IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

36会TKさん講義・・・江川太郎左衛門英龍と反射炉への思い

2015-05-10 23:10:14 | 三六趣味の会便り

[、写真と文:36会TKさん提供]

※ 韮山「反射炉」を世界遺産に・・・という運動がありますね。
   地元にいる私たちでも、詳しい知識を持っていません。

   TKさんからの「反射炉」と「江川氏」についての講義を、共に、少し、勉強をしてみましょう・・・伊豆の花

 

 

 
                             「 反射炉 」


( 江川太郎左衛門英龍と反射炉への思い )

世界遺産に登録されるかも知れない韮山の「反射炉」へ、何十年ぶりかに行ってきました。
今、話題の場所なので、来観者が多いですね。
「反射炉」と「36代江川太郎左衛門英龍(ひでたつ)」についての概略の説明です。

まず、この「反射炉」は、構想段階から当時の代官・江川太郎左衛門 英龍が関わっています。
江川家は、代官の職を世襲として代々勤めてきました。
そのため、江川家は通称として太郎左衛門を名乗りました。
つまり「江川太郎左衛門」が現在の一般的な「名字」に当たるのでしょうか・・・

韮山代官、江川太郎左衛門 英龍は、ペリー再来航による日本の危機を感じとり、幕府に、その対策の必要性を申し入れていました。
その結果、大砲造りの命が下り、英龍自身も大砲の知識を深めることに努力を惜しまなかったようですね。

やがて他の藩から大砲造りの専門家を呼び寄せ、1854年に「反射炉」が起工となり、1857年に完成。
鉄製の大砲の鋳造が開始されました。
しかし、実際にはこの反射炉の完成途中で、英龍はこの世を去ってしまいます。

 

 
  「江川邸の天井の骨組み」・・・この骨組みの構造は、地震に対して考慮したものだと聞いています

英龍の意志は、息子37代英敏(24歳で死去)に引き継がれ、実質的には、柏木総蔵を中心に事業は引き継がれ、1857年反射炉が完成されたのです。
なお、出来上がった鋳造品は穴が開いていない「ムク」の物でした。

大砲として使うには、その「ムク」の鋳造品に穴を開けなければなりません。
このため、近くの川から水を引き、水車を回し、切削用の刃物は固定して「ムク」のままの大砲を水車の回転力で廻し、1ヶ月ほどかけて、穴を開けました。

こうして、まともな大砲が、4門ほど完成したそうです。
その中の1門は、現在の靖国神社に保管されています。
他は、当時の江戸湾上に造られた台座に設置されました。
その場所が、現在のお台場なのですね。

これらの大砲がペリー来航時、抑止力となって働いたと伝えられており、多くの人々の尽力により、日本は外国からの植民地化を免れたと言われています。

このように多くの先人達が苦労してこの国(民)を守ってきたから、今の日本があり、国(民)を守ろうとする気持ちは、昔も今も変わりは無いと思います。

文明(科学)の進化はあっても、人間自身(心)の進化がそれに伴うのは難しい事ですからね。
いつの時代でも、捏造と真実があります。
真実を知る方法は現代では難しいことではありませんね・・・その気さえあれば。

歴史を正しく理解し、苦労された先人たちへ感謝の気持ちを表す事も必要だと考えます。

                                                        [以上、TKさん講義]



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8 コメント

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英龍さん (kyon)
2015-05-11 18:26:27
「さん」なんて言ったら失礼になるかもしれませんが・・・すいません・・・
英龍さんのことをWikiprdiaで調べてみました・・・
中々の見識の高さと優れた教養人でもあったようで、多彩な方でしたね・・・

>長崎へと赴いて高島秋帆に弟子入りし(同門に下曽根信敦)、近代砲術を学ぶと共に幕府に高島流砲術を取り入れ、江戸で演習を行うよう働きかけた。

という一文を見つけまして、
反射炉への経緯が良く分かったりしました。(^^ゞ

また、
>学問を佐藤一斎、書を市川米庵、詩は大窪詩仏、絵を大国士豊や谷文晁、剣術を岡田吉利(初代岡田十松)に学ぶなど、当時最高の教育を受けている。特に剣術は、神道無念流免許皆伝で岡田十松の撃剣館四天王の一人に数えられ、同門で後に代官所手代となる斎藤弥九郎は、江戸三剣客の1人にも数えられている。その他、蘭学、砲術などを学んだ。

大したお方だったのだというのが分かります。
神道無念流免許皆伝に至っては、新撰組の近藤勇とも面識があったようで・・・
大した・・・というより、凄いお方だったようで・・・
一心に国を憂いて守ろうという思いがお台場に砲台を作り・・・という事に繋がったようで・・・
完成を見ないで逝かれたのは無念だった事でしょう。

