IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

利己的な我が「禅修行」

2021-12-14 10:14:32 | この頃思う事

 ←拡大可能(11月22日撮影)

庭木に隠れて日陰になっていた「千両」が、今年、周辺の木の枝を落として日当たりを良くした為か、例年に比べて出来が良く、これなら正月用に豪華な生け花に出来る・・・と、内心、ほくそ笑んでいたところ、何やら、実がポロポロと落ちてしまったのか、今は、すっかり寂しくなっている。
そう言えば、傍らに植えてある「ムラサキシキブ」の実が落ちるのも、やっぱり、早かったような・・・病気かな?

 

 


 

 

遊び仲間の同級生の訃報が入った。

この「遊びの会」を始めて15年間、皆、ほゞ75歳となり、これで3人の仲間を見送った事になる・・・この数が多いのか少ないのか、はたまた、世間一般として妥当な数なのかは分からないが、こんな事が日常になるという自覚は持っている。
自身に近い年齢の方を見送ると、次は自分かなと思って寂しくなるという話もよく聞くが、今の私は、まだ、どこか他人事、つまり自分自身の事として思いを至らせることは無い・・・とは言っても、「何時までも私は生き残る」とも思っていないから、訃報を聞くたびに、我が生存圏内が段々と狭まって来る感じは、確かに、ある。
家族葬だと言うが通夜参列を依頼された遊び仲間の友達に、お供物(お線香)に短いお悔やみの手紙を添えて託した。


ほゞ毎日、庭の落ち葉掃きを「禅修行だ」と自分自身に言い聞かせて実践している。

最初は、毎日毎日なんと空しい仕事だ・・・と、ネガティヴな気分で始めるが、その内、あれこれ結論の出ない事柄が脳内を駆け巡り、何時の間にか、目の前にある落ち葉に集中していて、この落ち葉はどこから降って来るのかなとか、なんと味わいのある色なんだとか、掃き終わった場所に、新しい落葉がはらりと落ちると、これは明日に残そうとか・・・1時間余(長くても2時間くらい)の落ち葉掃きを楽しんでいる自分を発見するのだ、まさに、これ「禅修行」と言わなくて何ぞや!という境地に至っていると察する。
ま、そんな風で、訃報を聞いたその日も、落ち葉を掃除しながら逝ってしまった3人の仲間と遊んだ日々を思い起こし、あの時は笑ったね、まぁ、よく飲んだなぁと思い出される愉しかった思い出と共に「禅修行」に勤しんだ・・・が、その日、久し振りに我が家の屋敷に沿った区道(他人様のもの)を掃除したものの、きっちり、我が屋敷に沿った区域内だけ・・・という利己主義的行動を実践しているのだった。

つくづく、利己的というか打算的というか、「無償の行為」の出来ない自分を再発見・・・これでは救われないな・・・と、思う。

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6 コメント

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利己的な事ばかりやってます (モコモコ)
2021-12-14 14:53:09
こんにちは

禅修行と称した落ち葉掃き、いい時間ですね~
私といえば、先ほど久しぶりにパソコンを開きましたら、一括削除できない超大量のほぼメルマガに、おいおいおい!と唸りながらチェック入れてました・・・

寂しくなりますね、同級生様のご冥福を心よりお祈りいたします。
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良い仲間でした (伊豆の花)
2021-12-15 09:51:06
モコモコ様:

友に哀悼の意を頂き、ありがとうございます。

亡くなった遊び仲間(男性)は、料理が得意で、飲み会では、よく、「手作りつまみ」で皆を愉しませてくれました。
何一つ、そのレシピを身につけなかった私ですが、素敵な思い出として記憶し続けたいと思っていますよ。

可笑しなもので、この歳になると(私だけかも)、悲しいとか寂しいとかいう思いより、楽しい時間を共有出来た経験が、宝のような思いとなって湧いて来るのです、ホント、先に逝った2人の友同様、良い仲間でした・・・ってね。
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Unknown (kyon)
2021-12-15 11:20:37
修行中にあれこれ思いが馳せるというのもご縁というものでしょうね・・・心の内を覗いた感じがします・・・ご友人のご冥福をワタシも祈ります。
ふと思い起こせば・・・ということ・・時々ありますわ・・それもこれも日々が修行と思えばありがたいご縁なのでしょう・・
「いいね」ボタンがあったら、5個くらい押してますよ・・落ち葉を掃きながら・・光景が浮かんでいいですねぇ・・
ま、修行も自己鍛錬ですから無償の行為に拘らぬ方がいいかと・・僭越ながら・・(^_^;)
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堂々巡りから逃れられて・・・ (伊豆の花)
2021-12-15 13:42:26
kyon様:

当地の今日は穏やかなお日和で、落ち葉の散乱も無く、ノ~ンビリと過ごしておりますよ。

亡き彼へのお心使いに深く感謝です。
でも、彼は「友人」とはちょっと違うような・・・そう、「仲間」というべきかなぁ、一つの出来事を心を合わせて実行する仲間・・・だったですね、お互いにいい時間を持てた・・・という感じでしょうか。
以前していた「花壇ボランティア」にも、先に立って行動してくれましたし、いい出会いでしたから、勿論、彼にも感謝です。

落ち葉掃きをしながら、いろいろ脳内を駆け巡る事項は、殆ど、解決策など得られません。
ただ、堂々巡り的思考に陥らないことが、「禅的」と思えるだけなんですね、決して、「人間形成」には役立っていませんが・・・
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伊豆の花さんへ (ソナタ)
2021-12-16 10:51:30
こんにちは!
確かに最近、近所の方や旧知の方の訃報を知ることが増えました。
平均寿命を考えると、無理も無いと思いますが、私もそれぞれお付き合いの程度によって、その方との思い出が蘇ります。
職場の同僚だった方は、家族よりも長時間共に居たわけですから、長い間の振る舞いの数々を思い出したりします。
姿形は無くなっても、思い出は残るわけで、私にその時が来ても、良くも悪くも生きた証の色々な思い出を残せれば、それで良いと思っています。
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穏やかな別れを・・・ (伊豆の花)
2021-12-16 16:55:41
ソナタ様:

12月に入ると「喪中」のハガキが届きますが、数年前まではご親族名だったのに、最近は、ご本人の名がちらちらと目立つようになりました。
人は、こんな風にして、だんだんと「別れ」に慣れて(慣らされて?)行くのだろう・・・と思っていますよ。

会社勤務を終えて15年経ち、仕事を通した知人より、故郷でストレスのない付き合いの知人が増える事で、楽しい思い出しか残っていないことが穏やかな別れを感じさせてくれるのかな・・・と、ふと、考える事がありますね。
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