深まる秋に伴い、庭には、所謂、草花的な花が少なくなる中で、木に咲く花、「山茶花」類がそろそろ咲き出して来ると、今年も終わり・・・の気配を感じて何か寂しい、歳かな?
8日金曜日に、2年毎に開催している「小中学校同窓会」が開かれ、総勢250名程だった同級生らも、今回の参加者は、ぐっと減って40名弱だった。
そんな状況の中で、勿論、久方ぶりに会える人があるのは嬉しいし、実際、楽しい時間を過ごす事も出来た。
でも、我々も、これから若返る訳でもないから、様々な事が負担となって来るのは間違いないし、その負担を、一部の人(幹事)に任せてしまうことにもどうかと思うし・・・少し、同窓会の「常識的な形態」を変えてみるのも一考では・・・と、今回の会に於いて問題提起されたのは良い事だと私も賛同した。
人生に於いて、物凄~く親密だというのでは無いけれど、何故か、自分の節々の時期に何時も関わり合っている人がいる・・・て事、ありません?
我らの育った時代は、子供の行動範囲はごく狭い地域であり、小学生だって自宅のある小さな集落から外に出ることなど稀であった(私だけかな?)。
で、小学校で初めて出会った友は、偶々、友の自宅の近くに我が家の親戚の家があり、そんなことがキッカケで友達気分になったのだと思うが、ま、あまり過去過ぎて定かではない。
我が学区では、小学校から中学校は、特別、転出やら転入で無ければ、ほゞ、同じメンバーであり、割合、仲間意識みたいな気持ちはあったかもしれないが、私自身の立ち位置は、ちょい枠の外であり、だから、高校受験の際も、その友とは何の連絡なく別々の高校に入ったのに、3年後、就職試験を受けに行った先で再会し、職場で気の合った仲間と3人(つるんで・・・なんて言われながら)、一緒に、お茶や食事をしたり山登りや旅も行ったりしたが、それぞれの都合でバラバラに退職した。
友ら二人は結婚しそれぞれに定住するが、私は、それからは流れ者的生活に入り気儘に暮らして、年賀状のやり取りはしたものの会って旧交を温める事は無かった。
が、友の一人が病で亡くなった時期には、それこそ、偶~に会う機会もあったが、その機会も希薄になった頃、2年毎に「小中学校同窓会」を開催するという状況になり、私とその友とも頻繁(と言っても、以前と比べればだが)に連絡を交わすようになり、同窓会で会う(その会の後、2人でお茶やランチをしながら、来し方行く末を語る・・・とか)というのが定番みたいになった。
相変わらず連絡を取らないから、今回の同窓会会場で初めて、友が不参加という事を知り、すぐ電話を入れた・・・具合でも悪いのか?・・・と、胸騒ぎがしたからだ。
電話口から「元気だよ。平日で休めなかったから」と答える友の声に安堵し、関東に住むその友に「確約は出来ないけれど、オリンピックが終わったら上京出来ると思う、また連絡するから元気でいてね」と告げた。
ハッキリ言って、行かないかも知れない、否、行けなくなるかも知れない・・・でも、そう約束する事で、私の心に、一つの安堵感をもたらしたのは確かである。
自分勝手のワガママ気儘の上、傲慢な話だけれど、私はこの友を精神的な指標(正しい生き方をする)にしている気がするのだ、日常的付き合いはないけれど、大事な「親友」なんだと位置づけている。
ま、友にしてみれば「何とも迷惑だ!」と思っているかも・・・ね。