などなど・・・
以前から伊豆の国という場所の歴史には恐れ入るような歴史がありますね・・・
それこそ、語り継ぐべき歴史です・・・
ちょっと人物像に目からうろこ・・的でした(^^ゞ
いいお話をありがとうございました(#^.^#)
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郷土愛? (伊豆の花)
2015-05-11 20:01:20
kyon様

まぁ、私・伊豆の花よりも、お勉強してくださって、ありがとうです。
昔の人たちは、ホント、エライなぁ・・・と思います、爪の垢を煎じて・・・でも、追いつきません。

郷土を褒めてもらうのは嬉しいですね。
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歴爺に感謝! (モコモコ)
2015-05-11 20:33:43
今晩は
先日、世界遺産候補のニュース見てて、そうそうあの韮山だよとピン!ときましたよ
伊豆の国の韮山反射炉に江川太郎左衛門あれば、実はこちらの薩摩藩主、島津斉彬の集成館の反射炉跡一帯も候補に上がっておりもすっ!(笑)
恥ずかしながら、そもそも反射炉とは何ぞやからでして、精錬所の融解炉だとうことを知り、そこへこの講義、とても勉強になりますね

そういえば、仕事のときに電気炉とガス炉を使って、棒状の生製品を焼成するのですが、そのときパイプ状になってない穴の詰まった棒をムク棒といってますよ

この頃、世界遺産候補がやけに増えてきた気がしますが、この先人たちが築き上げたものの真実をちょっと知りたい気になってます。




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手仕事の利 (伊豆の花)
2015-05-11 20:56:14
モコモコ様:

やぁ~、皆さま、勤勉にお勉強してくださって嬉しいですよ。

モコモコさんは、科学的現場での実践者ですから、頷けるものがあると思いますが、私、ウンウンと相槌をしながらも、全く疎くて、理解出来ませんのですよ。

今日のTVで、木の筋(パイプ状の寄り集まり?)を破壊しないから木材が長持ち出来るという「槍カンナ(平安時代頃の工具)」の復旧を目指している方を紹介していましたが、どんな便利な工具になっても、手仕事の緻密さには適わないという事のようですね。

「反射炉」なども、効率から言えば、とても採算の取れないものでしょうが、その情熱にかなう利は無いという事でしょうね。

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伊豆のコマーシャル (36会 TK)
2015-05-12 18:01:16
モコモコ様
Kyon様

コメントを有り難うございます。
少し、付け足しを致しますね。

世界遺産の候補、韮山の反射炉は、江川邸とセットで考察されると分かりやすいかと思います。
江川邸は1958年に国の重要文化財に指定されております。

また、英龍は病のため55歳で生涯を閉じてしまいましたが隠れた功績として、江川塾をを開き、後の桂小五郎(木戸孝允)など過去の著名人を産み出す基礎をつくったとされています。

なお、江川塾の部屋は現存され、当時使用されたとされる机が虫食い状態であるにもかかわらず、まるで彼の講義を待っているかのように並べられています。
まさに、当時にタイムスリップしたような感じですね。

また、江川邸は英龍が日本で初めてパンを焼いた場所でもあります。
伊豆方面に来られる際は、歴史的価値の高い江川邸も含め、ぜひ立ち寄られることをお薦めします。

なお、余談ですが大河ドラマ「篤姫」で、実家から島津家に養女に出向くの時のロケが行われた場所でもあります。

以上、伊豆のコマーシャルです。
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TK様へ (kyon)
2015-05-12 18:32:57
お~・・・うんうん、その写真も拝見しましたよ~(#^.^#)
パンを焼いたっていうのもありました。
とにかく多彩な方でしたね・・・
そっかぁ・・・篤姫のロケ地?へぇぇ~感激です・・
何気に見てたんですね(笑)

桂小五郎・・へぇ・・・
時代の隠れた寵児というか・・・影響を与えるだけのモノを持った人物だったんですね・・・凄いっす。
ありがとうございます!!
ちょっとまた賢くなった気がします(^^ゞ
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ありがとうございます (モコモコ)
2015-05-12 20:34:29
TK様へ
補足説明ありがとうございました!
篤姫につながってきましたね~ちょっと嬉しいですよ

伊豆の国、ブログのご縁でいろいろ教えていただいておりま~す(^^♪またご教示お願いいたします。
返信する
最後の将軍 (36会 TK)
2015-05-13 12:55:08
kyon様
モコモコ様

「反射炉」及び「江川邸」にも、興味を持って頂き、嬉しく思います。
少し角度を変えて歴史を見ると、面白いですね。

話は変わりますが、以前から徳川幕府 最後の将軍・慶喜の功績に興味を持っております。

歴史の大波に翻弄され、結果として、あえて、動かず謹慎の道を選び、幕末と明治維新の混乱から国を救った逸材と思っています。
また、近いうちに投稿させて頂くつもりでいます。
よろしく!
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