ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

秘境・オタモイ海岸

2015-07-15 23:29:37 | ホルマリン漬け北海道 秘境編
数々の悲話が残る、小樽市最後の秘境。
(2008年4月取材 当時の文に加筆・修正)





 小樽市の北部に「オタモイ」という地名がある。なんとも奇妙な響きのこの名前は「砂の入り江」を意味するアイヌ語からきているそうだ。現在小樽で唯一のカタカナ地名である。
 で、そのオタモイ地区の住宅街を抜け、小さな山を越えたところに「オタモイ海岸」はある。急勾配、急カーブが連続する細道をかなり降りたところにあるこの場所は、澄んだ青い海に断崖絶壁が続く雄大な景色で、「秘境」という言葉がピッタリの場所だ。人はまばらで、聞こえてくるのは断崖絶壁に打ちつける波の音だけ。なんとも静かな場所である。

 にわかには信じがたいが、昭和初期、この場所には1日数千人が訪れたという一大リゾート地が存在していた。その名も「夢の里・オタモイ遊園地」。昭和11年、小樽市で割烹を経営していた加藤秋太郎という人物が、小樽の新たな名所としてつくり上げたものだった。遊園地はまるで竜宮城のような豪華なデザインでまとめられ、演芸場、相撲場、数々の遊具や食堂などといった施設が存在していたが、遊園地内のメインであったのは、崖の中腹に建てられた巨大な旅館「竜宮閣」であった。

 ここに、当時撮影された竜宮閣の写真がある。


こりゃ~
すごい!!

いやいや、もう建物のほとんどが海に張り出しているではないか!当時の技術でよくこんな建物を建設したものだ。
そして清水寺のような何本もの支柱を見てほしい。実際、当時の竜宮閣は清水寺を越える迫力があるとも言われていた。

 ・・・それにしても、今にも崖から転げ落ちそうである。個人的にはこんな旅館じゃあのんびりくつろげたもんじゃない。



 これは在りし日のオタモイ遊園地の光景である(白黒写真に着色したものだろうか?)。たくさんの家族連れでにぎわうほほえましい写真であるが、この光景がオタモイ海岸に戻ることはもう二度とない。

 オタモイ遊園地は長くは続かなかった。昭和15年、当時の日本は戦争一色であり、リゾート地でのんびりとくつろぐ余裕などなかった。オタモイ遊園地は客足が遠のき、閉園に追い込まれてしまう。

 昭和27年、終戦とともに遊園地も再開の計画がたてられたが、再開直前の準備中に「竜宮閣」が漏電により出火。周囲が崖と海に囲まれているため消火活動もままならず、あっという間に焼失してしまった。この思わぬ事故で再開計画は幻となり、園内の施設もすべて解体、オタモイ遊園地はあまりにもあっけなく、その幕を閉じてしまったのであった。

 オタモイ遊園地の閉園後、跡地は遊歩道として整備された。海に迫る断崖絶壁の途中に作られた細くて頼りない道は、あまりにも高い所にあるためかなりのスリルを味わえたのだが、近年は崖崩れが多発し危険なため、通行が禁止されている。以前は遊園地の遺構を眺めながら竜宮閣の跡地まで行くことができたのだが、残念ながら現在はそれも不可能だ。


↓※以下の取材は2008年のものです。
現在、オタモイ海岸の遊歩道は崖崩れで原則立ち入り禁止、最近は道が崩落し相当危険な状態ですので訪問はお勧めできません!
(冗談抜きで命の保証ナシです)
・・・僕のヘタッピ写真で我慢していただきたい。


小樽運河より車で約15分。オタモイ地区に入りローソンの角を曲がると、しばらくして「オタモイ海岸」と書かれた小さな看板が現れる。それを頼りに山道を登ってゆくと、オタモイのシンボルである立派な「唐門」が見えてくるはずだ(写真がなくて申し訳ない)。こちらの建物は、当時オタモイ遊園地の入り口にあったゲートを移築、復元したものである。
そして唐門の脇にあるのが、海岸へと降りてゆく細道。かなり狭いヘアピンカーブが7つも連続して現れ、しかも急勾配である。
道を降りた先には、だだっ広い駐車場がある。実はこの場所は当時、演芸場・相撲場・弁天食堂があった場所で、建物の基礎も残っている。
この駐車場までは現在も行くことができるので、興味を持った方はぜひ。

