ホルマリンのマンネリ感

札幌出身苫小牧在住、ホルマリンです。怪しいスポット訪問、廃墟潜入、道内ミステリー情報、一人旅、昭和レトロなどなど…。

宗谷本線秘境駅紀行 その3

2016-01-25 01:14:04 | 北海道内の旅行・風景
1日目 午後1時45分。

雄信内駅から人里求めて歩きます。




廃墟が1、2軒あるだけで、あとはご覧の通りに何もナシ。70年代の航空写真には多くの住宅が連なっていましたが、とっくに全ての人が去ってしまった後のようです。こちらのサビサビの櫓のようなものは給水塔の跡でしょうか??
…なお、素手でカメラを持っていたのですが寒さで手が痛い。とうとう耐えられなくなり手袋履きながら撮影続行。撮りづらいおかげで構図がメチャクチャですが許して下さい(笑)。

しばらく歩くとT字路が。

やはり住宅はひとつもありませんが、たまに車が通りますのでようやく人に会えたといった感じです(^_^;)
青い橋は天塩川に架かる「雄信内大橋」です。

橋の上より天塩川を望む

ここまで完全なる無人地帯ですが、どうやら川を挟んだ向こう側に「雄信内」の集落があり、そこから辛うじて駅の利用者が居る(らしい…)。
なお、駅の読みは「おのっぷない」ですが、集落の読み方は「おのぶない」らしいです。ややこしいですね…。

旧・雄信内小学校(廃校)

雪に埋もれた校門跡、かろうじて学校名が顔を出していました。廃校後は集会所として使われていたようですが、現在はどうなのでしょう…。
かつて訪問された方の写真を見ると奥に体育館のようなものがあったのですが、解体されてしまったようです。

村の記憶がどんどん消えていく…。



…人々に棄てられた空間の中で、唯一この駅だけが生きている。
しかし、もうじきこの駅も静寂に飲み込まれてしまうのではないか。




駅へと戻ると、いつの間にか駅前通りが除雪されていました。駅前に車が止まっているのにお気づきでしょうが、どうやら待合室の隣にJR職員が常駐しているようです(冬期間のみ)
あまりに静かなので気づきませんでした…(^_^;)。

ずっと訪問したかった駅にようやく降り立つことが出来た。いつまでも残ってほしい。
駅ノートを手に取り記入します。手がかじかんでいるので上手く書けない。
字がぐちゃぐちゃで他の人は読めないでしょう。
…しかし、これは自らがこの駅を訪れた証拠として残せればいい。次に来たときの自分が読めればそれでいいのです。
まぁ、それがいつになるのかは分からないけども。



次の列車まで時間が残っているので、駅ノートを読ませて頂きます。
やはり駅舎が目当てで旅行途中に立ち寄ったり、秘境駅巡りの一環として全国からわざわざやって来る人も多いようです。
その他にも「動物事故で列車が止まってしまったので、ここで時間をつぶした」、「バイク旅行中に駅寝をしに来た」などと様々な書き込みがある中で、ある一文がひときわ印象に残りました。

「かつて通学で毎日この駅を利用していたが久々に訪問した。数十年経った現在もあの頃とまったく変わっていなくて安心した、感動した」と。


そういえば、駅舎内にもこんな落書きがありました。

なつかしき故郷 H1.8.7

彼らの帰る場所はまだ残っているのでしょうか。
この地に帰ってきた者たちを温かく迎え入れるのは、もはやこの駅舎だけなのでは…。
雄信内駅、いつまでも残って欲しいと願う者は秘境駅ファンだけではないでしょう。


かつて多くの乗客が利用したであろうベンチ…。
今では物好きな旅人たちが来るのを静かに待つのみだ。

午後2時55分。

次の列車がもうすぐ来ます。やはり長年の憧れの場所だったので、時間が過ぎるのもあっという間でした。
…来れてよかった。

結局、駅での滞在中に列車が通過する事はありませんでした。
宗谷本線ってこんなに本数少なかったっけ…と考えていると、向こう側から警笛が。



結構な雪が積もっているのでラッセル車来るか?と思っていたのですが、待っていた普通列車でした。
心配になるくらいの積雪を自らぶっ飛ばしながら、駅に近づいてきます(^_^;)。
…いや~、北のローカル線はたくましい

雄信内駅はいつまで残っているのでしょう?
いつかもう一度ノートを読める事を願って、1両の列車に乗り込みました。
次なる秘境駅へ!

次回!もはや廃駅…。
無人地帯に残る腐りかけの駅舎!

続く。

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2 コメント

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秘境駅探索なる旅 (ぱるるん)
2016-02-01 23:05:12
こんばんは。冬の宗谷本線の旅、最果ての地を目指す路線ですが、昔の名残で立派な駅舎が残っているのですね。

私が一番最初の職場に勤務していた時に、直属の上司が、元国鉄職員で宗谷本線の駅員をしていたという話を本人から聞いたことがあります。
駅長さんと駅員だけの2名勤務。周りに人家はまばらで、乗客の数も数えられるくらいで、非番の日に旭川に遊びに行くのが、唯一の楽しみだったそうです。
駅名は忘れちゃったのですが、多分こんな感じの駅だったんでしょうね。
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>ぱるるんさん (ホルマリン)
2016-02-02 23:03:52
こんばんは!宗谷本線の駅舎は中々バラエティー豊かで興味深いですね。(^-^)ここ雄信内駅は建て替えられる前にぜひ見ておきたい場所でした。

貴重なお話をありがとうございます!いや~、当時の光景を想像すると興奮しますね。(*^_^*)
最近国鉄時代に興味をもちまして、宮脇俊三『時刻表2万キロ』を読んでいるのですが、乗客の少ない過疎路線の終着駅にもちゃんと木造駅舎があり、常駐の職員がいて…といった記述があり、合理化の進む現在のJRには無いおおらかさが感じられますね。
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