←拡大可能 畑花壇(日当たり良好)に植えてある「白のアヤメ」
以前には、ちょい離れた畑(現在、畑を廃止して、数本の果樹を植えた)にあった「アヤメ」を、畑を止める時に、一部分、自宅の庭(半日村だが)に移植したものが、かなり、密になって来たので、株分けをしなければならないが、相変わらず思うだけ・・・の私である。
コロナ騒動のお陰で(というより、それ以前からだが)TVも新聞も見ていると、不安がそうさせるのか(ま、そんな訳ないな)イラついて来て、中味を詳細に追及する事を避けているが、先日の新聞(広告欄)に、こんな文字が載っていたのが目についた。
「あなたは答えられますか?人生、最後まで手放してはいけないもの・・・カネか、義理か、名誉か、誠実さか、愛か、家庭か、プライドか・・・云々」(週刊現代 巻末特集より転載)。
週刊誌を買ってまで知ろうとは思っていないが、ちょっと気になった・・・私ならばどう答えるだろうか・・・とね。
私には、カネも、義理も、名誉も、その他列挙されているものは、もう、とうの昔に手放してしまったし、今更、取り返しようのないことだし・・・つまりは、最後までもなにも、我が手には、何も残っていないという事なのか・・・と、考えた訳だ。
それも何だか悲しいから、ちょい無理筋的に探して見た・・・一人で生きて来た自信か、病院にお世話になった事がない体力か、常に冷静でいられる判断力か・・・等々、自分の都合の良い項目をチョイスしてみたが、どれも、最後まで縋るような(或いは、縋って行かれるような)ものではない事は、自分でも察する事だ。
で、捻りだしたのが「そうだ、感性なのだ!」だった。
感性(かんせい)とは。
1 ・物事を深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」
2 ・外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。・・・(goo国語辞書より引用)
現在、私自身を形どっているものの根底は「今までの人生経験」であり、どうしても、知らず知らずのうちに、自身の考え方を他人にも押し付けていると、折に触れ、実感している。
「感性を尊重する」と言っても、今までの生き方を否定する事は無理であり、すべて流し去る事は出来ないから、やはり根底には「我が理屈が存在」し続けるだろう、何せ、私は「理性」と言う言葉が大好きなのだから。
からこそ、理性・知識(私が常識と捉えているもの)ではない、その時々の「心の動き」を手放さないようにしたい・・・そう思うのだ。
しかしながら、そんな私の思いの中には、なにかイヤらしい考えも見え隠れしているような・・・そう、意固地なバァサンと思われたくないな・・・そんな打算がチラリ・・・とね。
実際に何が「人生、最後まで持つ続ける」ものなのかは、個人個人で決めたらいいと私は思うが、気になる方は、週刊誌を見てくださいな(買うなり、コンビニで立ち読みするなり、それも個人の感性で・・・ね)。