心のビル群や富士山を遠く望むことができた。
また、伊豆半島や伊豆諸島なども見事に確認できた。

その後は石垣島へ向けて本土からはるか南の太平洋上を飛ぶので、雲は無いが見下ろせるのは群青の海のみ。先は長いので「6h」の続きとばかりにしっかり仮眠した。



午前11時50分、飛行機は石垣島へ向けて降下を開始した。
徐々に見えてくるサンゴ礁とエメラルドグリーンの海。
反対側に座っていた石垣島のガイドブックを広げた老夫婦が歓喜の声を上げた。
そして島に並ぶ赤い瓦屋根の家々を見て、私はいよいよ「沖縄だ!」と気分が高まる。

沖縄は高校の修学旅行で訪れた事があり、およそ14年ぶり2回目となる。
冬の石垣島と最果ての島々、果たしてどんな景色を見せてくれるのか。
そして無事に念願の地へ行くことは出来るのか。

次回!プロペラ機で与那国島へ!
続く。
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