畑の花壇には、毎日、観察をすることが出来ないから(余り熱心に手入れをしていないという事)、なるべく手を抜ける植物を植えるようにしている・・・この花も、その一環の一種、でも残念ながら、この花の名前は知らない。
いつの間にか、もう一月も過ぎている・・・それだけ、腑抜けていたという事かな?
毎度の「同級生遊びの会」を開催したのは6月6日だった。
集ってくれた友たちが、とりあえず楽しんでくれた(と、自我自賛?)ので、自分で立てていた目的は、一応、果たせたと思い、少し心の重しになっていた事案が解消した。
最近では、先送りされた事案があると、その事が絶えず心の片隅に存在してしまい、どうしてもその事に囚われてしまう自分を感じていたのだ。
だから、一つ目的を設定したら、まず、それから取り組んで行く・・・それで(自分勝手に感じているだけの)心に負担を残さないことを行動の第一条件・第一項目に掲げているのである、ま、それだけエネルギー(行動エネより思考能力エネと言った方がイイのかも)が無くなったという事だろうね。
何れにしても、これで一つの負担事案から解放されたという事。
「遊びの会」についてWTさんが「静岡新聞:読者のひろば」に投稿。
その投稿文をWTさんのご了承を得て、静岡新聞記事から転載しますので、ご覧あれ。
・・・・狩野川台風襲来 今も忘れず・・・
先日、中学時代の同級生十余人で食事会をした。
同級生であるから、話題や思い出の共通性がある。何かと苦楽も経験しているだろう。恩師の事や部活動の思い出、行事の事など会話が弾んだ。
健康寿命や終活、お墓や葬儀のことまで、滑稽な会話に終始、皆笑顔に満ちあふれていた。嫌な事は「忘却の彼方へ」という言葉があり、今日の楽しさは「冥途の土産」にしようと大笑いした。
いつも話題になることがある。小学6年生だった昭和33年の狩野川台風襲来である。通っていた小学高でも37人の尊い命が奪われた。当時の惨状は皆、脳裏に焼き付いているようだ。これは忘却の彼方にしてはならない。
あれから65年。温暖化や気候変動で最近では、線状降水帯による大雨被害も多くなったが、人的被害は避けなければならない。
曇天の食事会だったが、アジサイの花にも魅了された、楽しい一日だった。
(以上、新聞投稿蘭記事より転載)
・・・・・・・・・・・・・・・以下、伊豆の花の自戒・・・・
友らが心から開放された時間を過ごして貰えた様子に、私自身も、また、開放感を得られて嬉しい気持ちになる。
その上に思い返せば、我が七十数年の人生に於いて同級生だけでなく係わりのあったすべての方々に感謝しなければならないという事・・・良きにつけ、悪しきにつけ、我が人生を豊かに彩ってくれていると感じるからだ。
残念なことに、つい最近にも同級生の訃報連絡が入った、でも、これは避けられない事実でもある。
私たちが、曲りなりにも元気で過ごしている(いられる)現在を真摯に受け止め、これからも、一日一日を、もっと大事に過ごして行きたいもの・・・結果的に、我がその意志をもって行動することが、どこかの誰かに、少しであっても彩りを添えることになれば、それは「遣り甲斐」と言えるのではないか・・・と、そんなことを願っている。