ここ数年、新しい「朝顔」の種を仕入れていなかったので、今年は華麗なる花を買おうと思っていたものの、何時の間にか時期を外してしまい、やっぱり、以前の朝顔が自立発芽したものを、鉢に植え替えた。
でも、咲いた花を眺めていると、素朴で、シンプルで、案外いい風情だなぁ(花に焦点が合っていないのも悪くはないが、焦点のブレは意図したものではないから、ただ単に自己満足の域)・・・と。
毎度の事で、始めたら完結(あくまでも自己判断内でしかないが・・・)しないと気が済まないという悪癖で、「持続化給付金申請」に続き、「新しい会計ソフト」の使い勝手を試しているうちに、どんどんとのめり込んで行き、手元にある半年分のデータを入力した。
全ての資料(主に現金支払分領収書等)が届いていないので、「未処理の領収書を持って来てくれれば、私が処理するから」と伝えてあるものの、相変わらず、持って来ない。
これが決算月ならば、しつこく電話もするが、まぁ、急ぐことでもないし・・・と、自分に言い聞かせて、じっと、待機していたが、目の前に積み重ねられた書類やらPCが目について、どうにも落ち着かないのだ、自分の視野から外したい気持ちに駆られてくる。
で、電話を入れて、「今ある資料の処理が終ったからPCを取りに来て」と最後通告(みたいな風で)したという次第・・・でも、それから二日過ぎて・・・まだ来ない。
現在、我が得意科目の「燃え尽き症候群状態」で、殆ど、思考が停止している。
ふと思った・・・そう言えば、晩年になって、まだ動きが取れている頃の母は、一日中、躁状態でむきになって働くと、次の日は、確実に燃え尽き状態の鬱となり、一日中、ただただ、ベットに潜り込んでいたのに、又、翌日は、性懲りもなく畑に出かけて行くのだった・・・そう、今の私と同じで、「程々に」という学習能力が、全く、無かったと言える、私も、完全に遺伝的要素に縛られていると察して、我ながら、笑いが出て(当然、自虐的な)しまうのだ、ま、年の所為かも知れないけれどね。
何時も肝に銘じている事は、「何事に於いても、自分のペースと他人のペースは違う」という事であるが、その「座右の銘(?)」も維持するのが、だんだんと難しくなって来ていて、その事が、所謂、争い(大袈裟でない小事でも)の原因になりつつあるのを実感している。
これって、私だけの罪なの?・・・と思うのは嫌だけれど、そう感じて回避できるのは自分のみ・・・なのも事実。
今日になり、ようやく「燃え尽き症候群的虚脱感」から、一歩、抜け出た兆候を感じているので、明日は、友達とお茶(若しくはランチかな?)の約束を果たしに出かけるつもり・・・コロナに注意しながらね。
分かります~これって性分もそうさすのかな~
年を重ねるにつれ、物事に待つができなくなるって言われますが、私も待てないのですね
この意に反して、若者って、待たしてるという意識が薄いのか、ちったぁ待ってる人の気持ちもわかってよと訴えたい・・・
この燃え尽き症候群虚脱感、逆に緩急合わすところが又這い上がってこれるのにいいのかもしれませんね。。。
そうそう、そうなんですよね・・・「待たしてるという意識が薄い」どころか、何~んも考えていないのですから、イライラする方がオカシイという状況ですよ。
でも、私自身の気分が少し落ち着くと、「まぁ、こうして時々刺激を貰えることを喜ばなくては・・・」って、思い直す訳ですよ、これ、明らかにお門違いと思うけれど、「私の人間性の方が出来ているのだから」と慰めているのですよね