昨日(25日)の午後、訪問看護の日、今日の母のテンションは、まあまあで、扱い易い状態である。
看護師さんと母が、あれこれと話をしているが、かみ合っているのかいないのか・・・それでも、機嫌よく、応対している。
特別の事が無い限り、母が、有りもしない話をしていても、黙っている事にしているが、耳に入ると口を出したくなるので、だいたい、隣の部屋で、TVかDVDを観ていることが多い。
今、TVで、日本映画を放映している。
新藤兼人監督「裸の島(殿山泰司・音羽信子主演)」である。
映画の評判は耳にしてはいたが、あまり映画は観ない方だし、まして、日本映画に至っては、殆ど、観る事はない。
その上、この種のテーマは、避ける傾向にあった。
今日は、何とはなしに、観ている・・・母の状態が穏やかだと、こちらも、余裕が出てくるからかも知れない。
1960年、昭和35年頃で、瀬戸内海の離島に住む家族の日常を、淡々と、綴ったものだ。
詳細は、映画を観て貰いたい。
昭和35年と言えば、私は中学生だ。
映画の中での出来事が、その頃の私の周りでは、日常的に行われていた・・・水汲み(水道が引かれたのは、小学校の頃だったか)・風呂焚き(自分に割り当てられた仕事だった)・炊事(夕飯の食材を学校帰りに調達した)・農繁期の手伝い(農繁休暇といって、学校は休みになり、親戚の農作業にも駆り出された)等々。
感想は・・・切ないですねぇ、胸が苦しくなってくる。
不便でであっても、過酷であろうとも、理不尽でも、淡々と、日常をし続けることしか、生きるすべがない・・・つくづく、日本の貧しさを痛感した。
こんな生活を、我が母も体験してきたのを、時に触れて、聞いていたし、ほんの少~しだけ、私も経験した。
かたわらで、看護師さんに、「嘘八百」を述べている母に、「裸の島」が重なり合い、ため息が出てしまう。
せめて、今は幸せだと感じて欲しいと思うが、身に染みた思いは、年と共に、増幅するようだ。
だから、私は、この種の映画を観るのを、知らず知らずに、避けていたのかもしれないと思う。
6月に行った喫茶店で、心から、ゆったり出来た店を紹介しますね
[写真左] 静岡・スタバの我が定番席で、季節によって、前の木が変化を見せます。本日は緑色
[写真右] 相模大野・駅前喫茶店テラスで、通り過ぎる人々を、何気なく観察するのは楽しいもの
お母様、お元気で何よりです。
「裸の島」、昔見たような…
先日行って来たインドネシアでは、平地が少ないので山間部では厳しい「棚田」で稲や作物を作っていて、世界遺産になっていました。
現金収入が少ない貧しい農民の変わらぬ生活が、今も続いているようでした。
こんにちは~。
今、昼間からの飲み会(一応、断酒中ですが・・・)から戻りました。
全く、言い訳の余地もありませんが、ともかく、幸せだと言えますね。
日本が、半世紀前に比べ、経済的には格段の位置にある事は確かですが、そのかわりに、失ったものは計り知れませんね。
せめて、今、幸せだといえる何かを掴みたいと思っています。