そしてここからがオタモイ海岸のハイライト・崖沿いの遊歩道だ。
念を押すが、現在の訪問は止めた方がいいです。命の保証ナシです。



崖に沿って作られた恐ろしく細い遊歩道を行く。かなり高い所に作られていて、高さは50メートルほどだろうか。崖には落石を防ぐ防護ネットが張られているが、たび重なる落石によってもうグニャグニャである。実際、取材当時の2008年も相当危険であり、途中にも土砂崩れの痕跡とみられる跡が数か所見受けられた。
そして見えてくるのが、なんともかわいらしい、そして不思議な雰囲気を漂わせている「唐門」だ。オタモイ遊園地の数少ない遺構のうちの一つである。中は小さな手彫りのトンネルになっていて、通りぬけるときは異界の地へ入り込むような不思議な感覚になってしまった。

トンネルを抜けると、いよいよ竜宮閣の跡地が見えてくる。当時の写真と見比べていただきたい。



御覧のようにわずかな部分だけ海に張り出していて、現在は竜宮閣の基礎を利用した展望台になっている。遊歩道内で一番のビュースポットである。
かなり狭い展望台であることがお分かり頂けるだろうが、こんなところに3階建ての巨大な旅館が建っていたのである。建物の半分以上が海に飛び出していたことになる。いや~すごいね。


…それにしても、この場所に旅館を建築するとは相当な作業だったに違いない。資材は海から船で搬入し、クレーンでつり上げたという。


展望台から、さきほど歩いてきた遊歩道を見る。いや、今までこんな道を歩いていたのか!よく崩れなかったもんだ(笑)。なんだか、スペインにある「王の小道」(ダム建設のために断崖に作られた恐ろしく細い道)を思い出した。
それにしても、崖沿いに作られた細道って、見てるとわくわくしてこないか?(しないか・・・。)


展望台の向かいには、崖をくりぬいた祠が造られている。入り口には比較的大きな唐門が建っているのだが、こちらは先ほどの物と比べてかなりボロボロである。海風をモロにくらっているのだろうか。
祠の中はというと、こちらもボロボロで、ろうそくが燃えているだけ。後ろの方には焦げたような木材の残骸が積み上げられていた。壁も煤のようなもので真っ黒。以前パソコンで見た写真には立派な赤い祠があったのだが・・・。どうやら最近になって、ろうそくの火が移ったか何かで燃えてしまった可能性がある(悲)。



さて、ここから道はさらに狭くなる。遊歩道はこの先にある「オタモイ地蔵尊」まで続いているようである。遠くに見える木造の建物群がそれであろう。
再び手彫りのトンネルを2つほど通りぬけるが、ゴツゴツした壁がなんともいい感じ。意外と長く、そして低いので、頭をかがめないと通れない。



トンネルの出口には「佐一郎地蔵」というものがあった。この地蔵は、竜宮閣の建設途中に誤って崖から落ちて死亡した1人の作業員を供養して作られたという。


遊歩道を最後まで歩き、「オタモイ地蔵尊」についた。オタモイ地蔵は、遊園地が建設される以前からここにあり、子授けなどのご利益があるそうだ。
こちらの地蔵は、かつて積丹の海で身投げし、この地に流れ着いた妊婦の遺体を供養するためにつくられたと言われている。こちらもなんとも悲しげな伝説である。
ちなみに、建物の横についている看板は、かつて売られていたお土産の名残と思われる。


この場所からは、今まで歩いてきた遊歩道や、竜宮閣の跡地が良く見える。

ここに「竜宮閣」があった!!


前ページの当時の写真と見比べていただきたい。よくみると、展望台の下には、当時の竜宮閣を支えていた支柱の基礎部分がまだ残っているのが確認できる。たくさんのコンクリートの塊のようなものがそれだ。


いかがだっただろうか。小樽にこんな場所があると知っていた方、結構少ないのでは?個人的にはかなり好きなスポットなので、遊歩道をしっかり整備し、ぜひまた行けるようにしてほしいものだ。

ここは、数々の悲話が残る、小樽の秘境の地である。


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